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【東京巻き込み育児 #01】転居前から超ブルー!育児環境の厳しい「東京引越し」編

太陽の国・カリフォルニア。ビーチが眩しいサンタモニカ。子連れに優しいアメリカで、年子姉妹を積んだ車をのびの走らせて育児をしていた私に、夫はある日こう切り出しました。
「日本に引っ越す。東京で、自分で会社をやろうと思う。」と……。

賢く心優しい妻なら、

「そう……なんとなく、そんな気がしていたわ。あなたならきっと出来ると思う。がんばって!」

などとキレイにカールした髪をふわりと揺らして微笑みながら、新たなチャレンジへ奮い立つ夫の背中を押し、全面サポート体勢に回ることと思います(後光も差しているかもしれません)。

しかし、私がその時言い放ったのは、

「やだよ、そんなの!引っ越したくない!」

と言う、だだっ子のような言葉でありました。

色々な事情がありましたが、とにかくわが家はアメリカ生活を引き払い、東京へ引っ越す事となりました。私はサンタモニカの素晴らしい育児環境を、夫はサラリーマンとしての立場を捨て、全てが一変したのです。夫の鶴の一声により……。

そんな突然の“東京生活”。家事に育児にてんやわんや!サンタモニカと違い、ママにとって苦しい“東京の子育て環境”の中、周囲を巻き込むことで4人の子どもを育てた私の経験から、【東京巻き込み育児】をお届けします。

■プロローグ:東京への引越しに尻込みしていた理由

まずは私が、アメリカから東京への引っ越しに尻込みしていた理由を挙げてみます。

・狭小な住宅事情

東京に移った際、まだ20代だった私たち夫婦は、年齢相応の収入状況でありました。しかしながら同じ収入でも、アメリカではかなり広い住宅を借りる事ができます。天井は高く、ベッドルームもリビングルームもまあまあ広く、冷蔵庫や大きなオーブンなどの電化製品がついている物件も多くありました。

一方で東京と言ったら、猫の額のような住宅事情。

猫の額とかウサギ小屋とか色々言い方はありますが、とにかく狭い。天井も低い、膝が壁に突き当たりそうなトイレ、隣との近すぎる距離。さらに家具や電化製品はついていないのがほとんど……そのようなあらゆる要素が、私の心を鬱々とさせました。

・親戚付き合い

夫が帰国を決意した大きな理由のひとつに、義父、つまり“夫の父の死”がありました。夫は一人っ子。ということは、姑は、日本でたった一人になることになります。傷心の母親を放っておいて海外にいることは、息子としては心苦しかったのでしょう。

わが夫ながら、いい人です。ええ、それは認めます。

しかし、その妻である私はといえば、「それはそうだろうけど、でも……」と繰り返し、迫りくる"同居"という面倒な事態を、先延ばしにしたい一心でいました。

その昔、結婚前の家族同士の顔合わせの時のことです。姑の「娘が出来て嬉しい、美術館に一緒に行ったりしたい」という心温まる言葉に、ゾワワワワと鳥肌が立つ思いだった、馬鹿者の嫁は私です。

現在は、姑とは完全に同居している状況ですが、そこに到達するまでには、実際かなりの紆余曲折がありました。

そんな風に、夫のたった一人の母親である姑を筆頭に、両親も含め、遠くにいるのがほどよい距離感、面倒が少なくていいわと、私は完全にいい気になっていたのです。ですのでここに来て突然距離が縮まることに、馬鹿者かつ駄々っ子との私としては、戸惑い怖じ気づいて当然なのでした。

こう書いてみると、もういい年だったのに、全く恥ずかしい事ですね……。唯一いいところがあるとすれば、“正直なところ”です。(よね?)

・「存在してごめんなさい…」子どもと母親に厳しい東京の育児環境に愕然

それまでアメリカからの一時帰国ベースで日本を体験していた私です。いざ東京へ引っ越すとなると、「こりゃ大変だわ」と、東京での子育てに対する、戦々恐々とする思い出ばかりが蘇ってきます。

具体的な例を挙げてみますね。

それは次女誕生後、初めての一時帰国。当時はまだまだ全ての駅にエレベーターが設置されていなかった頃の話です。

実家の最寄駅には長い階段のみ、エレベーターは無し。辺りを見回すも、人々は早送りのように通り過ぎていく。そして私の手元には、アメリカサイズのバカでかい2人乗りベビーカー。

意を決して駅員の人に助けを求めました。その人は返事をしてくれませんでした。ベビーカーの片側を持ってもらい、階段を降りる時も無言。お礼を言っても無言……。このニュアンス、伝わるでしょうか?

気にするまい、と思っても湧き起こってきたのは「存在してごめんなさい」という、腹立たしくも情けない思いと、泣けるほどの孤独感です。誰かの厄介者である子連れの自分を恥じた経験は、このときだけではありません。

今のわたしは“立派なおばちゃん”になりましたので、ニッコリお願いして、ニッコリお礼を言って、という図々しさを会得しています。けれど、当時はまだまだ初々しい20代だったのです。

心折れ、傷ついたその経験は、私にとって“引越しをしり込み”させるに十分な理由でした。

■しかし、引越しは決行される

そっちに行きたくない、それは見たくないよう・・・と、しり込みする私の気持ちをずるずると引きずるように、引越し準備は非情に、そして淡々と進められました。

そして引越し前、アメリカ生活最後にと、姑が遊びに来ることになったことを聞いたときにした“イヤな予感”それは現実のものとなりました。

もしくは、その予感を現実化させたのは、もしかしたら私の思い込みの強さだったのかもしれません。

次回【東京巻き込み育児】は「姑とのサンフランシスコ旅行、馬鹿嫁の葛藤」編をお届けします!



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