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『星の文学館』ノート

和田博文編
ちくま文庫刊

  複数の作家の〈星〉をテーマにした作品を集めたアンソロジー。このほかにもちくま文庫から同じ編者で『森の文学館』や『月の文学館』が刊行されている。

 「星」といっても、副題に『銀河も彗星も』とあるように、天の川から七夕、76年周期で太陽系を訪れるハレー彗星(最近は1986年)、日蝕、太陽系の惑星、太陽信仰時代のエジプト、さらには星座や天体観測、彗星の発見、宇宙の深淵の話まで収められた35の短編や詩からなっている。作者も川端康成や大江健三郎というノーベル文学賞作家から、芥川賞作家、大衆文学作家、推理小説作家、童話作家、SF作家、漫画家、俳優、歴史学者、ピアニスト、エッセイスト、哲学者や詩人の茨木のり子や谷川俊太郎、さらにはすでに物故された方から今も活躍される作家までまさに多士済々。

  いくつか面白い作品を取り上げる。

 森繁久弥の『ハレー彗星』では、明治43(1910)年のハレー彗星接近の時は、自動車のタイヤに空気を一杯詰めて売ったとある。彗星の尾が悪いガスを含んでいるから彗星が頭上を通る間はチューブの空気を吸っていろ、とか笑い話のようなこともあったそうだ。またハレー彗星の周期にはどうもよくないことが多いといい、日航機の墜落とか火山の噴火、地震で大勢が死ぬなどの例が挙げられている。

 たしかにこの年(1986年)を見ると、スペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故があった。また過激派の数々の爆破襲撃事件など物情騒然とした事件が多かったが、森繁久弥が書いている「日航機の墜落」については、有名な日航ジャンボ機123便の墜落は1985年だ。また羽田沖での日航機逆噴射事件は1982年だ。なにか勘違いしていたのであろうか。

 中世には、わが国でも彗星は凶事の前兆ということはよく言われており、いろんな書物に出てくることは間違いないが、ハレー彗星と凶事を結びつけるのであれば、日本国内だけではなく、世界中の出来事と照合しなければならないし、その証明はなかなか難しいであろう。

 倉橋由美子の名前を見ると、学生時代に読んだ『パルタイ』や『スミヤキストQの冒険』を思い浮かべるが、このアンソロジーには『宇宙人』というSFのような寓話のような不思議な物語が収められている。

 ある朝、主人公が起きて片脚をベッドからたらしたとき、床ではないものに足が触れるのを感じた――という場面から始まる。同じ部屋で寝起きしている主人公の姉のL(このように登場人物の名前にアルファベットを使うのはこの作者の特長)を起こして見せると、姉は、これは「宇宙人の卵ね」と断言する。そして卵だから温めて孵化させようといろいろやってみるが、卵は孵らない。

 主人公は手斧や金槌で割ってみようと思い立ち、姉から止められたにもかかわらず、手斧を卵に振り下ろした。中身に傷を付けたらいけないので注意深く、ほとんど力を込めずに一撃したら、卵の殻は薄い氷のように割れてしまったが、振り下ろした手斧は卵の中の暗闇に吸い込まれてしまったのだ。割れ目から中を覗いても何もなく、ただ光を拒む暗黒が広がっていた。姉はその割れ目から肩の所まで腕を突っ込んでみたが、何もない。「なんにもいない。というよりなんにもないのよ。宇宙空間みたいに」と言う。主人公が覗き込んでみると、別の宇宙でもみるようなめまいを覚えるのだった。

 そのあと、さらに卵の殻を砕いていくと、なかから宇宙人が出現する。それから、このヘルマフロディト(両性具有)の宇宙人と主人公の家族4人との奇妙な日常が始まる。そして、姉弟でこの宇宙人の虚無のなかに入るという約束をし、姉が先にこの宇宙人の股の間から向こう側の世界に入っていく。主人公は、「まるで、生まれるときの逆だ」と呟く。姉の体は宇宙人の中に吸い込まれていき、主人公が中を覗き込んだら、暗黒の空間に散らばる無数の微細な星や星雲と、そのあいだを彗星のように尾を曳いて墜ちていく小さな姉の裸形をみたのだ。

 この暗黒の宇宙に入っていくことを、ほかの人間たちが「死」とよんでいることを思うと、ぼくはかれらとは別の世界に移るだけだ。おそらく彼らにはわからない入口を通って……。

 この宇宙人は、きっとこちらがわの宇宙に開いたパラレルワールドに繋がる入口=ブラックホールを象徴しているのだろう。不思議な物語だ。

  茨木のり子は、地球のことを『水の星』という詩で表現している。

その一節。

 「生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴もこぼさずに廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真」

 「こういうところに棲んでいましたか
これを見なかった昔のひととは
線引きできるほどの意識の差が出てくる    筈なのに
みんなわりあいぼんやりとしている」

 そして、

「すさまじい洪水の記憶が残り
ノアの箱船の伝説が生まれたのだろうけれど
善良な者たちだけが選ばれて積まれた船であったのに
 子子孫孫のていたらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい」

 プーチンが、ロシア正教がロシアの不可欠のアイデンティティの一つといい、自身も敬虔なる信徒であるのなら、「ノアの箱船」の伝説を思い出してほしいものだ。

 

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