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『頭じゃロシアはわからない』ノート

小林和男著
大修館書店

 この著者の本を取り上げるのは2冊目である。2021年6月5日に、『1プードの塩――ロシアで出会った人々』を取り上げて以来である。
 この著者の経歴等は以前書いたので省略するが、国連安全保障理事会常任理事国であるロシアのウクライナへの一方的侵攻と、その終息も見えないこの時期に「ロシア」の名を冠する本を刊行するにあたっては、出版社もちょっと勇気が必要だったかもしれない。

 ロシアは180以上の民族からなる国家であり、その文化は多様性に富んでおり、その国民性は云々と一言でいうのは難しい。

 小林和男氏はいまもロシア国民のあいだで流布し、使用されている諺を収集し、それぞれの諺にまつわるエピソードを取り上げている。
 副題は、「諺で知るロシア」となっており、その諺を味わう中で、多面的なそしてくっきりとした国民性がなんとなく分かってくる。その上で民族や国籍などを超えた人間の考え方の共通性や普遍性も浮かび上がってくる。

 そのうちいくつかを取り上げてみる。
〈好みは各人各様〉は、鎌倉にある駐日ロシア大使館の別荘での話である。著者がその別荘に招かれたとき、僧侶が先客として来ていた。別荘の庭を手入れしたときに、朽ちた祠があり、それを再建して入魂式をしてもらうために来てもらったと大使はいう。
 ロシアはギリシャ正教の国であり、こんなことをすると、お叱りをうけるのではないかと聞くと、大使は次のように答えたという。
「イスラムの国にも勤務したが、私は地球を治めるのは一つの神様ではないように思う。キリストの神もアラーの神も仏も信じていいようなところがあるように感じる。ある日本の仏教指導者と信仰について話したとき、そんな気持ちを説明して、私はどちらかと言えば無神論者ですと言ったら、『大使こそ本当の仏教徒だ!』と言われたよ。アッハハ。お稲荷さんがあっても誰も文句は言わない。ロシアは他民族、多宗教の国で、憲法も信教の自由を保証しているしね」――ついながながと引用してしまった。
 大使の人柄にもよると思うが、本来はこのような鷹揚なところを持っている人たちなのかも知れない。

 もう一つ紹介する。〈良い言葉は猫にも気持ちよい〉は、ロシアでは猫が活躍しているという話だ。
 著者がモスクワに赴任したとき、助手のロシア人女性が黒い子猫をプレゼントしてくれ、きっと役に立つからと意味ありげに微笑みかけられたが、その理由はほどなくわかった。住まいのある建物の構造上ネズミが多く、猫はネズミを捕まえては誇らしげに飼い主に見せに来て、この諺通り褒め言葉を催促しているような風情だったという。猫にとっては遊び相手兼餌食にちょうどよかったのだ。

 またサンクトペテルブルクにある世界有数の美術品の収蔵数を誇るエルミタージュ美術館はいま世界遺産に指定されているが、それが故に建物の改築もままならず、そのため収蔵品の保護に苦労している。そこに猫が一役飼っているといるのだ。
 美術館には猫専門担当官が配置され、50匹以上の猫が飼われていて、ネズミを追いかけたくなる程度の空腹状態を保つよう健康管理をするのが担当官の仕事だ。猫専門の診療所とキッチンまであるそうだ。

 ちなみに「エルミタージュ」とは「隠れ家」という意味ということをこの本で初めて知ったが、美術館全体がネズミを隠れ家になっているような気がしてきた(これは冗談)。実際は18世紀後半の女帝エカチェリーナ(2世)自らが集めた西洋絵画を中心とした美術品を宮殿の一角に展示したのが、このエルミタージュ美術館の始まりだ。

 ロシア国民の気質を表す興味深い諺が数多く集められており、中には日本で使われている諺とその意味するところがまったく同じようなものもある。諺の成り立ちは分からないが、民族や国にかかわらず人間は同じような感性を持っているのだなと改めて感じた。

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