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Book/Film Reviews

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書評集
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記事一覧

[書評] ライロニア国物語

レシェク・コワコフスキ『ライロニア国物語』(国書刊行会、1995) ポーランドの哲学者による奇想天外な短篇集 ポーランドの哲学者/作家レシェク・コワコフスキの短篇集(1963)。 原題は '13 bajek z królestwa Lailonii dla dużych i małych'(大人と子供のための13のおとぎ話)。1989年に英訳が 'Tales from the Kingdom of Lailonia and the Key to Heaven' の題で出

[書評] 超訳 古事記

鎌田東二『超訳 古事記』(ミシマ社、2009) 古事記を口承の物語として記憶にとどめる これほど記憶に残る古事記は初めてだ。 もともと口承の物語だった古事記を宗教学者が語り直し、それを編集者が文字起こしし、整えてできたのが本書だ。記憶の中から語り、それを聞いた人が書きとめるという、古事記成立と同じプロセスを現代においてやったわけだ。 そういう本書だから、読む/聴く人の記憶に残るのは当然と言えば当然。 そういう口承性に関心があれば、ぜひとも、著者朗読の Audible

[書評] 左脳さん、右脳さん。

ネドじゅん『左脳さん、右脳さん。』(ナチュラルスピリット、2023) マインドフルネスに至るもう一つのシンプルな道 マインドフルネスの方法指南書はいろいろある。これはマインドフルネスの捉え方がいろいろあることから来ている。 本書の場合はマインドフルネスはざっくり言えば「悟り」と呼ばれる状態をさす。〈あたまのなかをぐるぐるまわっているひとりごとの思考が完全に消えて無くなった〉状態と、著者は説明する。 あくまで〈ひとりごとの思考が完全に消えて無くなった〉状態であり、〈思考

[書評] 魔法の言葉88

矢作直樹『魔法の言葉88』(ワニブックス、2022) 猫のように自分軸を持って生きる と、言われても、やや困る。よくわからない。 著者はさっそく助け舟をだす。 〈泰然自若として空を見上げている猫の姿〉を思い浮かべてもらえばいいと。 こんな感じか。(下) 「自分軸」に近いところにいるときの自分が自分らしさということだという。 そのときに大事なのは、〈自分にも周りにも感謝を持って眺めた「自分軸」〉だと。 この〈感謝〉がポイントで、〈自分への感謝を通して先祖にも感謝

[書評] 紫式部と藤原道長

倉本 一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書、2023) 紫式部は実在したと聞いて安心する 〈後世、紫式部と称されることになる女性は、確実に実在した。(中略)藤原実資の記した古記録である『小右記』という一次史料に「藤原為時の女(むすめ)」として登場して、その実在性が確認できる〉と、いきなり本書は始まる。 同様にして、和泉式部は実在したが(藤原道長の『御堂関白記』に江式部として登場)、清少納言は(一次史料に名前が出ないので)実在したかどうかは〈百パーセント確実とは言えな

[書評] 絵合

紫式部「絵合」(11世紀) 「伊勢物語」復権の観点から最重要の巻 源氏物語の第17帖「絵合」の意味合いについて考える。 * 時の帝は冷泉帝(源氏と藤壺の子)である。そこへ前の(伊勢)斎宮が入内し、梅壺に住まう。以後、梅壺の御方と呼ばれる(後の秋好中宮)。 この梅壺は亡き六条御息所(源氏の恋人)の娘で、源氏は自らの二条東院へ引取り、養女として育てていた。 若い冷泉帝には9歳年上の梅壺は馴染めなかったが、絵という共通の趣味をきっかけに、寵愛が増す。 先に娘を弘徽殿女

[書評] 文藝春秋 2024年4月号

「文藝春秋」2024年4月号(文藝春秋、2024) 峯澤典子「仲見世」を読む 詩誌でなく、めずらしく総合誌に掲載された峯澤典子氏の詩「仲見世」をまず読む(89頁)。 氏にしては短い10行の詩だが、他の人のエセーの頁の真ん中に挿入される形だから10行以内というような制限があるのだろう。 詩は次のように始まる。 花の雑踏で 別れ ふたたびめぐる はるのはじめの仲見世で なごりの ゆき か 花びらになったあの人が 短い詩なので何度も読返す。仲見世という空間に「ふたたびめ

[書評] 吉野奏美氏の近著

吉野奏美『霊感体質かなみのけっこう不思議な日常 10』(三栄書房、2021) この世は仮想空間で真実はその外側にある 本書では著者が知ったさまざまの人物の言葉が紹介される。その中で、サンジェルマン伯爵が仮想空間のことについて始めに発言する。 この世は仮想空間で真実はその外側にあるのです! (64頁) 同様の趣旨は他の登場人物たちも発言する。いろいろな譬えを使っても説明される。 が、はっきり言って、この言葉を理解するのは通常の3次元思考では難しいかもしれない。 この

[書評] 葵

紫式部「葵」(11世紀) そらに乱るるわが魂を をめぐって 源氏物語の第9帖「葵」の全体ではなく、「そらに乱るるわが魂を」の歌(源氏物語和歌番号117番)の諸問題についてふれてみる。 この歌は六条御息所(源氏の恋人)がもののけとなって葵(源氏の正妻)にとり憑く物語の中に出てくる。弱った葵の様子を心配して加持祈祷を行わせている最中に、源氏の前で葵の声がする。 嘆きわび空に乱るるわが魂を結びとどめよしたがへのつま 大まかに言って、この歌には次の問題がある。 ① 歌のテ

[書評] 世界を統べる者

矢作 直樹、宮澤 信一『世界を統べる者——「日米同盟」とはどれほど固い絆なのか?』(ワニブックス、2022) エネルギーと食糧は極論すれば日本はやがて自立できる 日米安保の背後にあるMSA協定(Mutual Security Act)について知りたい人にはおそらく必読書。(誤植をもう少し減らせば)日本人の必読書にもなり得る書。 矢作直樹(東京大学名誉教授)と宮澤信一(国際実務家)の両氏が戦後の日米関係の背後にある構造的な仕組みを中心に縦横に語り合った書。 人によっては

[書評] 花宴

紫式部「花宴」(11世紀) 物のあはれと 朧月夜 源氏物語の第8帖「花宴」を読む。源氏は桜の宴で漢詩を作り、「春の鴬囀るといふ舞」を披露する。宴が終り、月の美しい晩に誘われ、酔心地の源氏は、藤壺周辺を訪ねるが戸が閉まっている。弘徽殿の渡り廊下で、ふと「朧月夜」の古歌を口ずさむ美しい声を耳にする。 歌っていた女性が源氏の近くへやって来たので、とっさに袖を捉えると、「 あな、むくつけ。こは、誰そ」(あら、嫌ですわ。これは、どなたですか[渋谷栄一訳])と言う。 そこで源氏は

[書評] 若紫

紫式部「若紫」(11世紀) 源氏最愛の女性との出会いは前生の縁か 源氏物語の第5帖「若紫」を読む。藤壺が源氏の運命の女性とすれば、藤壺の姪にあたる紫上は源氏最愛の女性。 その紫上がまだ十歳のおりに、十八歳の源氏は京都・北山で見初め、後見を申し出る。だが、育ての親の尼君はじめ周囲は、源氏の申し出を酔狂と考え、まともに受けとらぬ。この難関をいかに源氏が乗越えるか。そこが本巻の見どころ。 * 本巻は興味深い内容を多く含むので、原文を含めいろいろな現代語訳・注釈を読んだ。結

[書評] 自分を休ませる練習

矢作直樹『自分を休ませる練習』(文響社、2017) マインドフルネスは中今そのもの 一見、外国産にみえる「マインドフルネス」は、〈ずっと昔から日本人がやってきていたこと〉と著者は述べる。それを表す言葉が神道でいう「中今」であると。 「中今」は〈今を生き切ることこそ大切という意味を持つ言葉〉だが、〈マインドフルネスは中今そのもの〉であると著者は言う。 「マインドフルネス」は新しいことでなく、〈日本人が当たり前に知っていた感覚〉であり、〈「本来の自分を取り戻す」ということ

[書評] 空蝉

紫式部「空蝉」(11世紀) 最後の二首の謎解き・かな 源氏物語の第3帖「空蝉」を読む。空蝉は、伊予介の若い後妻であるが、源氏は第2帖「帚木」で初めて出会う。 この空蝉という女性はおそらく源氏物語において特別の登場人物と思われる。特別というのは、空蝉、紫の上、浮舟が作者・紫式部を投影している可能性があるからだ。この説は〈古典の改め〉というウェブサイトで初めて見た。同サイトは、イェール大学や東京大学からアクセスする読者が多い、稀なる研究ページである。 * 源氏は空蝉に初