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[書評]危機にこそぼくらは甦る/青山 繁晴

危機にこそぼくらは甦る 新書版 ぼくらの真実/青山 繁晴 (扶桑社新書, 2017)

『ぼくらの真実』にあとがきの形で大幅に加筆した新書版。

冒頭のカラー写真多数およびあとがきが充実している。

ただ、核になる部分はやはり『ぼくらの真実』にあると思われる。本文にも、あとがきにも、熟読すべきものを含むけれども、本文の方は今だけでなく長く考えるべきものがある。

そして、その本質的な部分はまだ明らかにされていない。著者は近く憲法私案を公表する予定と言っている。

その骨子はおおよそ本書を読むことで透けて見えるが、ともあれ、著者の考え方に関心がある人は必読の本だ。題名の「危機」とは、一言でいえば、いま危機であることに気づいていないという意味の危機である。そんなときに甦るとはどういうことか。それは、危機を意識することで自分たちの本質に気づくということに他ならない。半島危機など、その危機意識を覚醒させる契機はたくさんある。

政治思想に関わるところとは別に、人の生き方という根幹部分にも、考えさせるところが多くある。

読んでいて最も印象に残ったのは、何のために生きるかということである。

一言でいえば、人のために生きる。これに尽きる。

「葉隠」の、武士道というは死ぬこととみつけたり、について死に方でなく生き方を説いたものと著者は解く。死ぬとは、人のために死ぬこと。主君のため、ではないところが、この書が禁書にされた最大の理由であったと思われる。人のために死ぬという心構えで生きよ、と著者は読む。

同じことを著者はゴルゴタの丘に行ってつかむ。主イエズスがかけられた十字架を立てた穴が今も、その岩石に残る(丘でなく岩だった)。それを著者は見て、主イエズスの復活を確信する。著者はキリスト者でないが、主イエズスの生き方に、人類の罪を背負って死ぬことの意味をさとる。

本書にははっきり書いていないことであるが、危機管理の専門家である著者は見えざるものに対するアンテナが敏感であるように感じる。今は見えていないが、確実にくると思われる危機を感じとることと、目には見えずともそこにおわすもの、そこに漂うものを感じとることとは、どこかで通じているのではないか。

著者が35年くらい前に初めて訪れた沖縄の白梅の塔での体験はそれを強く思わせる。そこで著者は、まだそこにとどまるふたりの女子高生の存在を感じとる。家族が全員死んでしまったためにどこにも行けないでいるのだ。のちにきちんと供養され、再び訪れたときには晴れやかな空間になっていたという。

本書を読んで知ったことをふたつ書いておく。はんこを押すこと、および国号を定めること、これが大宝律令に由来する。

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北朝鮮がミサイル発射の30分前に日本の官邸に発射すると連絡してきたことを、著者は2017年9月18日の「虎8」で明かした。

#書評 #青山繁晴 #危機 #沖縄 #葉隠 #ゴルゴタ #crisis_management


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