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片づける

片づけることは単なる動作でない。

片づけることには何らかの感情がともなう。

考えてみればふしぎなことだ。その感情はプラスの方向が多い。スカッとする。気持ちいい。あーすっきりした。等々。片づけてマイナスの感情を持つとすれば、捨てたけどやめておけばよかった、捨てすぎて不便になったなど。

もう少し哲学的に考えれば、ミニマリスト的思考をおもうひともある。禅のような方向だ。持ち物を減らす。最小限の物しか置かぬ。物欲の減少。

確かに、部屋が片づいてさっぱりすれば、気持ちがすがすがしくなる。大げさに言えば清められた感じさえする。「清掃」ということばにも「清」の字が入っている。

だけど、「片づける」とは、そもそもどういう意味なのだろう。なぜ「片」の字が入っているのだろう。

国語辞典をひくと、語義の最後に「片方に寄せる」とあり、〈「片付く」に対する他動詞〉というヘボンの説明があった(大辞林)。なるほど、物が散乱している場所をきちんと整頓するために、物を片方に寄せるわけだ。

そこで「かたづく」をひくと、「片側が何かに接する」が原義と分った。〈「片付ける」に対する自動詞〉という説明もある。どちらが先なのだろう。「嫁く」と書けば、娘が嫁に行くの意だ。縁づくの意。娘が男の側に行くこと、接すること、つれ添うことなのだろう。

「かたづく」のその意では万葉集4207に例がある。

谷片付きて家居れる

と大辞林にはあるが、別のテクストだと

谷片付きて家居せる

とある。「たにかたづきて いへゐせる」と読む。大伴家持の歌だ。引いた箇所は「その谷のまん前に、家を構えてお住まいの」の意(新潮日本古典集成)。つまり、家の片側が谷に接するばかりに建っているのだろう。

さいきん、研究室をやっと片づけた。ほぼ1年かかった。書籍の類は、3つの古書店に買取ってもらってやっとさばけた。部屋を空にしなければならないので、片方に寄せて終わりとは行かず、すべて部屋から出す必要があったから、大変だった。

聖書には「片づく」「片づける」の語は出るのだろうか。

新共同訳で調べると士師記にあった。

この民がわたしの手に託されるなら、わたしはアビメレクを片づけてやるのに。」彼はアビメレクを念頭に言った。「お前の軍を増強して出て来い。」(9章29節)

この片づけるは物騒な意味だ。「じゃまな者をとりのぞく」「殺す」の意。冒頭に「片づける」のプラスマイナスを考えたけれど、この意味に関わることだけは避けたい。

#日誌 #片づける #万葉集 #士師記

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