見出し画像

第十の粘土板 酒場の女将シドゥリ、あるいは船頭ウルシャナビ

 荒野を歩いた。一面、赤い砂礫に埋め尽くされている。動物の姿さえ見かけなかった。だが死の大地という印象はない。ただ生えている草木の少なさが、侘しかった。
 流石に世界の果てまで来たという印象があった。吹いているリルの囁きが、耳をくすぐり、頬を優しく撫でていた。髪は砂で強張り、衣服は完全に擦り切れた。
 ここから先は、見知らぬ土地だ。聞いた事もない。どこに行けば、ウトナピシュティムに会えるのかさえ分からない。ただこの先に行けば、人が住んでいる土地に、辿り着くという予感があった。道すがら、砂礫に埋もれた人の生活の痕跡も見た。
 シャマシュは強過ぎず、弱過ぎず、大地を照らしていた。リルも強過ぎず、弱過ぎず、吹いていた。気温は高かったが、リルに湿り気があり、不快ではなかった。ただ喉が渇いた。だがきっと近くに水場はある。リルがそれを知らせている。
 赤い砂礫が減り、風景が変ってきた。程なくして水場を見つけた。小さな川が流れている。この川を下れば、人里もありそうだ。ギルガメシュは荷を下ろすと、手で掬って飲んでみた。水は甘かった。荷から革袋を取り出すと、水を汲んで、中身を満たした。
 遠くを見ると、町らしきものが見えた。
 ――よし、行こう。
 立ち上がると不意に、心の裡に声が響いた。
 ――ギルガメシュよ、そなたはどこまで彷徨い行くのか。そなたが求めるズィが見つかる事はないだろう。(注38)
 シャマシュは困惑していた。ギルガメシュは眉を顰めた。
 ――では我は、荒野を彷徨った果てに、大地に身を横たえるべきか。それならば、あらゆる時間を眠り続けるために、我が眼で、シャマシュを見させよ。我が光に満ちる様に、光ある処、闇は引き下がる。死、死せる者、太陽神シャマシュの輝きを仰ぎ見ん事を!(注39)
 ギルガメシュが力強く叫ぶと、アシャグが姿を現した。
 ――よくぞ見抜いた。流石はギルガメシュよ。
 それは巨大で丸い怪物だった。三本の足と三本の腕で、首がない怪物で、体全体に無数の目がある。肌は硬い岩の様で灰色をしていて、あらゆる攻撃を跳ね返す。そして大量の蠅を従えていた。アシャグは病気を引き起こす者という異名も持つ。
 ――早々に立ち去れ。死、死せる者よ。
 ギルガメシュは激していた。アシャグは高笑いしながら、心の裡から立ち去った。
 ――そなたの求めるズィは見つからないだろう。それだけは言える。
 魔は捨て台詞を吐いて立ち去った。ギルガメシュは不快さで身を震わせた。
 ――シャマシュの振りをするとは……
 大いなる天、大いなる地、そしてこの地上の三界の狭間に住まう魔が存在する。
 人に災いを為す存在で、呪いの塊の様な存在だ。元々、人間だったと言われているが、何もかも呪い過ぎたため、死後大いなる地にも行けず、大いなる地の神々からも、追放された存在だと言われている。アシャグはとても古い魔で、大洪水前の世界からいる。
 そして厄介な事に、神々の様に、自由に話し掛ける事ができる。時には神々の振りをして、語り掛け、神性が高い者を惑わす。アシャグは荒野に現れる魔だが、都市でも疫病を流行らせて、猛威を振るう事もある。ウルクの子を預かるエンシとしては、敵以外の何者でもない。
 もう一度、川で顔を洗うと、気を取り直して、歩き始めた。

   ***

 川を下って歩くと、日干し煉瓦でできた町が見えて来た。渡る事が難しい海を越えてから、最初の人里だ。マーシュ山に隔てられているので、こちら側と交流がない。一体どんな人々が生活しているのか。ギルガメシュは、旅塵も落とさず、逸る心のまま町に向かった。
 中に入ると、浅黒い肌をした人々が通りを歩いていた。砂色の麻の長衣を纏い、白くて長い帯を、腰に巻いて留めていた。口元は布で隠して、足早に歩いている。ギルガメシュは、町の誰もが、ラピスラズリを身に着けていない事に気が付いた。
 市場があったので、麻の長衣を買い、身に纏った。ギルガメシュは歩いた。市場は栄えていた。見慣れない品があった。紐で巻物状に留められた織物の様な品だ。材質は植物の茎らしい。開いて見ると、見知らぬ文字が書かれている。粘土板はなかった。
 大通りから外れて、裏通りに入ると、酒場や宿が立ち並んでいた。いかがわしい雰囲気があり、どこからか怪しげな旋律を奏でる弦楽器が、聞こえて来た。窓から時折、女達が顔を覗かせ、胸元を大きく開きながら、妖艶に微笑み、姿を消して行った。
 なおも歩いていると、風変わりな看板をぶら下げた酒場を見つけた。それは木彫りの小さな丸い看板で、木の柱からぶら下げている。束ねられた葦の前で、乙女が右手を鼻の上に置くポーズを彫ってある。ギルガメシュは気になったので、酒場に入ってみた。
 「いらっしゃい」
 黒眼黒髪の女が出迎えた。頭から白い貫頭衣を纏っている。酷く妖艶な笑みを浮かべている。まるで神殿娼婦の様だ。だが年齢が読めない。この店の主だろうか。
 「酒を一杯くれ」
 ギルガメシュは席に着いた。他に客は少なく、店内は閑散としている。まだ昼間だからだろうか。女店主は、壺から葡萄酒を木の杯に注いで出した。
 「お客さんは旅人かい」
 「……そんなところだ」
 木の杯から一口含むと、爽やかな葡萄の酒精が喉に広がった。美味い。
 「何処に行くんだい」
 女店主は壺を持ったまま尋ねた。
 「……ウトナピシュティムのいる処だ」
 「あの死を免れているという男の許へ行くのかい」
 「……知っているのか」
 「ああ、知っているよ」
 ギルガメシュは目を細めた。誰かに似ている――誰だ。
 「あたしはシドゥリ。お客さんは」
 「……ギルガメシュだ」
 シドゥリは妖しく微笑んだ。その時、脳裡に星が瞬いた。この女、神性が高い。一体何者か。大いなる天に連なる者か。だとしたら、何のためにギルガメシュの前に現れたのか。
 「ウトナピシュティムに会ってどうするんだい」
 シドゥリは壺を机に置くと、近くの椅子に座った。
 「死から免れている理由を訊くつもりだ」
 ギルガメシュがそう答えると、シドゥリは嗤った。
 「……何が可笑しい」
 ギルガメシュは声を低くして言った。
 「だって可笑しいじゃないか。そんな事をして何になるのさ――」
 人であるならば、誰しも死にたくはないのではないか。
 「――死なないって事は、人じゃなくなるって事じゃないのか。人じゃなくなるなら、何のために生きるのさ。飲み食いする事も、寝る事も、交わる事も必要がなくなる」
 ギルガメシュは沈黙した。確かにそうかも知れない。では逆に問いたい。
 「人である事の意味とは何だ」
 「飲み食いし、寝て、交わる事さ」
 それは動物ではないか。必ずしも人でなければならない理由ではない。
 「人は言葉を話す。動物とは違う」
 ギルガメシュは反論した。だがシドゥリは即座に返した。
 「確かに人は言葉を話す。だがそれだけだ。他の動物と違うのは」
 本当にそれだけだろうか。生きるという意味は、飲み食いし、寝て、交わる事だけなのか。もしそうであるならば、全ての人は、忘れ去られる筈だ。これまで地上に生まれた数多の動物達が、死んだ後、誰からも省みられず、忘れ去られていく様に。
 「言葉は人に伝わる。伝え続ける限り、忘れ去られない。何処までも続く」
 あらゆる時間を超えるのだ。言葉は。たとえ目を閉ざしても、それは変らない。
 「確かにそうかもね。だが忘れ去られない事がそんなに大事かい」
 続くという事は重要だ。継ぐ者がいなければ滅びる。だが人は、必ず誰かに何かを伝える。
 「動物は忘れ去られる。だが人間は忘れ去られない。言葉が伝わるからだ。言葉が伝わる限り、その人の考えた事は、何処までも続く。継ぐ者がいれば、後を継いだ者は、前の者が遺したものを手に入れる事ができる。その人が生きた意味が失われない。継続する」
 「なるほど、それはそうかもね。だったら、死を免れているウトナピシュティムに会う意味はあるのかい。それこそ、ずっと独りで続くのだろう。それは生きていると言えるのかい」
 確かにその通りだ。そうなると、人が生きて、誰かが継いで、死ぬ事に意味があるのか。ただ死から免れて、全ての時間を生き続ける事に意味はないのか。意味とは、独りでは成り立たないのか。誰かがいて、誰かに何かを伝えて、初めて、意味が生じるのか。だから友が要るのか。
 「分かった。では我が友エンキドゥについて語らせてくれ」
 ギルガメシュは唐突に言った。シドゥリは目を細めた。
 「……いいよ。どんな男だい」
 ギルガメシュは少しの間、瞑目した。
 「機嫌が良いと、鼻歌を歌う陽気な男だった。そして勇敢だが、些か智慧が足りない男だった。だが決して間抜けではなかった」
 「……それで」
 いつしかシドゥリも自ら木の杯に酒を注ぎ、合の手を入れていた。
 「神性が高く、この地上で唯一、我と互角の戦いができる男だった。だから二人で冒険の旅に出て、名声を打ち立てた。だがある時、我々は神々の嫉妬を買ってしまった」
 シドゥリは静かに杯を傾けていた。
 「その時、我は努力して運命を跳ね返さんとした。だが努力も虚しく、エンキドゥを助ける事ができなかった。その時だ。我がウトナピシュティムの名を聞いたのは」
 「……なるほど、それでここに来たんだね」
 ギルガメシュは頷いた。
 「だが全ては遅過ぎた――」
 シドゥリは、いつしかギルガメシュの顔に近づいていた。
 「――我と共にあらゆる苦労を分け持ち、我が心から愛したエンキドゥは、我と共にあらゆる苦労を分け持ちながら、避けられない人間の宿命へと向かって行った」(注40)
 目の前にあるシドゥリの瞳は、冥夜に瞬く星の様だった。
 「昼も夜も、エンキドゥに向かって我は涙した。墓へ運び込ませたくなかった。我が友が我の嘆きにより、立ち上がりはせぬかと七日と七晩の間、彼の顔から虫がこぼれ落ちるまで、彼が行ってしまってから、ズィは見つからなかった。狩人の様に我は荒野を彷徨った。シドゥリよ。貴女の顔を見たからには、我の恐れる死を見ない様にさせてくれ」(注41)
 シドゥリはギルガメシュに向かって言った。
 「ギルガメシュよ、一体どこまで彷徨って行くんだい。求めるズィは見つかる事がないんだよ。神々が人間を造られた時、人間には死が割り振られたんだよ。絶える事がないズィは神々の手のうちに留めておいて……」(注42)
 シドゥリはギルガメシュの首筋に手を伸ばした。
 「……ギルガメシュよ、そなたはそなたの腹を満たしなさい。昼も夜もそなたは楽しむがよい。日ごとに饗宴を開きなさい。そなたの衣服を綺麗になさい。そなたの頭を洗い、水を浴びなさい。そなたの手に捕まる子供達をかわいがり、そなたの胸に抱かれた妻を喜ばせなさい。それが人間の為すべき事なのだから」(注43)
 ギルガメシュは指摘した。
 「そこまでです。女神イシュタル」
 シドゥリは笑って、くるりと回った。すると光輝く神々の娘、女神イシュタルがいた。
 ――もう少しで堕ちるかと思ったのに。口惜しや。
 ギルガメシュは気付いていた。酒場にこんな神性の高い女がいる訳がない。
 ――我は大いなる天に弓を引いた者です。諦めて下さい。
 性愛と金星の女神イシュタルは、旅で汚れたギルガメシュの両頬にその白い手を添えると、真正面から額と額をくっつけんばかりに見詰めて言った。
 ――わらわはそなたが憎い。憎くて堪らない。心胸に湧き上がるこの憎しみ、一体どうしてくれよう。いっそのこと、そなたをこの手でズタズタに引き裂いてやろうか。だがそれでは、そなたは手に入らない。一体どうすればよいか。
 ギルガメシュは微笑みさえ浮かべて答えた。
 ――得意の裸踊りでも披露すればよいのです。そうすれば男は皆堕ちます。
 性愛と金星の女神イシュタルは嗤った。だがその碧い瞳は笑っていない。
 ――憎きエンキドゥを葬ったのはわらわぞ。その気になれば、そなたなぞ一ひねりぞ。
 ギルガメシュは声を上げて、明るく笑った。
 ――我の好みを知っておりますか。女神イシュタルよ。
 性愛と金星の女神イシュタルは溜息を吐いて言った。
 ――女神アルルの様な幼き女だろう。言っておくが、あれはあれで棘があるぞ。
 ――毒よりはましです。それにエンキドゥの母でもある。
 ――わらわが毒とはな。だが向こうにその気はないぞ。
 ――それは承知しております。
 性愛と金星の女神イシュタルは両手を離した。
 ――互いに叶わぬ願いであった様だ。因みにわらわは、その気になれば幼き女にもなれるぞ。
 ギルガメシュは、恐ろしく厳粛な顔をして、首を静かに横に振った。
 ――だから貴女は駄目なのです。女神イシュタルよ。
 ――どうやらわらわは、最後までそなたの事が分からなかった様だ。
 妙なる音楽が流れ、心安らかな香が流れた。眩き光でその白い裸身を覆い隠しながら、碧い瞳と金色の髪が揺れ、豊かな胸の双丘が揺れた。その細い腕と、長い脚が舞った。全体として、光が眩しくてよく見えないが、間違いなく性愛と金星の女神イシュタルは踊っていた。
 ――そなたの大好きな裸踊りぞ。これで満足か。
 それは大地に豊穣を願う女神の踊りだ。あっという間に、ギルガメシュの心に花が咲き、春の香気が訪れた。木々は芽吹き、葉を巡らせ、花びらが宙を舞った。
 ――よき贈り物に感謝を。女神イシュタル。貴女の美しさは大いなる天の誉れ。
 ギルガメシュが、鼻の上に右手を置くと、女神イシュタルは微笑みと共に立ち去った。

   ***
 
 ギルガメシュは酒場を出ると、船着き場に向かった。川を下って、ウトナピシュティムに会うまで旅を続けるためだ。女神イシュタルの話を信じるならば、大分近くまで来ている。恐らく、そう遠くない処に、ウトナピシュティムはいる筈だ。
 船着き場で、聞き込みを続けていると、ある船頭の名を聞いた。ウルシャナビと言い、ウトナピシュティムの居場所を知っていると言う。ただし船賃は、しばしば乗客への試練で以って、支払われると聞いた。怪しげな話だが、他に手掛りもない。まずは会ってみる事にした。
 ウルシャナビは老人であった。船着き場の一角で、敷物を広げ、胡坐を組んで座っていた。上半身は裸で、シャマシュを避ける笠だけ被っている。その赤銅色の肌は、深い皺で刻み込まれていた。ギルガメシュは立ち寄ると、声を掛けた。
 「ウトナピシュティムを知る船頭ウルシャナビとは汝か」
 「……いかにも儂がウルシャナビだ」
 「ウトナピシュティムの処まで案内してくれるか」
 「……それはできない相談だ。明日、儂の顔を見る事ができないのだから」 
 ギルガメシュは眉を顰めた。
 「なぜ明日、汝の顔を見る事ができないのか」
 「……明日シャマシュが登らないからだ」
 この老人は一体何を言っているのか。
 「なぜ明日、シャマシュが登らないのか」
 「そこの神殿のお供え物が足りないからだ」
 見ると、船着き場の向こう側に小さな神殿があった。シャマシュを祀った神殿らしい。
 「なぜお供え物が足りないと、シャマシュが登らない」
 意味が分からなかったが、ギルガメシュは問うた。
 「神官がそう言っている」
 「……では明日、シャマシュが登るなら、ウトナピシュティムの処に案内するか」
 「案内しよう」
 船頭ウルシャナビと約束を交わすと、ギルガメシュは小さな神殿に向かった。小高い丘に日干し煉瓦を積んだ簡素なものだが、かなり古い神殿だった。シャマシュを祀った石像があり、一人の神官がいた。石像には沢山のお供え物が積まれている。
 「汝がこの神殿の神官か――」
 「いかにもそうだ」
 ギルガメシュが問うと、厳めしい顔をした神官が頷いた。
 「――明日、シャマシュが登らないと言っていると聞いたが、本当か」
 「本当だ。明日シャマシュは登らない」
 「なぜだ」
 「お供え物が足りないからだ」
 間が開いた。ギルガメシュは真顔で尋ねた。
 「お供え物が足りないと、なぜシャマシュは登らない」
 「シャマシュは生きている。お供え物がないと生きる事ができない」
 ギルガメシュは空を見上げて、シャマシュを見た――燦然と輝いている。
 「問題ない様だが……」
 「いや、それはこの石像のお陰だ。この石像のお陰で、シャマシュは生きている」
 ギルガメシュは少し楽しくなってきた。
 「ではお供え物が足りなくても、明日シャマシュは登るのではないか」
 「いや、シャマシュは生きているから、お供え物が足りないと、明日登らない」
 ギルガメシュは頬を緩め、相好を崩した。
 「汝が考えるシャマシュとは何か」
 「神々の一人だ」
 「神々が死ぬという事があるのか」
 「ない」
 「ならば、お供え物が足りてようが、足りてなかろうが、石像と関係なく、死ぬ事はない」
 「だが明日登らない」
 神官は繰り返し言った。
 「理由は何だ」
 「お供え物が足りないからだ」
 「お供え物が足りないとなぜ登らない」
 「それはシャマシュが生きているからだ」
 「では問うが、死ぬ事がないものが、生きているとはどういう事か」
 神官は沈黙した。ギルガメシュは微笑んだ。
 「もうよかろう。このラピスラズリを渡すから、何処にでも行け」
 「いや、それはできない。私は神官だ。お供え物がないと生きていけない」
 ギルガメシュは怒って、石像を打ち砕いた。そしてあの船頭の処へ行った。ウルシャナビは、眼を向けた。ウルシャナビは、ギルガメシュに向かって言った。(注44)
 「汝の名は何と言うか教えてくれ。儂の名はウルシャナビ、遥かなるウトナピシュティムに仕える者だ」(注45)
 「我が名はギルガメシュ。ウルクから来た者だ。山々を横切って来た。シャマシュが上る処からの遠い旅だった。ウルシャナビよ、汝の顔を見たからには、遥かなるウトナピシュティムまで我を案内してくれ」(注46)
 ウルシャナビは、ギルガメシュに向かって言った。
 「よかろう。それでは支度ができたら船に乗れ。儂が案内しよう」
 それからギルガメシュは、船に乗って、川を下った。ウルシャナビは、巧みに船を操って、ギルガメシュを河口に運んだ。船着き場に着くと、また人里があった。ウルシャナビは、陸に上がると、人里を抜けて、ギルガメシュを案内した。
 近くに山があり、緑が生い茂る庵があった。ウルシャナビの話では、ここにウトナピシュティムが住んでいると言う。ギルガメッシュは礼を言うと、ウルシャナビは船着き場に戻った。
 ギルガメシュは庵を訪ねたが、留守であった。手持ち無沙汰になり、近くを歩いてみた。見慣れぬ植物が自生し、聞いた事がない鳥の鳴き声がした。庵の裏庭は、庭園であった。ここはどこかに似ていた。そうだ。ここにあるものは、忘れ去られた園と似ている。
 ふと人の気配を感じた。振り返ると、深い眼をした壮年の男が立っていた。
 「我が名はギルガメシュ。庵を訪ねたが、留守だったので、ここで待たせてもらった」
 「私の名はウトナピシュティム。この庵の主だ」
 ギルガメシュは、とうとう遥かなるウトナピシュティムに会えた。長かったが、会ってみた感じでは、確かに不思議な目をしているが、特に変わったところはなかった。ただこの庭の主という感じはした。それだけでも普通の人ではない。
 「――随分、遠くから来た様だな」
 ウトナピシュティムは、ギルガメシュを見てそう言った。ギルガメシュは答えた。
 「遥かなりというウトナピシュティムの許に来て会うまでに、国々を彷徨い歩いた。険しい山々を越えて来た。渡る事の難しい海を横切った。我の顔はうまき眠りに満ち足りてはいない。眠らぬために我が身を苦しめ、手足を嘆きで満たした」(注47)
 ウトナピシュティムは黙って話を聞いていた。
 「シドゥリの家に着かぬうちに、衣服は擦り切れ、身体は垢に塗れた。我が殺したものは、熊、ハイエナ、ライオン、豹、トラ、鹿、大山羊、野の獣と生き物達、それらの肉を食べ、それらの皮を我が身につけさえした」(注48)

                          第十の粘土板 了

『我が友エンキドゥ~いつかのどこかの誰かのための物語~』
第十一の粘土板 遥かなるウルシャナピシュティム、大洪水と箱舟 11/12話


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?