清く、正しく、美しく

とても悲しいニュースを目にした。

強い衝撃であると同時に、長年のファンほど「いつか起きてしまうんじゃないかと思ってた」のが本音ではないだろうか。

こういったことが現実になってしまう前に組織の意識改革ができれば良かったのに。何度も生まれ変わるチャンスはあったのに。日本の組織は外圧か死者をきっかけにしか変われないのだろうか。

臭いものに蓋。事なかれ主義。問題の先延ばし。

あらゆる組織において陥りがちな思考。エンタメ企業においてはそこに「ファン」も加わってしまうのだな、と感じることが最近多い。

問題に直面するのは大変な作業だ。できることなら、何も考えずに楽しんでいた昨日と同じ明日が続いて欲しい。そういう気持ちもわかる。

だけどその「楽しみ」や「平穏」が誰かの犠牲の上に成り立っていたのだとしたら?そのまま在り続けることは本当に良いことなのだろうか。ファンとして本気で"娯楽"を享受できるのか。

そもそも問題が表面化した時点で、世間は何も知らなかった頃に戻れるはずはなく、組織が根本から生まれ変わらない限り同じような勢いを盛り返すことは未来永劫ない=その事業に未来はない。自分の気持ちを正当化しようと一時ごまかしたところで事業自体はこれまで通りにはいかないのだ。

「完璧」はない

最近、すごく思うんだ。

完璧な理想通りの人間も組織もない。だから、完璧な理想通りを演じるのはやめよう。理想を他者に押し付けるのもやめよう。それがポジティブな向上心や応援の気持ちから始まったことであろうと、結果としてどこかに多大なストレスがかかってしまう。

完璧で理想通りの組織だから「いじめ」や「虐待」があってはならない。そういう意識が問題の隠蔽に走らせるのではないだろうか。

日本(もしかしたら韓国も)は完璧や理想通りを目指すことを素晴らしいことだとする風潮が強いような気がする。いわゆる「最上志向」というやつだ。わたしもストレングスファインダーの結果に持っているが、日本人にいちばん多い資質らしい。

義務教育が既にそうで「不完全な子供という存在を完璧で絶対的な教師によって真っ当な人間に育てる」みたいな意識だよね。と、海外の学校を知って感じるようになった。儒教の影響なのかな?知らんけど。

子供であろうと1人の人間で、それぞれ異なる考えを持ち、それぞれの存在が認められている、という意識がない。だから、子供たちを常に「今の自分ではない何か」を目指さなければいけないような気分にさせる。

そういう国ではきっと「ボディポジティブ」のような考えも根付きにくく、「元々スタイルのいいモデルが必死に作り上げた完璧な体で下着を着こなすヴィクシーショーの方が良かった!」みたいな感想が出るんだろう。

別にそういう考えも間違っているとは思わないし、共感できる部分もある。自己受容のレベルよっては向上心と反比例し、ただの怠惰な人間になってしまうかもしれないし。(真の自己受容は向上心、というか拡大する意識を育むと思ってます。)どちらの考えも善し悪し。

だけど、自分や他者にあまりに完璧、理想を追い求める考えはどこかに無理が出て、壊れてしまうのが必然だとわかっていた方がいい。

「完璧・理想を目指す」=現実は不完全で理想から程遠い

その前提を自分に対しても他者に対しても持ち、優しい眼差しで見つめたい。



最後になりましたが、亡くなられた生徒さんのご冥福を心よりお祈りいたします。

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