「枯れない花」#掬することば

※2月4日の「World Cancer Day」に向けて、豆本詩集『汀の虹』の詩を、noteに1日1篇ずつ置いています。
27篇目は「枯れない花」です。

Flowers 「アジサイ」×「ストローバイン」×「アマランサス」×「ライスフラワー」(2017.09 花店note)

「花」というのは、物心ついた頃から身近にあって。わたしに生と死を見つめるきっかけをくれた存在でもありました。

記憶を辿ると、桜の町で生まれ育った私にとって、花とは毎年当たり前のように空を埋め尽くして咲くもの。雨風とともに散っても、季節が巡れば必ずまた戻ってくる。そんな風に、ただただ「生」を感じさせてくれる存在でした。

その生が永遠ではないことに気が付いたのは、10歳の春でした。生まれ故郷を離れて越した町は、震災後間もない町。そこで出会ったのは、更地や道端に手向けられた花束たちでした。

ある日突然手向けられては、日に日に枯れてゆく。静けさの中にあって、どの存在よりも雄弁に語りかけてくる何かもあって。でもどれだけ想いを巡らせても、その花の本心には触れることができない。そんな花たちを横目に通り過ぎる日々に、いつも心の奥がぎゅっと締め付けられていました。

そんな花に対する想いに初めて触れたのが、3年前の書いた「mémento-mori」という文章でした。

この文章ではまだ想いで触れることができていなかったのが、この「枯れない花」で綴った花の記憶でした。

がんになってから、わたしは花を見るのがつらくなっていきました。その気持ちとは反対に、がんになってからある時期までは、人生で一番たくさんの花束をもらった期間でもありました。

お見舞い、お見舞い、お見舞い、お見舞い。寛解祝い、誕生日祝い、1年祝い、2年祝い…。 もらった季節は大半が春から初夏で、ほとんどの花束に小さな向日葵がいました。その時期花店で手に入りやすかったというのもあったのかもしれませんが、みんな「みちのイメージだから」と向日葵を贈ってくれました。

小さく明るく太陽のように咲く向日葵には、元気をもらいました。その反面、贈られたその瞬間から例外なく枯れてゆくその姿を毎日見続けるのが、どうにもくるしく感じていました。

丁寧に水切りして毎日水を変えても、切り花はそんなに長く生きることができません。傷んで枯れはじめると、とたんに色を失い、茎がくにゃんと折れたり、どろっと溶けだしたり。

だんだんと溶けて死の薫りを放つ花たちは、がんの治療で溶け出たがんの死骸を思い出させます。そうなると、もう最期まで見届けることができなくて。死の気配を感じると怖くなって、花束ごと捨ててしまうようになりました。

わたしが暮らしているのは、まわりに自由な土のない街の小さなマンション。土に還すことはできないので、ゴミ袋に入れて捨てることになります。自分の手で水から上げて、袋の封をして可燃ごみとして捨てる。

袋に押し込めた傷んだ花を見つめると「まだまだ生きれたんじゃないか?」という問いをつきつけられます。でも、やっぱりこれ以上腐ってゆく姿を、薫りを感じ続けることができなくて、まだ生きている花を棺に押し込めてしまう。水からあげる時の「自分が殺してしまった」という感覚がとても耐えられなくて。自分では花束を買うことができなくなりました。

そんなことを綴ったのが2年前に書いた「一輪の花」という文章です。

そんな理由で生花と距離を置いていた頃に出会ったのが、「一輪の花」でも触れた花店noteさんのシャーレでした。緑地公園駅近くにある書店 blackbird booksさんの店内で月に1度だけオープンされている花店。がん治療後のリハビリを兼ねて、歩いて通いはじめた場所でした。

生花やスワッグに交じって並んでいた直径9cmほどの小さな透明な器には、季節の小さな花たちが閉じ込められていました。乾燥後に手入れされて閉じこめられたその花たちは、出会った時のほぼそのままの色かたちで在ってくれる。そう教わると、これなら大丈夫かもしれないと、掌の中にすっぽりとおさまるその花たちを毎月コツコツと集めるようになりました。

「枯れない花」に綴っているのは、そのシャーレの記憶。そして詩の最後に添えた一節はMr.Children『花 -Memento mori-』という歌のことです。

震災後間もない被災地に越して、初めて季節がひと巡りした1996年の春。11歳のわたしが聴いた歌でした。小学校へ行く前に点いていた朝のテレビ番組でMVが流れて、何だかどうにも気になって。物心ついてから初めて「大事したい」と思った歌。当時はCDを買うようなお金もなかったけれど、随分大きくなってから購入した8cmCDがまだ手元にあって。曇り空に浮かんだ歌詞の面を表にして、今も作業机の前にぶら下げています。

負けないように 枯れないように 笑って咲く花になろう
心の中に永遠なる花を咲かそう
(Mr.Children『花 -Memento mori-』)

このことばを、11歳の春からずっと心の中で握りしめていて。シャーレに出会った時「わたしが握りしめていたのは、きっとこの花のことだな」と感じて、いつか本に綴じたいと思っていて。その後『汀の虹』を制作することになり、最初から「絶対に触れたい」と強い思い入れをもってことばを考えたのが「枯れない花」の記憶でした。

それほど強い、22年越しの想いを込めたことばなのに、それから1年半で一番心境に変化があったのも、この「枯れない花」のことばでした。そのことは、最期の一篇に触れた後、明後日に「時間の花」ということばとともに。その変化もまた、生きていること、生きてゆくことの実感をもらっているような気がしています。

かれる【枯れる】
1 草木が、水分などがなくなり、生命を保つことができなくなる。花や葉が変色したり、落ちたりする。
2 張りやみずみずしさがなくなる。本来の勢いがなくなる。
3 人物や技術が練れて、深みが増す。円熟して、落ち着いた深い味わいが出てくる。
4 技術や製品などが、その登場から十分な時間が経ち、すでに問題点が出尽くし、解決も済んでいる。最先端のものではないが、不測の事態が発生しにくく、安定して動作することを意味する。
5 動物が死んで干からびる。
6 膿 (うみ) が出て、おできの表面が乾く。
7 滅んでしまう。
(デジタル大辞泉)
はな【花/華】
1 種子植物の有性生殖を行う器官。
2 花をもつ植物。また、美の代表としてこれをいう語。
3 桜の花。
4 2のうち、神仏に供えるもの。枝葉だけの場合もある。
5 造花。また、散華 (さんげ) に用いる紙製の蓮の花びら。
6 生け花。また、華道。
7 花が咲くこと。また、その時期。
8 見かけを1にたとえていう語。
9 1の特徴になぞらえていう語。
㋐華やかできらびやかなもの。
㋑中でも特に代表的で華やかなもの。
㋒功名。誉れ。
㋓最もよい時期。また、盛んな事柄や、その時節。
㋔実質を伴わず、体裁ばかりよいこと。また、そのもの。
10 1に関わるもの。
㋐花札  。㋑心付け。祝儀。
11 世阿弥の能楽論で、演技・演奏が観客の感動を呼び起こす状態。また、その魅力。
12 連歌で、花の定座。また、花の句。
13 和歌・連歌・俳諧で、表現技巧や詞の華麗さ。
14 梅の花。
15 花見。特に、桜の花にいう。
16 誠実さのない、あだな人の心のたとえ。
17 露草の花のしぼり汁。また、藍染めで、淡い藍色。はなだいろ。はないろ。
18 華やかなさかりの若い男女。また、美女。転じて、遊女。
19 「花籤 (はなくじ) 」に同じ。
(デジタル大辞泉
『汀の虹』のみちしるべ 
『汀の虹』は、がんによる孤独の中で握りしめていた“ことばの欠片”を道標に制作しています。握りしめていた“ことばの欠片”の大半は、それまでの人生で大切な人から贈られたことばや、何度も触れた本や音楽、映画のことばでした。

そこからことばをひとつ手にとってはタイトルとして置き、心の奥に沈んだ治療前後の記憶を一つずつ掬い上げ、重ね綴っています。この本や歌、映画の中にあることばや情景をみちしるべにしていたような…という作品のタイトルだけ、最後に添えていきます。(以下、敬称略)

「枯れない花」
Mr.Children『花 -Memento mori-』


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『汀の虹』

流産とがんを経験した3年間の心の変化を、小さな詩と花とともにおさめた豆本詩集。がんになって5年目の節目に、綴ったことばをもう一度掬い上げて置きなおしています。
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