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カパーラ・バーティ(kapalabhati)の考察①

カパーラ・バーティ(kapalabhati)はサンスクリット語で、

・カパーラ(kapala)=頭蓋骨
・バーティ(bhati)=光、光り輝く

この2つから成り立ってる言葉で、「頭蓋骨の光」、「頭蓋骨が光り輝く」、「光り輝く頭蓋骨」等へ訳されることが多い。


カパーラ・バーティは、現代では一般的にpranayama(プラーナーヤーマ)と呼ばれる調気法の練習でやることが多いけど、ハタ・ヨガの古典テキストではshatkarma(シャットカルマ)又はshatkriyas(シャットクリヤ)と呼ばれる、「6つの浄化法」の中の一つと言われる。


shatkarma(シャットカルマ)又はshatkriyas(シャットクリヤ)と呼ばれる、「6つの浄化法」については、ハタ・ヨガの古典テキスト『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』と『ゲランダ・サンヒター』に記述されている。


15〜16世紀に作られたとされてる『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』では、「鍛冶屋の使うふいごのように、すばやく交代する呼吸がカパーラ・バーティといわれるもので、粘液質の過剰からくる疾患を消す。」と記述されている。


17〜18世紀に作られたとされる『ゲランダ・サンヒター』では、「カパーラ・バーティーの作法は、⑴ヴァーマ・クラマ、⑵ヴィウット・クラマ、⑶シート・クラマの三種の方式で行うべし。この作法によって粘液性の疾患を覗くことができる。」と記述されている。


テキストを実際見比べるとわかるけど、同じカパーラ・バーティでも『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』と『ゲランダ・サンヒター』で説かれている内容は異なってる。


2つのテキストで共通してるのは、鼻詰まりや気管に溜まった痰などといった、粘液質の疾患を取り除くことを主たる目的としてるところ。


ちなみに、カパーラ・バーティ(Kapalabhati)は「shatkarma(シャットカルマ-6つの浄化法-)」の1つということは、『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』と『ゲランダ・サンヒター』で共通しているが、位置付けが少し違う。


『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』では、asana,pranayama,mudra,raja yogaと、大きく分けると4つの行法があり、pranayamaの練習の中にある1つとしてshatkarma(6つの浄化法)は位置付けされてて、肥満体質と粘液体質の人はpranayamaをやる前にやった方がよく、他の人は行う必要はないと記述がある。


『ゲランダ・サンヒター』ではshatkarma,asana,mudra,pratyahara,pranayama,dhyana yoga,samadhi yogaと、大きく分けると7つの行法があり、「shatkarma(シャットカルマ-6つの浄化法-)」は、ハタ・ヨーガの7つの行法の中の独立した項目の1つとして記述されてる。


つまり『ゲランダ・サンヒター』では、カパーラ・バーティ(Kapalabhati)がpranayamaではないということが明確に記述されているということになる。


僕がこれまで学んできた先生方も、「カパーラ・バーティ(kapalabhati)はpranayamaと言われることもあれば、shatkarma(又はshatkriyas)と言われることもある」と言ってたのはこういう理由があるからなんだな。実にわかりづらいよね...笑


同じ言葉でも内容が異なる。ということが、ヨガを学んでいると沢山ある。笑 多分そこが混乱を生みやすい理由。


理解していくには背景を見ていく必要があったりする。背景っていうのは、歴史、宗教、文化、政治、社会、どんな人達が作ったのかなどの背景。それと併せ、文献や学んできた方の意見を客観的に見比べることも必要。これは理解を深めるし、違う視点から物事をみることにも繋がり、視野を拡げてくれるし。


そのうえで出したそれぞれの、そのときの見解(又は結論)はどれも間違ってないし、それ自体も変化してっていいと思う。

今までなかった新しい情報も出てくるし、これまで常識だと思っていた情報も覆ったりするし。


これはヨガに限らずどのことでも言えると思うけど。


変わることは悪いことでも変なことでもない。むしろ自然。


これまで調べたことを少し整理すると、

●『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』におけるカパーラ・バーティ(Kapalabhati) = pranayama

●『ゲランダ・サンヒター』におけるカパーラ・バーティ(Kapalabhati) = shatkarma(又はshatkriyas)

と、大きい分類では言えることになると思う。


が、ここでまた謎...『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』二・三五のとこに記述ある「鍛冶屋の使うふいごのようにすばやく交代する呼吸がカパーラ・バーティといわれるもの~」とあるけど、現代では「鍛冶屋の使うふいごのようにすばやく交代する呼吸」はバストゥリカ(bhastrika)と教えられること多いのはなぜ??


そして、『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』二・六二のバストゥリカの項目を読むと、「再び同じ仕方で息を吐き、そして息を吸い、これを繰り返すこと、あたかも鍛冶屋がふいごを力を込めて踏むが如くである」と記述がある...これカパーラ・バーティと説明ほぼ一緒でめちゃわかりづらっ 笑


又、バストゥリカの練習方法は「吐くときは積極的に腹筋を収縮させ、吸うときも積極的に腹筋を拡張させる。」と教えられることもあれば、「吐くときもは積極的に胸筋を収縮させ、吸うときも積極的に胸筋を拡張させる。」と教えられることもある。


自分が習ってきた複数の先生方に聞いたことをまとめると、両方あるってことだなと自分は認識してる。


バストゥリカの練習方法の2つの見解で共通してるのは「積極的に収縮と胸筋を拡張させる」という点。つまり吐く息と吸う息を両方能動的に行うということだよね。


ただこれを「吐くときは積極的に腹筋を収縮させ、吸うときも積極的に腹筋を拡張させる。」のと、「吐くときも積極的に胸筋を収縮させ、吸うときも積極的に胸筋を拡張させる。」のでは効果が異なると思ったので、近代ヨガの代表的な文献の一つで『ハタ・ヨガの真髄(Light on Yoga』を読んでみたら、


『ハタ・ヨガの真髄(Light on Yoga』では、「鍛冶屋の使うふいごのように、すばやく交代する呼吸」はバストゥリカ(bhastrika)とされいて、カパーラ・バーティ(kapalabhati)は「カパーラは頭蓋骨、バーティは光のこと」と書かれていて、


『ハタ・ヨガの真髄』では、カパーラ・バーティは、肝臓、脾臓、膵臓、腹筋を活発にし強化し、消化能力が増して、鼻腔の通りが良くなり、眼は涼しく感じ、気分が陽気になるとあると書かれてて、


『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』と『ゲランダ・サンヒター』2つのテキストで共通してた、鼻腔の通りを良くするということも書いているが、それプラス、肝臓、脾臓、膵臓、腹筋を活発にし強化し、消化能力が増して、眼は涼しく感じ、気分が陽気になる、ということが書いてある。


ちなみに2つの古典テキストとの違いは、『ハタ・ヨガの真髄』が書かれたのは1960年代だから、ヨガの歴史からいったら、めちゃくちゃ最近だから、古典テキストが作られた時期より、医学や解剖生理学、欧米の様々な身体文化も発達してきてるから、そういった視点も入ってるからではないかと思う。


カパーラ・バーティでやっていることの解剖生理学的な効果として交感神経の活性化があるけど、これによって「眼は涼しく感じ、気分が陽気になる。」という要素が『ハタ・ヨガの真髄』では入ってるんだと思う。


ただ「消化能力が増す」っていう部分に関しては、交感神経の活性化では起きないことだから(交感神経活性化の時は消化能力が下がるから)、腹筋を能動的に収縮させることを繰り返すとにより内臓の動きを活性化させることにより消化能力を上げるということを書いてるのかなと思った。


『ハタ・ヨガの真髄』の中ではカパーラ・バーティについて「カパーラ・バーティのクリヤのプロセス」という項目で書かれていて、それは「バストゥリカをより穏やかにしたもの」と記述されてる。「カパーラ・バーティでは、吸気はゆっくりで呼気は強い」とも書かれている。


これはカパーラ・バーティが、「吐くときもは積極的に腹筋を収縮させ、吸うときも積極的に胸筋を拡張させる。」というバストゥリカのやり方を穏やかにしたものという意味に確かになるよね。「吸気はゆっくり」と書かれてるから。


そして『ハタ・ヨガの真髄』著者のB.K.S.アイアンガー先生は、『ゲランダ・サンヒター』より『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』のカパーラ・バーティと同じような位置づけをしてる気がする。pranayamaという項目の中にあるshatkarma(shatkriya)という位置づけ。


現代で一般的に行われているカパーラ・バーティの練習方法は、「吐くときだけ腹筋を収縮させ、吸うときは自然に緩める」。これは割と共通してこのように教えられること多いし、自分もこのように練習してるし教えてて、


B.K.Sアイアンガー先生が書いた『ハタ・ヨガの真髄(Light on Yoga』の見解と繋がっているんだなということがわかる。ただ僕の場合は、最初に左右の鼻腔それぞれでやってから両方の鼻腔でやるというやり方をすることが多い。


又、『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』『ゲランダ・サンヒター』『ハタヨガの真髄』など複数の文献や、自分が複数の先生方から学んできたことや練習してきたことをもとに見解を出すとすると、「鍛冶屋の使うふいごのようにすばやく交代する呼吸」がバストゥリカだと言えると思っている。


そして自分はバストゥリカを「吐くときもは積極的に胸筋を収縮させ、吸うときも積極的に胸筋を拡張させる。」というやり方で教えてる。この時は、胸で呼吸することによって、結果的にこの動きは腹筋が収縮されている状態ができてたりする、腹筋の拡張は起きないけど。


といったように、カパーラ・バーティ(kapalabhati)とバストゥリカ(bhastrika)の練習方法は、前述したことや、これは自分の教わってた先生方からの学び、生理学的な観点、自分の練習経験から、自分なりに今の見解を出してる。勿論これは変化していく可能性だってある。


テキストを編纂した方々や、ヨガの先生方がそれぞれ、古くから伝わってきているものの良いと思うところを残しつつ、その時その時代で自分なりに見解を出して変化させていくっていうのを、ヨガの歴史を見てくと、インドの方々はずっとやってきてて、


その結果、例えばハタ・ヨガのテキストのなかで、言葉は同じでもその内容がテキストによって違ったり、先生の教え方が異なっていたりということが起きたりしてるんだと思う。


僕の学んできた、Jason Birch先生、Jacqueline Hargreaves先生、Emil Wendel先生、Mark Singleton先生は、こういうことを今も研究し続けていて、今まで知らなかった新しい情報が沢山出てきてて、


Jason Birch先生、Jacqueline Hargreaves先生が運営している「The Luminescent」では最新の研究が読むことができたりする。
https://www.theluminescent.org/p/jason-birch.html


古くから伝わってきてるものに敬意を払いつつも、変化させていくっていうところ、ブラッシュアップさせたり、そのときそのそのときの自分なりの見解を出しているところが、 ヨガの好きなとこだし、面白いなと思うところ。歴史見てくと面白くて、結構大胆なんだよ。変化を恐れないところとかも好き。


最初ヨガの古典テキスト読むとき例えばだけど、サーンキャ哲学の流れからきてる文献(例えば『ヨーガ・スートラ』と、アドヴァイタヴェーダンタやタントラの流れからきてるハタヨガの文献(『ハタ・ヨガ・プラディーピカー』など)は根本が異なる哲学から来てるから、


「ヨガの文献」という視点では同じになるかもだけど、最初読むとき全く別ラインのものとして読むと理解しやすい。自分はそれを最初知らなかったからすごく混乱したから。その哲学体系や、作った人たちがその時代背景の中でどういう立ち位置の人達だったのか等も調べつつ読むと理解しやすく面白い。

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