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41/1096 限界を超えるとき

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で41日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくない人は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

41目の今日は、昨日に引き続きまたトラブル。なんと、高いところを見ようとして椅子の上に立っていて、終わってしゃがんだあと隣にある椅子にポンと腰掛けようとして、隣にあると思っていた椅子は知らぬ間にちょっと離れたところに動かされていたため、無防備なまま床に落ち、尾てい骨を強打した。そのあと数時間が経過したが痛くて座ることができない…

夕飯の半分は立ったまま食べて、あと半分はソファーで食べたけれど、痛みで味があまりわからなかった。
落ちたときに頭も打ったせいか、頭痛がする…寒気もするのだが尾てい骨は大丈夫なのだろうか…

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というわけでパソコンの前に座ることができないためベッドでiPhoneだけで書いているのだけど、このnoteのアプリはiOSとの互換性が悪くてすぐに落ちる。こまめに保存をしないと書いたものをその度に失ってしまう。
(ちなみにPC版のインターフェースも他エディタで編集したものの改行が反映されなかったり、ページを移動する前の警告がなかったりとかなりお粗末なので、昨日のように記事を失う危険性が。なんとかならないものだろうか…)

昨日に引き続き、このような状況こそが真価を問われるときなのだろう。どんな姿勢でも痛むので、頭がほとんど働かないけれど今日も書こう…昨日に続いて飛雄馬モードでいくぞ!!

こういう時、人はついつい普段の意識では出てこないような正直な本音が出るものなのだろうか。
それは、酒を飲んでちょっと酔った時のように。
痛みのために心の覆いのようなものを保っている余裕がなくなり、ついつい普段は言わないような不満を平気でぶつけたりしてしまうような気がする。

お酒を飲んだときは逆にその覆いを保っておくための緊張感が緩んでしまい、泣きたいのを我慢している人は泣上戸に、怒りをためている人は怒り出し、バカにされないように気を張っている人はヘラヘラしてしまうのではなかろうか!わたしは普段飲まないためかすっかりお酒に弱くなり、飲めばデレデレしたりトローンとしたりの典型的な酔っぱらいになってしまう。
え?常にお酒を飲んでいたい人はって?それはアルコールに依存があるのだ。

痛みの中で依存の話をして思い出した。
わたしたちは自分で自分を傷つけることを、やめたくてもやめられなくなってしまうことが多々ある。
過去のことを忘れたくてもそれに反応し続けてしまうことを含め、さまざまな、自覚できずにいるセルフイメージなどで。

わたしは、自分からどう思われているのかによってわたしたち自信が傷つき続けていることがとてもよくあると思っている。
人からどう思われるかではなく、自分からどう思われるか、だ…!
なぜなら、人から何を言われても、こちらが気にもしないことでは傷つかないからだ。

たとえば、「ミユさん、三年間の毎日投稿などというものを公言して始めるなんて本当にバカですね。」と言われたとする。
そこでもしわたしが、バ、バカとはなんだひどいじゃないか!と傷つき怒るとしたら、それは自分でもちょっと、「これは無鉄砲すぎたか…?!バカなことを言ってしまった…」と思っているからだ。

もしそうではなく、自信満々で大丈夫だと信じ切っていたとすれば、傷つくどろこか可笑しいことであろう。「クックック、お主にはバカに見えるのじゃな。それは毎日投稿がお主自身には難しいことだからじゃよ。わしにはちっとも難しいことには思えぬから少しもバカだとは思わんのじゃ。ひっひ、3年後に祝うのが楽しみじゃな、」と思うだろう。
そしてきっと、「たしかに初めはバカだと思っていたのだけど、案外そうでもなくなってきましてね、これが!」と言って笑うだろう。相手も笑うだろう。

つまり、言われた内容は本当は問題なのではなく、こちらの在り方がそれに対する反応を決めるのだ。

このとき、なぜ人から何かを言われて傷ついたと感じるのかといえば、それは普段自分が自分につけている傷が、その言葉で露呈するからである。
バンドエイドをはがされて!

わたしが、「毎日投稿なんて無茶すぎた…なんてバカなんだ、お前になんかできるもんか!そのうちやれない日がでてくるさ。とても信用できるものか!」と、自分からこう見られていて、それによっていつも傷ついていたとしたら、人から同じことを言われたことによりその傷に「気がつく」のだ。

自分で自分を傷つけることをなぜ保ってしまうのかといえば、それはその状態に慣れ親しんでいて、そこに落ち着きを感じるからだと思う。
自分はそんな程度のやつ・・・というところにいるのが楽になってしまっている。それは、自分にはそれが相応しいと判断しているからだと思う。
 
そんな自分をただじっと観察していると、そんな思い込みを持って傷つきながらも生きている自分が愛しく思える。自分を信じるのが怖くて、ダメだと思い込んで、そこに振り回されながら、悲しみを抱えて生きている。
そんな姿も勇姿だと思えてくる。
 
その自分を、責めるのはやめよう。責めるくらいなら愛そう。
そして愛するなら、無条件にただ眺めてあげよう。
北風と太陽、の太陽であろう。
 
振り回されてるな、ただの思いこみなのに、それを信じちゃうんだな。
そう客観的に思えたら、しめたもの。
なぁんだ、ただの思いこみだった!まであと一歩。
そして、だったら新しく生きてみちゃおう!まで、あとほんのちょっとだ。
 
「あなたの能力に限界を加えるものは、
他ならぬあなた自身の思い込みなのだ」
とは、ナポレオン・ボナパルト(19世紀初めフランスの皇帝・軍人、1769~1821)の名言だ。
 
わたしたちは、自分を眺めることから、いつだって新しくなれる。嫌なことがあったら、そのチャンスを自分にもたらしたということなのだ。その波に乗って、知らない自分を見に行ってしまおう!
己を眺める勇気と、まだ見ぬ可能性を、あなたに・・・
 
今日はこんなところで。また、明日ー!
(ここまで夢中で書いてきたら、尾てい骨の痛みも頭痛も寒けも吹っ飛んでしもた!!読んでくださって、ありがとう)
 
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