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還るもの、飛んでいくもの

マルコーンというわたしの住むヴェネツィアの小さな町の工業地帯の外れに、バンカ・ポポラーレという名の銀行がある。

英語にすると、ポピュラー・バンク…なんというか、お、おう、そうだよな、それがいいよな、という気持ちになる。
これを日本語にするとなるとちょっと捻りが必要で、英語から直訳した「人気銀行」というよりは、大衆銀行や国民銀行といった意味で、これだとむしろ英語よりも違和感がない。
わたしはこのポポラーレという単語の発音が可愛らしく感じられて好きだ。タンポポの綿毛のようであーれ、という感じがする。君よ、ポポラーレ!と、造語として使いたくなる。

このバンカ・ポポラーレは、ほどよく運動をする気さえあれば、我が家から歩いて行ける距離にある。
これと道路を挟んだ向かいには広大な畑があって、その真ん中には木とオレンジ色の煉瓦だけで作られた長い間無人の農家がポツンとある。
昔ながらの素朴で可愛らしい納屋付きの家だ。イタリアの法律で古い建物を簡単には取り壊すことができないために、この農家はもうずっとそこにある。
広い畑は機械でとてもよく手入れされていて見事に草がないから、その素朴な納屋付き農家が四方どこからでも見える。
それで、その農家が正義みたいに青々として常に威勢のいい蔦にひたすら蝕まれて哀れに朽ちゆくのを、何年も見世物のように衆目に晒しているのだ。
雨も風も太陽でさえもその正義の味方で、農家は黙って彼らの無情の活躍を浴びながらそこで逃げずに負けていて、少しずつ角が落ちて丸くなりながらその身を失っている。

わたしの住む家からこの町の唯一のデパートに行くにも、古い教会のあるこの町の中心に行くにも必ずそこを通るのだが、見るたびにわたしは、これに見慣れてはならないような気がしていた。
かつてその農家に住んでいた人を知らなくても、だから進んで彼らの代わりに罪悪感を持っていた。
無人にしてごめん。何もしてやれなくてごめん。
あの家でのいろんな思い出たちに綱のような蔦を絡ませて、ただただ崩れて小さくなっていくままにして、ごめん…

初めのうちはその哀しい姿を見たときに湧く罪悪感から毎度のように逃げようとする自分がいた。わたしはそんな自分の弱さにひとり小さくしょげた。幼い頃から知っている感覚だから、わたしのこうした傷つきやすさは死んでからも続くような気がいつもしていた。

ところが、7年もここを通るうちに、次第にその「ごめん」を土の暖かさのような諦めが包みはじめて、今ではこの農家を見るのがそんなに悪くないと思えるようになった。見慣れたのもあるだろう、古きものへの美を見出したというのもある。
でもそれ以上にわたしが持ったのは、それに対する完膚無きまでの無力さへの自覚だった。少しずつ積もって、あるときパツンとそこを悟った。
何もできないのだ。本当に何も。ごめんもなにも、完全にどうしようもない。どうすれば自分が満足なのかすらも、わからない。
畑に不法に入って蔦を少しは刈ることができるだろう。けれども、この農家がまっすぐに進みゆくレールから降ろしてやることはわたしにはできない。
勝手に哀れんでいたが、それはわたし1人の真実だ。それで充分じゃないか・・・
それからは時と共に、同情が尊重に入れ替わっていって、そこを通る時の気分が良くなってきたのだ。

自然のなすがままに粛々と果てに向かっていく往生のさまを、包み隠さずに通るものすべてに分け与えるこの農家に、今では威風を感じる。
哀れんでいた頃には合わせられなかったところにピントが合うようになった。農家はあの畑と仲が良いようだ。
あれはいつか、畑の懐で土の肥やしに。
あそこでの思い出も、誰かの人生の肥やしに。
ゆっくりと、柔らかくなって、形がある今よりも暖かいものになってから、また新しいなにかになるのだろう。

わたしは、この自分の変化を年の功と呼んで良いものに思える。
わたしにも歳を重ねたことでこんな恩恵があるのかと、この頃こうしてよく思う。長い目が少し備わって、昔よりずっと穏やかになった。
なんでもないようなことから大きく学んだり、静かなことにありがたみを感じるし、ちょっとしたことに幸せをたくさんみつける。
新宿のアルタ前の交差点を渡ったところで、ヤクザのおじさんと喧嘩をしてものすごい数の野次馬の中で啖呵を切ったりした頃のあの可笑しな馬鹿は、もうすっかりわたしではないんだ。あれも己の肥やしとなったのだろう。

そのポポラーレの建物の前には、家が二軒は建ちそうな石畳の外構部があり、ここにベンチやただの大きな直方体のコンクリートの腰掛けなどがある。

まずもってなんの意匠もなくそこに配置されたであろう彼らは、その出生時の生みの親の心に拘うことなく、余計なことは望まずに朗らかに納得してそこにいる。
そのおかげでそこは殺伐としなくて済んで、とても気持ちの良い場所となっている。

険悪な言い合いをしたあとの夫婦の気まずさをハイハイしてきた赤ちゃんが何をせずとも無効にしてしまうように、そこに触れず関わらずに問題を解決してしまう脳天気な中立さがそこにはあって、目の前の農家の意味深い存在を、ただののんびりとした風景にしてしまう。
だからわたしはいつでもこの場所が好きだ。

一昨日の日曜もよく晴れて暑かった。わたしと娘はそのポポラーレ銀行の前まで一緒に散歩をした。
たまに手を繋いで、暑くなると離して、前後になったり横に並んだりしながら。暑いね、バカ暑いね。愛してるよ、ママもだお。水持ってる?あ、持ってこなかった!犬は可愛いね、猫も可愛いね、子うさぎも可愛いね。と話しながら。

着いてみると、ポポラーレ前は、いつものように誰もいない。ここにはいつも人がいないのだ。こんなに気持ちの良いところなのに、ここには銀行に用事のある人しか来ない。
これぞ現代という気がする。スマホで己を操縦しているみたいに画面だけを見ながら器用にベンチを避けて行く人や、車を停めてすぐさま消える人だけがここを通る。
この銀行には口座のないわたしと娘は、ポポラーレ前の気持ちのよさを求めて来るのはわたしたちだけだと知っているから、この場所を二人占めするのを楽しみに来たのだ。

娘と二人で日陰にある白く塗られたコンクリートの腰掛けに座る。
日陰にあるそれはひんやりとして、わたしたちは歓喜して無駄なほど褒めた。お前偉い!これを作ったポポラーレ銀行も偉い!
炎天の下にポトポトと足音を落としては蒸発させながらじっと歩いて来た身にとって、そこにいて風が吹き抜けるときの涼しさには、クーラーでキーンと冷えたときとは違って「わたしと自然のコラボレーションだ!」という生きた喜びがいっぱいだった。

わたしと娘は、ただそこで汗が静かに引いていくのをそれぞれに味わった。
娘は寝転がって、ここにずっといる!と言って寝たふりをしたり、ぎゅうーっと伸びをして開放感を堪能していた。
わたしはそれが嬉しくて体を動かしたくなって、なんとなしに周囲を見渡した。

コンクリートの腰掛けは1m×2mくらい、40センチ前後の高さの直方体だ。これが3つ、1mとちょっとほどの間隔で並べてある。
わたしはこれをジャンプで渡ることを思いついた。すると動く前から身体が緊張してきて、下腹に丸い力が現れ、ワクワク嬉しくなってきた。わたしはこの決定的な良案にバチコン太鼓判をついて、娘に提案した。
きんちゃん!(わたしが勝手につけてよく使う娘のあだ名なのだが、漢字にするとしたら、まず、欽ちゃん、ではない。そこは、日本人の暗黙の了解で・・(笑)金、錦、でもなく、一番近いのが、巾ちゃんだ・・)ここをジャンプで渡って遊ばない?!

娘は、大きい声を出す直前のように息を吸い込みながらまつげをパアッと上下に咲かせて、うん!!!!と言った。それから、やあ~~っ!みたいな声を出しながら立ち上がって、手足をランダムに前に突き出したりして喜んでいる。子供の顔の、すべてが美しいと思う。髪や眉の生え際、ゆで卵みたいな頬、おでこのうぶ毛などが。
 
わたしも立ち上がって、っしゃーやるぜなどと言った。娘は先に飛ぼうと思ったようで助走のために直方体の端まで移動して、前かがみになりだした。そして、io vado..eh? ma...no.....ho paura,mamma!!(わたし行くよ・・でも、だめだ、怖いよ、ママ!)と言った。

そのとき、一瞬だけ、「何を言うんだ、勇気を出せば飛べるさ!そら、行くのだ!」と言うべきだ、という考えがいきなり胸の戸を開けて入ってきた。ほぼ自宅のように慣れた様子で。わたしは黙ってそんな自分の心のお茶の間劇場を見やった。入ってきたのは、自分がさんざん付き合ってきた、むしろお世話になったと言えるくらいよく知る相手だ。
名を、根性 論(こんじょう ろん)さん(年齢不詳)という。
よお!と気楽なものだ。
娘の後方にぼんやりと、あの農家の姿がある。
わたしは、これに、応えなくていいや・・と思った。
論さんいつもありがとう、でももう間に合ってるよ。

涼しい日陰で、わたしは何事もなかったかのようにさっぱりと、じゃあママが行く・・!!と言って適当な位置に立った。
娘はわたしを心配して、怖いよ、、今はママのために怖いよ!と言って落ち着きを失っている。

わたしは無心で、目に飛び移る先を映した。
あそこに着地するぞ・・!!今だ!!

飛び上がる直前に、渡れる!という確信がやってきて、わたしのふくらはぎのバネを弾いた。わたしはトン!と対岸に着地して、あまりの痛快さにうぉいや!!と奇声を発し、そのまま続けて駆けて3つ先の腰掛けまで飛び乗って、また同じようにして戻ってきた。無条件に心躍った。飛べた!楽しいよ、面白いよ!!
娘は、ママすごい!!と言って2秒ほど喜んで、すぐに先程のように前かがみになると、躊躇なく走りだしてあっさりとジャンプし、腰掛けの間の空間という障害物を優に超えてその先に進んだ。
 
わたしは、ハッとした。
人は、誰かが先人を切って達成したことを、こんなにも簡単に、自分にも可能だと信じられるのだ。あっさりとインストールできるのだ。
わたしたちの身体は離れているようでも、こうしてちゃんとつながっているのだ。
わたしたちは続けて飛んで、涼しくなった身体にまたじっとりと汗をかいた。娘のおでこのうぶ毛に霧を吹いたような汗がキラキラとしていた。



もう10年近くも昔、日本で、あるコンサルタントをしている方のお話を聞く機会を得た。型破りで勇敢で、しかし実績をコツコツと積み上げてこられていて、わたしは彼を尊敬した。
その日に聴いた話の中に、特に印象に残ったものがある。
「まだ地球に魚類しかおらず陸上生物がいなかった頃、たった一匹の魚が既成概念を破って陸に行ってみようと発想したからそちらに進化が進んだのだ、と考えると面白い。周囲を負かすのではなくて、その魚になるんだ、というところからクリエイティブに考えるほうがいい」

わたしはこれまで自分の胸を叩いてきた論さんが、土に還りつつある気がした。娘がその魚にならなくてもいいし、論さんと仲良くしてもいい。
でも、わたしは先にゆるもうと思った。そして、飛びたいときにはただ飛んで見せようと思った。
 
帰りにその農家の前を通ったときには、もう夕方の陽が農家の後方から射していた。農家は薄黒く影になって、崩れゆく輪郭だけを見せていた。
わたしは少々センチメンタルになった。娘のおでこのうぶ毛はすっかり乾いていて、彼女は農家を見てもいなかった。ジャンプの余韻に、楽しそうにフワフワとしている。わたしは娘をまだ幼いと思った。君よ、ポポラーレ!

良い日曜だった。
 

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