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270/1096 深い愛、深い悲しみ

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で270日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

270日目だ、300日まで1ヶ月か・・・生意気になってきたわたしは、300日達成でほんのりしか嬉しくない気もするけれど、とりあえずはそこを目標にしよう!

ほんのりしか嬉しくない、というとちょっと語弊があるのだけど、残り796日もあることがどういうことなのかが、ここまで続けてくるといい加減わかってくるのだ。だからこう、ますます兜の緒を締めよ的な感覚になってくるのであ~る。

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今日もまたいつもと同じように、この部屋には「クルルルルル~~グーー」と繰り返される工場の浄化槽の音が響いている。わたしの住んでいるこの家は義父のプラスチック再生会社の敷地内にあり、小さな工場のそばに建っているのだ。

わたしは普段、この音が好きではない。いつも「うるさいなあ」と思ってきた。でも今このときは、この音がとても心地よく聴こえる。

先ほど夫が友人の家に遊びに行っていた娘を迎えに行って、静かな夜の家にひとりになった。そのときに、ふとこの音を聴いて思ったのだ。
もしわたしの寿命があと少しだとわかっていたら、この耳で聴く、この地球上で奏でられているこの音が、どんなに愛しいものに聴こえるだろうと・・
まだまだ命に勢いのある者にはただただ煩わしく思えるだろうこの耳障りな音が、消え入りそうな命を持ったものには、まるで秋の夜虫の音のように美しく聴こえるに違いない。
そしてそのとき、「音が聴こえる」ということを、奇跡だと悟るだろう。

もしわたしがあと少しでこの世を去らなくてはならないとしたら、今わたしが当たり前だと思っているものが、どれほどに貴重に思えるだろう。
ボールペン、小さなメモ帳、水道をひねると出てくる水の感触、木漏れ日・・・海の波、濡れた砂、青い空・・もう触れないのだとしたら、もう見ることができないのだとしたら・・・この地球が、どれほどに壮大なファンタジーの世界に思えるだろうか。

この、五感の鮮明さ・・・生きている間の、アメージングな醍醐味だ。。
人間の身体になってみる、ということ、、
触って、感覚を感じるという、不思議な経験。
色や形が見える、カメラになってみるという驚くべき経験。
有機体のロボットを操縦して生きる、神の創り出したこの経験よ・・
これを奇跡だと感じるとき、自分の細胞のひとつひとつをもが奇跡に思える。生きる自分が、ほんとうに不思議に思えてくる。

わたしたちは生きているだけでこんなにも大変なのに、その大変な苦のステージをこれほどまでに愛せるだなんて、わたしには、それが真に驚異的なことに思える。生きることはこんなにも切ないのに、花の匂いや青空をわたしたちはこよなく愛している。

ここを離れるのが、五感を失うのが、こんなにも惜しい。惜しいからこそ、世界をこんなにも愛せるのだと思う。だから、愛を知るということは、悲しみを知るということでもあるのだと思う。生きることを愛せば愛すほど、また同時に、死に伴う別れを真正面から切なく思う。

秘行の視点で観ているときにもそれと同じように、愛と悲しみを同時に感じる。自分にも他者にも同じように、生きているだけでただただ愛しいと感じられ、そのときにまた、とてつもなく大きな悲しみを感じる。これはわたし個人のものなのではないのだろうと思う・・なにか、とても古くからある大きな悲しみに触れたような感覚。

今日はその悲しみの感覚を、できるだけ言葉にしてみようと思う。
それでは早速いってみよう、レッツ・スタート・・・

『この世界にあるすべてのものよ、
ひとつひとつに分かれている、時の世界のすべての存在よ、
生命の在るものよ、ないものよ、
あなたたちは、生み出され、時の中で変化し、いずれは形を失います。

その過程のすべてに、その自由に、愛と諦めとともにこれ以上にないほど悲しみ、胸を痛めています。

ばらばらにして送り出してしまって、本当にごめんなさいね。。
生まれ生み出されたときから、一刻一刻と古くなってしまうこと、悲しいでしょうね。輝くときを失って、いつかは崩れてしまうこと、耐え難いほどに口惜しいでしょう・・

ひとりぼっちにしてしまって、ほんとうに怖いでしょう・・
なにもわからない世界で、意図も意味もなく送り出され、そこでただ無差別に起こることを経験するのは、ほんとうに大変なことでしょう。

ひとつで居たいのに、安心していたいのに、いつもそれが叶わなくて、辛いでしょうね・・いつかは何もかもを無くすことが、たとえようもないほどに、寂しいでしょうね・・

上に伸びて、横に広がって、大きくなって、せっかく育ったというのに、あとから必ず死ななくてはならないなんて、悲しいことでごめんなさいね・・

可愛い子たち、本当に愛しい子たち、
分離して、ひとりの世界で、勇敢に在る子たちよ、

ただそこに在るだけで、充分です。
存在してもらっただけで、もうほかに何もいりません。

願わくば、あなたたちに幸ありますよう・・
どうか自分の中に愛をみつけて、どうか少しでも安らかに穏やかに、楽しく遊んで帰ってきてください。
ただこの胸に帰ってきて、ぬくもりの中にいてください。

愛する子よ、ひとりにしてしまったことを、どうか許してね。
ほんとうは、すべてが大丈夫なのですよ、どうかそれを覚えていて。
幸せとともにあなたが悲しみの中にあることを、
あなた自身に許してあげてください。
あなたがどれほど罪深くても、あなたを愛しています。』

わたしのキャパで言語化するのは、今はこれが精一杯。このとても根源的で完膚無きまでの悲しみは本当に深くて母性的で、そこに意識を置くと、涙が滝のように出てきてしまう。

でも、そこに触れるといつも、この世の喜びもまた深く深く感じられる。
バラバラだから、寂しいから、怖いから、切ないからこそ、
互いに響き合うときは嬉しく、愛し合えば天にも昇るようで、自分ではないいろいろな存在を見る楽しみや喜びや面白さが、この世界にあふれている。
触れるもの、嗅げるもの、見られるもの、歩く、踏む、伸びる、寝る、食べる、味わえるもの・・

わたしたちの、今生きるこの命のときを、いっぱいに遊ぼう・・・!!
分離の悲しみを携えて、分離の醍醐味をたくさん味わおう。
慈悲とともに、切ないままで、幸せに・・・・

今日は泣きすぎていっぱいいっぱい。
読んでくれてありがとう。どうぞみなさん、フレッシュな日曜日をね・・!
それではまた、明日!

【クンルンネイゴン、ご存知ですか?】

身体と意識の覚醒を目指すすべての方へ!
多くの方に学びを届ける素晴らしい先生で、わたしも尊敬するSeiRenくんのクンルンネイゴンのレベル1からのクラスが7月21日に開催されます!

わたしも参加予定なので、よければこの機会に道教(タオ)に伝わる稀有な教えを一緒に実践しませんか。久しぶりにクンルンを実践するのが今からとても楽しみです!(はじめてやってみた日に、丹田の下辺りから螺旋状にエネルギーが湧いてきて、腰がグルグルと回りだし、その回転が上昇してきてあまりに驚いて止めようとしたところ、なんと椅子から数メートルも吹き飛ばされてしまったという体験をして以来です。ボーゼン自失、でした。人間の身体ってすごいですね・・)

クンルンネイゴンは人間が到達できる最高の状態をこの人生で成就させる人のためのもの。ピンときた人も来ない人も(笑)、生きている間にせっかくなのでぜひぜひこの秘法に触れてみてください!

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