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221/1096 お釈迦さまより恋人

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で221日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

221日目は天気が悪く、朝から白く曇っていたと思ったら、とうとう雨が降り出した。今は激しい雨の音で外の景色がしっとりとしている。でも、なぜか不思議と、イタリアに来てから「侘しさ」というものを感じたことがない。あれは東アジア特有の感じなのかもしれないと思うことがある。

きっとイタリアに生まれ育ったのなら、この風景の中で虚しさや心細さや孤独で寂しいとき、頼りになるものがなく安らぎのないときなどを味わう経験が何度もあり、それが重なることでいつしかそれらが相まって、それぞれの人に侘しさを喚起させるような景色が刷り込まれていくのかもしれない。
でも日本で生まれ育ったわたしがそれを感じられるのは、日本の景色の中や中国や韓国の映画の中だけだ。

こういう日に毎日投稿を書こうと思うと、なんだかちょっとさみしい内容とかセンチメンタルな内容になってしまう気がして、それをあとから読み直したときに恥ずかしくなるんじゃないかと思ってしまう。
それでも、今まで書いた投稿を読み返すことはそんなにないから、もうただ放って振り返らなければいいのかもしれない・・・・・・

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センチメンタルと言えば、このところずっとこの曲を聴いている。
そして聴くたびに「ハァ~ッ・・・❤」と思うか、もしくはただ涙がつたうか、うっとりと酔うかである。なんと切なく優雅な、色っぽい曲だろう。
まさに大人の曲である・・(好き嫌いはあると思うけど一度聴いてみて~!)

この曲を初めて聴いたとき、わたしの心は、ホテルのラウンジを貸し切って恋人とお酒を飲みながら見つめ合っているシーンに飛んだ。まだ知り合って間もなく、互いに簡単には結ばれない間柄で、それを互いに充分にわかっていながら、ともに過ごす刹那のひとときを愛でているようなムードだった。微笑みあって、手に手を取って立ち上がり、静かに踊っていた。そんな設定がいったいこの自分のどこから出てくるというのだろう。ともかく、そのイメージにすっかり浸って、ああ・・いいなあ・・こんな曲で一緒に踊れる人と恋がしたいなあと思った。

もちろんイメージしたのはいつもどおり、地球人のダンディズムの限界、存在自体がダンヒルそのもの、これまでイタリアに8年暮らして、彼を好まないと言ったイタリア人女性にお目にかかったことはない、世界で最も罪な男David James Gandyさまでございました・・(ヨダレ
(ブログに使用できる写真を探すのに1時間半もかかってしまった・・!本当はもっと素敵な写真があるのだけど、ロイヤリティの支払いの仕方がわからなかった・・・)

写真を載せてしまったせいでしばらくここから意識が飛んで続きを書けなくなってしまっていたじゃないか・・・なんてデンジャラスなんだ・・
Davidさまと恋しあっているなんて、夢のようだと思う。きっとあまりに眩しくて、目を合わせることもできないだろうと思う。けれども、それでもきっと恋が叶った途端、これほどの憧れは徐々に失われていくのだ・・・
初めほどドキドキしなくなり、だんだん慣れて、そばに行くだけで嬉しかったのが、いつの間にかそれも当たり前になる・・・恋とは、人の欲とは、叶っても叶わなくてもほんとうに切ないものだ。

人の欲というものは、それ自体が切ない究極のジレンマだと思う。叶わない間は焦がれるのに、手に入れた途端熱を失うか、失うことを恐れる執着となってしまう。手に入れたものが何であれ、いつかは失くさなくてはならない。それをわかっているのに、それでも人はなにかを欲する。

このことを、本当になんと狂おしいことだろうと思う。人は欲がなくなることはなく、生きている間はずっとなにかを欲しいと思う。手に入れた途端に喪失に向かうというのに・・・!そして、この設定の上で生きることをこの年になってやっと、ああなんという面白みだろうと思うようになった。
まさに完璧な設定ではないかと思う。

わたしは盲目的に、この欲のジレンマがなかったら幸せなのだろうとずっと思っていた。だからお釈迦様だって菩提樹の樹の下ですべての欲を捨てたんじゃないか!と思っていた。だから、そこまでの修行を極めないとその域には達することができないんだ、と。途方も無いことに思えた。人は真の安楽を得るのに、そこまでせなあかんのかと。

わたしには無理だと思った。お寿司を見ても食べないでいるなんて、ゲームを見てもプレイしないでいるなんて、道に大金が落ちていても拾わないで通り過ぎるなんて、Davidさまを見てもハアハアしないだなんて!あの顔あの筋肉あの胸毛が目の前で両手を広げて誘っていたとしたら、そこに飛び込まないなんて死んでも無理だと思った。
その横にお釈迦様が現れて、一緒に瞑想しないか、そなたは永遠に救われようぞと両手を広げていても、見えず聞こえなかったことにしてDavidさまにダイブすると思った。思ったというか・・百パー間違いないのだ。ゴメンお釈迦さま・・わたしの魂は罪なんだ、欲まみれのエゴまみれの、煩悩が108で収まらない愚か者なんだと思った。

でも、それから時は流れ、わたしは数々の気づきの重なった暁に、今はこれこそが生きる喜びだったのだと理解した。まるで眠っていて目が覚めたかのように。
わたしたちの人生の舞台は、何もかもが永遠ではない三次元で、出会ったものすべてと別れなくてはならない哀れな世界で、時間にすらリミットのある苦の人生で、さらには欲に翻弄されるという、韓流ドラマも顔負けの切ない設定だ。それをしかも、3Dリアルの肉体に入って究極の臨場感とともに味わうという・・・その設定でリアルにあくせく一喜一憂しながら、わたしたちはそのドラマを『眺めて楽しむ』ことができる。

本当の安楽とは、そのドラマを眺められるもうひとつの視点を知っていることだと思う。欲を追い、手に入れて歓喜し、別れに泣き・・・肉体を持って生きるその超臨場感型のアトラクションを、いっぱいいっぱいに味わいながら同時にそれを鑑賞していればいい。ちょうど、テレビドラマを見ているときのように。ドラマに泣いて笑って、本当のこととして目一杯楽しめばいい。ドラマだと知っているところから、究極にはそれすらも忘れて、心いっぱいに・・・

映画を最も楽しむ人は、きっとそれが映画だということを忘れて没頭する人だ。でも、映画だと気づいていることがそれをフルに楽しむ条件でもある。ゾンビ映画を見ていて、もしそれが映画だと気がついていなかったとしたら、それはそれは恐ろしいことだろう。けれども、どうせ映画だからね、と覚めきってしまっていてはひどく退屈である。一番は、映画だと知っていてその安心感の中にあって、それをすっかり忘れて思い切りその中に入り込むことだ。ゾンビが現れれば叫び、助かれば安堵し、震えて泣いて笑う。

もちろん、人生に充分に没頭できるなら不要だけれど、人生をもしフルに楽しみたければ、これがドラマだと気がついている視点をもつこと。そして、そんな覚醒は忘れて捨てて、人生に没頭することなのだと思う。欲の幸福と悲しみ、そのジレンマはそのとき、人生ドラマの完璧で最高のスパイスである。わたしたちはそのおかげで、一生退屈しない。

だからいいのだ。ゲームをやっていいのだ。お寿司を食べて、道端でお金を拾っていいのだ。お釈迦さまを振り切って、Davidさまとラグジュアリーなホテルのラウンジで切ない恋に身を焦がしていいのだ。いやまぁそこは妄想だけどさ・・・(涙

というわけで今日は、恋の妄想から発展した、欲と悟りのお話であった。
欲いっぱいのドラマを楽しむ、素敵な土曜日を!

それではまた、明日!

【初夏の特殊なワークショップのお知らせ】

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』
『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』
参加者募集中です。

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』

あがり症を持つ方のための、あがり症克服に特化した日帰りのワークショップです。わたし自身がどんなに場数を踏んでも抑えようとしても治らなかったひどいあがり症を克服したある方法を、ワークに落とし込んだもの。
このワークショップでは、あがりを抑えようとせずに自然に中和し鎮める方法を伝授します。あがり症を克服したい方に、ぜひとも知ってもらいたいと思っています。人数限定ですので、お申込みはお早めに。
当日がとても楽しみです!
(※残席3です)

『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』

こちらは幸せな恋愛や夫婦関係のためのワークショップですが、根本には自分自身と恋をすること、目の前の人と響き合うこと、本当の自分で誰かと関わることをワークを通して体験するものです。
ワークはとても楽しめるものでありながら奥深い体験につながっています。こちらも、ピンと来た方にぜひ体験してほしいものです。
(※残席2です)

【九宮秘行のワークショップ、募集が始まっています】

人生を限りなく透明な目で見通し、本来の自分のあり方を取り戻す九宮秘行のワークショップ。今夏の受講生の募集が始まりました。

第三部まで修了すると師範代のライセンスが取得でき、九宮秘行講師(壇珠と清蓮)主催の九宮秘行ワークショップ内で共に「九宮秘行 第一部」の指導に当たることができます。

自分の本質を知り、枠を超えて人生を歩みたい人へ。
自分の可能性を探求し、本来の望みを体現しましょう!

道家茅山上清派や様々な流派の数々の秘儀秘術の本格的な修行を経験してこられた清蓮さんとわたしとで一緒に「身体・意識」それぞれの面から練りあげたワークを、ひとつひとつ進んでいただきます。ご自身の探求とともに、人間の可能性に驚く純粋な体験のできる場です。
どなたでもゼロから参加できます。一緒に九宮秘行を伝えていきませんか。

・瞳の純粋さを思い出す
・人生に遊び心を取り戻す
・自分で自分に贈り物を与えられるようになる
・人前で安心して存在できるようになる
・深い呼吸のできる体になる
・自分自身や他者、 世界についての思い込みから自由になる
・生きている間に魂存在としての自分を思い出す
・ひとつのものが全てであって、全てがひとつであるという感覚を体験する
・神通力を開く

などの効果が期待できます!ワクワクした方は、ぜひ!!詳しくは九宮秘行のホームページをご覧ください。

【自分の枠・限界を突破しましょう!】

『秘行×神聖幾何調身法』

身体のアルケミストであり、多くの求道者たちへの指導経験を持つ清蓮くんとの『枠を越えていく』ためのトークライブ&ワーク伝授を行います。

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
〜ワクワクが枠枠になっていないかい?〜

2時間のトークライブのあと、1時間のワーク伝授があります。

大きい会場に変更したため120名まで入ることができます。
(※現在残席5となりました!)
みなさまに実際にお目にかかれるのを楽しみにしています!

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