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116/1096 【不妊・失恋・・】どうにもならない執着とのつきあいかた

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で116日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

116日目、窓枠の外には、雨上がりの空が氷河のような迫力で地上に答えを迫っているような景色。
氷河は自分に夢中で周囲を気にしていないから、自分の身体の後ろから柔らかい金色の神の光が漏れることを知らずのうちに許している。そのあたたかな光が、勇ましき氷河を可視化し、澄まし、優しくしているのを、自然の営みとしてただ享受している。
その暖光が、なおかつそのうちに自身を溶かし、消してしまうものだと知っているというのに。

今日はすがすがしい気分だ。毎日のこの大変で楽しい日課を与えてくれた自分に、ありがとう、よくやっていますね、という気持ちでいっぱい。
自分を使い果たす楽しみが、一時の、暴風雨のような、一瞬で全力を使い果たす一発屋系・雷属性のものから、日が出ては沈み、また出ては沈む、日廻のような静かなリズムを持ったものになりつつあるのを感じる。

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今日はしばらく前にいただいたリクエストにお答えして、不妊についてのわたしの思いを書いてみたいと思う。不妊だけではなくて、きっとそれ以外のつらい執着にも役立つことを願って。

わたしは現在の夫と再婚後、子供ができることを心から望んでいた。夫ももちろん望んでいた。けれど、わたしたちが子宝に恵まれる事はなかった。

わたしは結婚後数年のあいだ、このことについて果てしなく苦悩した。
赤ちゃんの匂いが恋しかったし、夫が可愛い子供服をみつけるたびに手にとってニコニコしながら見せに来ると、なんとか子を持つ夢を叶えてあげたいと思ったものだった。それを願えば願うほど、苦しみは増し、そこから抜け出す術がなくなるのを感じた。赤ちゃんができる、それ以外にこの苦悩が終わることはない気がしていた。

とにかく何をしていても、そのことが頭から離れない。いつも、妊婦さんや赤ちゃんを見たいと思ってしまう。街を歩いていても、お腹の大きな人や赤ちゃん連れの人を探してしまい、目で追ってしまう。通りを歩く軌道を微妙に歪めてまで近寄ってしまったものだった。そばで見たかったのだ。
赤ちゃんは、どの子も、いつ見ても、これでもかというほど可愛かった。それから、妊婦さんときたら皆誰しも、美しく後光が差していた。彼女たちは、汗まで美しいのだ!!

どこかで不妊に苦しむ人の話を聞くと、気持ちがわかりすぎて胸が痛かった。周囲の誰かが不妊が解消されて妊娠できたという話を聞くととにかく嬉しかった。でも、「最後までできなかった」という話は恐ろしく忌まわしきものに思え、見聞きするのが辛かった。

赤ちゃんは、ぜーんぶがフニュフニュだ。いい匂いがする。それを思うとたまらなくて、あの聖なる存在をもう一度触ったり抱っこしたりしたかった。
人が育つ様子というのは驚きと喜びと福々しい満足感に満ちていて、あれをもう一度そばで見たかった。

そして歳月は流れ、わたしはその聖なる願いを諦めた。

いちばん辛かったのは、不妊の悩みを忘れようにも忘れられず、執着を捨てられず、その自分をどうすればよいのかわからなかった時期だった。
わたしはそのあと、自分で自分に最も優しいと思える方法でその時期を乗り越えたのだ。

まずわたしは、赤ちゃんが欲しいな・・と思う自分に対して「執着が手放せなくてダメだな」とか「そうやって考えすぎていて、忘れないからできないのでは」などと、批判したり改善しようとしたりするのをやめた。

今思えば、そうやって文句を言うなんてひどすぎる。
わたしは思った。「一人の女性が、『赤ちゃんがほしいな』と、思ったっていいじゃないか!可愛い望みじゃないか!」と・・・
「若い頃、自販機のお釣りが出るところに必ず指を入れて小銭が残っていないか調べていた浅ましき自分に比べてみたらどうだ?!新しい命を生み育てたいと思うなんて、それに比べたらもはや聖人だよ聖人・・・!」と思うことにした。「それに、妊娠を望むなんて、親元を離れたのがほんの15回位前の夏だったと考えれば、たくましき姿ではないか!!」と。

そして、ここで重要なのが、その、赤ちゃんを望む自分を、消そうとしないことだった。とにかく、その自分に、自分の中にいることを許した。
わたしの許可で、永住ビザを出して滞在を許可したった。望んだ自分に消え去れと言うなんて、自分が可哀想だ。

望むのすらダメ、ってどないやねん・・・・小さな命への片思いくらい、いいじゃねーか!と思った。そんな執着まみれの自分に、「行くところなんて、ないんだろ・・」と言って黙って心の部屋の鍵を渡してやった。
居たいだけ居ればいい。自分自身に、これくらいのことしてやれなくて、人に優しくなんてできるもんか、、、いくらだって片思いに泣けばいい。自分の存在くらい、追い出さずに受け止めてやりたかった。

そして、最も重要なのが、そうして滞在を受け入れた、「赤ちゃんを望む自分」との付き合い方である。

わたしは、その自分と「共にある」という感覚でいることにした。
これが、ものすごく自分を楽にしてくれたのだ。

どんな感じかと言うと、ちょうどお腹にホッカイロをつけているときの感覚に似ている。わたしがホッカイロを貼っていても、周囲の人にいちいちそれを言ったりはしない。でも、思い出すたびに、暖かいな・・・と感じている自分は居る。そのとき、わたしは、その暖かさを感じている自分と密かに共にある、という感覚だ。

赤ちゃんを望む自分が、自分の中にひっそりと、でも確実にいる。それも自分だし、それを置いておくことにしたのも自分だ。
外からは誰にもわからなくていい。でも、自分で自分と共にあって、
「わたしはこう見えて、実は密かに赤ちゃん来ないかな~と思ってんだ!フフフ・・・」と思えるのはとても楽だったのだ。執着を捨てようと思っていた頃に比べ、雲泥の差である。

まとめてみると、わたしのしていたことは、

①「赤ちゃんが欲しい」という自分を、自分の中でだけ勝手に聖人の位置づけにする(他者に、我を聖人だと思いたまへ~などと要求するということではない・・)

②その赤ちゃんを望む自分を、自分の中にどれだけ長く居ても良いとし、居る間はちゃんと付き合い切る、という扱いをする

③その赤ちゃんを望む自分と、密かに共にある感覚でいる

というだけだった。これによって、妊娠を望む自分に支配されていた頃には考えられないほど気楽になったのだ。赤ちゃんを望む自分を大事に抱えながらも、新たに仕事を始め、夢中になり、特に周囲に気付かれることもないまま、無理なく楽しく自分の生活を創ってこれたように思う。

そして、執着のあった自分は、「温かみを感じないからつい忘れていて、はたとホッカイロの効果が消えていたことに気づく」ように、自分の中からいなくなっていたのだった。

これは、なにも不妊に限ったことではなくて、失恋に苦しむ人や、自力ではすぐにはどうにもならない執着で苦しむ人に試してもらえたらと思う方法だ。

いかなる自分も、消そうとなどしなくていいのだと思う。その執着を持つに至った理由が自分の中にあるのだから。
その自分をひとりにしないで、その自分をケアする立場の視点を持ち、理解し、抱きしめ、居場所を与え、そばに居て、密かに共にある。
執着する自分に、追い出そうとするのではなく、こうして静かで地に足をつけた力強い愛を注いでよいのだと思う。きっと、楽な自分が息づいていることを感じられると思う。

今日は不妊を例に、わたしの好きな執着との付き合い方について書いてみた。ご縁があってこの記事に出会ってくださった方へ、祈りを込めて。
読んでくださり、ありがとう。
それではまた、明日!!


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