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18/1096 結婚の問題は、宝の地図

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で18日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくない人は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

穏やかな18日目。なんだろうこの穏やかさは。「今日も書く。なぜかって?これが日課だからさ」くぅ~~~っ・・・!しびれるようなセリフを言ってしまった・・怠け者界の者にとっては、憧れの超キザなセリフだぜ・・・
地味な日にこそ、しみじみとした喜びがある。

気がかりだったことを毎日ちゃんとやる、これがほとんどセラピーとなっていると言っても過言ではない。わたしはもうすでに「絶対に三日坊主」というレッテルを己から剥がすことができた。今は、なんと馬鹿な思い込みだ!そんなわけなかったがな!としか思わない。このことに存外な癒やしを感じる。あのレッテルが、ここまで自分のやりたいようにやるということを制限していたなんて。
わたしは毎日何かを淡々とやってみたかったのだ。
だから、今日も書くぞ!
 
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今日は結婚について書いてみようと思う。
というのも、最近ひとつ思ったことがあるのだ。

わたしの夫はわたしの父とそっくりなところがいくつかある。ちょうどわたしが育つ過程で得た偏りと向き合う羽目になる相手だ。そういう人と一緒になるように、うまいことできてんだなあ・・・とつくづく思ったのだ。

わたしの父は家庭というものにほとんど安らぎを見いだせなかったと思う。父は仕事に没頭し、家にいる時間はひたすら機嫌が悪く、腫れ物のようだった。母はそれが父の性格のためなのだと考え、その思い込みのままわたしと妹に接した。結婚は辛い忍耐だと腹の底からこぼしていた。だから、わたしもその通りなのだろうと思ったまま育った。

しかし、大人になって自分が結婚をしてからようやく気がついたのだ。両親がうまくいかなかったのは、母にあまりにも自信がなく、あまりにも「迷惑をかけてはならない」という洗脳が強かったために、長い間父には一切の弱みを見せないで暮らしたがことが主たる原因だったのだと。母だけではなかったろうと思う。女が我慢をして主人に尽くす、それが当たり前の時代だった。

母はそのために努力をし、父はそのために家では常に不機嫌だった。母のモットーは、甘えない、弱音を吐かない、努力をやめない、人を頼らない、人に迷惑をかけない、何もかも自分でやる。
口癖は、「今に見てろ・・・(ワナワナ)」だった。
母は、父にこう言われたらしいのだ。「お前のような窮屈な女はいない」と。そのときに受けた心の傷を、何十年も引きずっていた。

それでも母は、自分は尽くしたのに父は少しの感謝もないと恨んでいる。
家事を決してサボらず、畑の世話をし、動物の世話をし、子供の世話をし、親の世話をして、料理も裁縫も、もう何もかも、最大限の努力をして誰にも頼らなかった。それなのに父は、家に帰らなくなったからだ。

母は、どれほど体調が悪くても父にはそれを伝えなかった。子宮の摘出手術をする日ですら、苦しい体で自分で支度して自分でバスと電車を乗り継いで入院しに行って、まるで家族などいない人のように自分ですべての手続を済ませて手術に挑んだ。着替えもその他入院で必要になることはすべてひとりでやっていた。

何年もの間、遅くとも4時前には起きて畑に行き、わたし達が幼い頃は父の会社の従業員たちの昼の弁当を全員分作り、朝ごはんを作り、歩けない祖母のために親の家の家事をやり、戻って自宅の掃除などを済ませてから買い物に行き、昼食を作って片付け、次の日の弁当の仕込みをし、、、こうしたことを目まぐるしく一日中やっていた。

その間、母は笑わなかった。ただひたすらしかめっ面で作業にあたっていた。それを見ていて、わたしは悲しかった。何度も「やらないで」と言ったが、俺がやらねば誰がやるんだ!と怒られた。わたしは母が可哀想で、母を救いたかった。笑顔になってほしかった。自分が生まれなければ良かったのだと思っていたほどだった。
だからわたしは、大人になっても決して母のようにだけはなりたくないと、幼心に思いながら育った。

わたしが今の夫と結婚した当時、夫は家に帰りたがらなかった。家のすぐそばの義父の会社の自分のオフィスで眠たくなるまでひとりでいて、眠るためだけに家に戻ってきた。家にいればわたしをあからさまに避け、息が詰まると言った。そして、家事は女のやることだ、家にいても仕方ない、家にいてやることなんか何もない。嫌ならいつでも日本に帰れと嫌悪感たっぷりに言われていたのだった。
わたしはそこまで自分の存在を避けられることに、どこか自分らしさを感じていた。そのシチュエーション自体が、いかにも自分の出会いそうな問題だと思ったのだ。あとになって、夫のその行動が父とそっくりだと思った。
当然、家事はわたしひとりがやっていた。その他にもやることは山積みだった。夫の会社の屋外での肉体労働も、サイトづくりも、セールスや事務関係の仕事も、人手が足りなくてわたしが負った。

 
結婚相手というのは、ある意味で自分にとって一番合わない人であるらしい。一番の問題を顕にするために出会う人。
わたしは、自分の結婚に、あれほど同じ目に遭いたくはないと思っていた両親の間の問題を、見事そっくりそのまま持ってきたことが滑稽に思えた。わたしは母そっくりだし、夫は父そのものだ。
 
親の葛藤をそのままもらってしまったのだ。母は父から見切られるのを恐れていたし、父はそれを煙たがるだけだった。母は劣等感で家中にバルサンを炊いていたのだと思う。父は母に寄り付かなくなっていった。
結局両親は別居し、離婚した。わたしと妹は実家を失ってしまった。自分たちの結婚で何があろうとも、帰れる実家などなくなってしまったのだ。
「それではわたくし、実家に帰らせていただきます!」が、やれなくなってしまった。正月に訪れる温かな家などない。

わたしはそれに対して、本当に仕方がないと思った。あれが父母の精一杯だったという思いしか残らなかった。でも、育った家まで失って、言葉にならないほど寂しく悲しかったのは事実だ。それを恨みと言うなら恨みだろう。けれども親への恨みがあったって、それを親に返すのは良いことではないのだと思う。
親への恨みは、自分の結婚で果たせばよいのだと思う。それが循環なのだ。親本人にしっかり返せというアドバイスを見ることがあるが、ハンムラビ法典と同じような思想だと思う。
 
親からせっかくもらった葛藤は、親が人生をかけて自分にくれたものだ。
その葛藤があったからこそ夫と出会い、結婚したのだ・・・そして見事同じような問題を抱えて、わたしにそれを超越するチャンスをくれた。
それによってわたしは秘行に出会うことができた。わたしは秘行でブレイクスルーして自分を大事にする思いでいっぱいになって、それから何もかもが激変したのだった。(なぜかその後すぐにとった行動が、夜中に皆が寝静まってから、自伝を書き始めることだった。笑)
 
秘行でするのは、自分で自分を見てみることだけ。自分のイマジネーションを使って自分を見てみたら、わたしはひどい姿をしていた。そこではじめて己の劣等感を見つけ、いかに自分が自分を卑下していたのかを知った。いつもそうだった。わたしはたいてい猫背で妖怪みたいだった。その姿のまま、洗濯したり、しょんぼりしたり、親きょうだいから遠く離れたイタリアの地で、心細く眠ったりしていた。

あるとき、そうして過ごす自分を見ていたら、急に自分がとても可哀想に、とても愛しく、ちっとも醜くなんかなく、己の最愛の人だったと認識がひっくり返ったことがあった。

猛烈な悲しみと喜びが同時に襲ってきて、わたしは自分に懺悔した。可哀想なことをしていたのは自分だったと、あまりの思いで声をあげて号泣した。
そして、自分というこんなにも大事な人を、何の色気もない半男、醜くて価値がない、迷惑でゴミのような人間だと考えるのは金輪際やめようと誓った。そのときに、それまでの自分と、怒りと悲しみと喜びのもとに決別したのだった。

それから、自分のことがとても大切になり、手探りながらも自分を色んな角度から愛でるようになった。自分で自分を嬉しく見ることができて、幸せいっぱいだった。自分にどうやって自分の望むものを与えようか、その作戦を練っていると楽しかった。そのためだったらどんな戦いにだって挑もうと思うと、心強くて未来が希望いっぱいに感じられた。わたしにはわたしがいる。どんなときだって味方してくれる人がいる。それが自分だったのだ。夫がわたしをどう思ってるかなんてほとんどどうでも良くなり、そんなのは明後日のことに思えた。

それから、あちこちに書いていることだが、夫が激変したのである。
家に戻る時間が早くなり、ハグをするようになり、見違えるほどわたしに構うようになって、別人のように優しくなったのだ。
わたしに何が欲しいのか、何を望むのかを聞くようになり、そのために必死に努力してくれるようになった。
もちろんその間、わたしの怒りが爆発したことも何度もあるし、家庭内暴力にも、家出にもつながるだけの喧嘩を何度もした。
女は戦士だと思う。それに、魔女だ。戦争でなければ解決しないこともあるのだと思う。わたしは夫と戦った。
 
最近はと言うと、、実は、わたしがこの毎日投稿を始めてすぐだった。なぜかなんと夫は目覚ましをかけて朝の5時半に起きて皿洗いをし、わたしと娘の朝ごはんを作るようになった。それを毎日続けているのである。
これほどにわたしの鏡だなんて!!!

いつ飽きるだろうと見ていたのだが、日毎にメニューは充実してきて、最初はヨーグルトを盛り付けたりするだけだったのが、今は魚や肉を使って料理をし、ヨーグルトには仕事帰りに買ってきたナッツやミューズリーを入れてはちみつをかけておき、数種類のチーズをカップに可愛く盛り付けて、オレンジジュースを注いで、パンを用意してから呼んでくれる。
わたしはボサァ~っと起きてきて、その朝食を讃えて、夫に惜しみない賛辞を呈し、あとはとにかくモグモグ食べるのだが、夫の幸せそうな眼差しときたら、朝の太陽より眩しいのだ。

そしてついには、仕事帰りに買い物をして帰ってきて、家についてすぐにキッチンに立って料理をして晩御飯まで作っているではないか・・・・・!
わたしがムシャムシャ食べていると、満月のようにニコニコしている。
 
母が、父が、一度たりともしなかったことだ。

わたしは問題をくれた親に感謝している。女が我慢してきた時代の悪循環は、先の世代を恨んでいても絶つことはできないのだと思う・・・・昔の人が悪かったんだ、と言っていても終わらない。同じ問題を受け継いで、自分のところで自分のものとして、自分で絶つしかないのだと思う。
わたしに自然と先祖への感謝が湧くようになったのも、自分の自分への愛に気づいて行動できるようになってからのことだった。感謝は、するものではなくて、湧くものだというけれど、そのとおりだと思う。
じさま、ばさま、父方の祖父、祖母、父と、母の、その苦しみに、ありがとう。バトンを渡してくれて、ありがとう。おかげでちゃんと歪んで、それをひっくり返す喜びを味わえたよ!!
夫の先祖にも、同じくありがとう。問題は、幸せの宝の地図だったんだ。
結婚していない人だって同じ。結婚していない、ということにもし問題を感じるとすれば、そこがその人の幸せの777。そこに宝が眠っているのです。

だから秘行をやってみてね。
ただ自分を見てみてね。
小さな子供だったあなたが、死なずに育ち、今、心臓を動かして、悩み、葛藤しながら生きている姿を、神さまの傑作のその勇姿を、どうぞ見てあげてください。
あなたがどんなにあなたを卑下していても、その気持ちを持っているそのあなたのまま、傑作です。
 

今日は、こんなところで。また、明日!

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)