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195/1096 死を思う飴ちゃん

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で195日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

195日目、やっとこさ、風邪が治ってきたぞ!まだ喉が痛くてちょっと熱っぽいけれど、元気が増してきた。

今回の風邪で気がついたのだが、昨年から今年にかけて風邪をひいたタイミングを思い出すと、毎度のように新しいことを始めたときなのだ・・!
自分が大きく変わるときに、必ず熱を出している。面白いことだ。

コンフォートゾーンを出るときにいつも熱を出しているのだけれど、これはどういう関連性があるのだろう。とても興味深い。誰かわたしの身体を使って実験をしてくれないだろうか・・・・

毎日投稿はここ数日の「『書かない』はありえない」が続いていて、それがとても快適だ。熱があっても、新しいことを始めるときでも、書かないはありえないぞ。というわけで今日も、元気じゃないが書くぞ!イェ~イ!

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今日は、毎日投稿を始めたことについて、改めてアメージングだったと思う。あの瞬間の、あの自分にしか「始める」ということはできなかったと思う。今の自分には無理だ。過去の出来事すべてに、そう思う。

わたしがやってきたことなのに、そのすべてが当のわたしに絶対に再現できないことだ。毎日投稿の大変さを「想像していた」わたしにしか、始めることはできない。そして、あのときのわたしには、今のわたしの「毎日書いて当然っしょ」感は想像すらできやしない。自分はひと続きのようで、まったくそんなことはない。瞬間、瞬間がある。それらの自分は、驚くほどに別の自分だ・・・・!!

始めたことというのは、いつか終わってしまう。始めたからにはどこかで終わる。三年経ってみてどう思うのか。未来のことは何もわからないけれど、三年生きられるのかもわからないし、わたしが死ぬまで続けたとしても必ず終わってしまう。

いつかのある日、これが更新されなくなる日が来る。わたしは生きているかな!それとも、三年が経つ前に死んでいるだろうか。

わたしは毎日毎日、自分が死ぬことを思う。みなさんは、死ぬことが気にならないだろうか・・わたしはとても気になる。気になりすぎて、そのことを思うときの感覚を何度も何度も試してしまい、最近は、「死ぬこと」を思わなくても、その感覚が容易に湧いてくる。
でも、それは死を思ったときにそれをトリガーにして湧きやすかった、生きている感覚そのものだったと気がついた。

自分が死ぬときに、ああ我が人生よ・・!と思う気がしてならない。わたしは今も、そう思う。死ぬときのような気持ちでそう思う。なんでもない瞬間が、なんと愛しかったかと思う。

これまでの一日一日・・・・ただ食べて寝ただけのなんでもなかった日に感じた自分にがっかりした感覚や、小学生の頃に春になったことを初めて嬉しいと感じて、理由もなく生きていることが嬉しくてひとりで黙って弾んで歩いたときのこと、学校のグラウンドの白い土埃が舞うのを虚しい気持ちでしゃがんで見て「吸い込みたくないな・・」と思っていた自分、お昼寝をして泥のように起きて「自分はダメだな・・」などと思った自分、なぜか、そういう、この社会のものさしで言えばなんでもないような瞬間の生々しい感覚が次々に立ちのぼっては消える。

生きてきた自分に、ごめんねとありがとうが混ざったモロに切ない感覚が湧いてきて、涙が出る。人生のあれこれ。生まれてからずっと、いろんなことを感じて生きてきた。みながそうであるように。

変な言い方だけれど、その瞬間瞬間の感覚を感じていた自分のことを、100%ピュアだったと思う。いい人、という意味ではなくて、混ざりっ気がない「感覚」だなあ!と。
子供の頃のことだけでなく、今の自分もそうだ。何かを感じるというときの、ただそれを眺めながらも反応もしているその自分の感覚を、100%、「意識」だなと思う。とても言葉に出来ないけれど、生きている!!と思う。ずっと自分を見てきた。字面を追わなければ、みなさんもそれを知っているのがわかると思う・・!ずっと自分の感覚を感じてきた。
こんなふうに、死を思うと生きている感覚が浮き彫りになる。

始めたことに終りがあるように、それらが切り離せないことだからこそ、生きていることをこうして痛切に愛しく思うとき、死ねると思う。
ああ~地球去りたくねぇ!!こんなに面白いところなのに、こんなに綺麗なところなのに、こんなにアメージングなところなのに、いい香りの花が咲いたり、水面がキラキラしているのを見たり、海に入ったりできるのに、一秒たりとも同じ瞬間のないこんなにエキサイティングな地球ライフなのに、それにさようならなんてぬおあああああああああああああーーーと思う。

そうすると、当たり前が消え去って、一瞬一瞬が貴重なんだな、と思う。
すると、一瞬一瞬にさようならしているんだな、今もどんどんこの自分が死んで新しい自分になって即死んで即生まれてんだな、今も常に即死即生をしているじゃないか、と思えて、初めて死を受け入れるような感覚が感じられる。生きたいんすよ、ぬわああああーー!!が高まりまくると、今も死んでいると思う。瞬間の自分がぜんぶ違うやんけ!と思うと、ずっとそれを見ていた不変の自分がみつかる。

だから、他の人のことも、うまくは言えないが「生きている存在ですね、ピュアな感覚なんですね!!」と思う。自分が真に生きるとき、他者を本当にリスペクトできるのかな、と思う・・・・お互い、愛しき存在だ。。。
涙がちょちょ切れるぜ。。

こう思うから、死ぬことを思うのがとても好きだ。美味しい飴ちゃんを誰かにあげたいおばちゃんのように、誰かにも死を思う感慨深さを一緒に味わってみないか!と言いたくなってしまう自分だ。

今日は月曜日。月曜日の朝にこれを読んだ方が、今週を最高に貴重な人生の時間だとチラホラ思い出しながら過ごせますように。読み返せるように、飴ちゃんここにおいておくから、好きなときに味わったらええよとうるさく書いて、嬉しく祈って、いい気分で眠ろう!!

というわけで、今日は死と瞬間の自分について、であった。

それではまた、明日!!

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