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168/1096 偏って歪んで、さあゆこう!

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で168日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

168日目、昨日は物語を書いたからか、毎日投稿をしなかったような変な感覚だ。そして楽しくて楽だった。わたしは何かを創作しているのが好きなのだと、この毎日投稿のおかげで発見した。

物語でも音楽でも、なにかを創るのはとても楽しい。それは何故かと言うと、表現だからだ。自分を表現する。それを他の人たちに向けて表す。
そこで感想が生まれ、それをやりとりする。そのすべての過程が面白い!

わたしは、毎日投稿で、好きな人達に手紙を書いているような気持ちになる。そこに、お返事を書いてくださる人がいる。そのとき、わたしと、その方はやり取りをしているのだ。
以前は様々な媒体からいただくメッセージのすべてにお返事ができなくて苦悩していたけれど、最近は、そうじゃないんだ、わたしがお返事を受け取っていたのだと思うようになった。

TwitterやFacebookやオフィシャルサイトからご感想を届けてくださるお方に感謝・・・・手紙のお返事をありがとう。

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人というのは目の前にないものは実感できないのだろうか。わたしは毎日こうして書いたものを投稿していて、読んでくださった方がご感想をくださってはじめて、ああ、読んでくださった方がいた!と思う。

たとえば20件のご感想をいただくと、20人の方が読んでくださったという実感だけが湧く。そうでなければ、ひとりでずっと、ただ書いては更新しているような気持ちになってくると思う。

たまにアクセスを見てみると、もう自分には実感できないような数字が出てきて、不思議に思う。わたし本人は、それをリアルに感じる機会がない。
いつも孤独な作業。毎日投稿とは孤独な闘いさ・・(バーボン片手に

孤独と言えば、わたしは孤独が好きだ。独りの日、一日中誰とも会わない日がとても好きだ。変な話なのだけど、ワクワクする。別になにか変なことができるからでは断じてないぞ・・?!ただ、ひとりでいるのが好きな人といるのと同じくらい、好きなのだ。
孤独は伴侶だと思う。人はいつもどこかで孤独だから。孤独感をなくそうとする時、人はきっと自分に不自然なことをしようとしているのだと思う。孤独感をちゃんと感じられるのは良いと思う。

孤独感というのは、自分はひとりだ、という感覚のことだ。自分のことは自分にしかわからないということを、知っている感覚だと思う。
なかなかいいものではないかな!自分のことを自分が見ているとわかる感覚を、孤独だと呼んでいるだけではないのかな。

孤独感と寂しさは違うものだ。。でも、寂しいのが悪いとは思わない。たとえば寂しいときにだって、寂しい気持ちをどうやって消そうかと考えたり、寂しく思ってしまう自分を責めたりするのも、不要なことだと思う。寂しいときは、寂しがればいいのだと思う。

わたし自身は久しく寂しさを味わっていなくて、あるとすれば「恋しさ」なのだと思うようになった。妹や親や友達などと会いたいと思うし、TSUTAYAやコンビニを恋しく思う。

寂しさというのは、自分の中になにかが満たされていなくて欠けている感覚だ。恋しいというのは好きなものを求める気持ちだ。あったら嬉しいとは思うけれど、わたしはTSUTAYAやコンビニがなくても、家族と離れても寂しくなく生きていける。こんなに自分の中に寂しさがなくて満たされているのが、ものすごく意外だ・・・!

どうしてそれが意外なのかと言うと、わたしはすんごい寂しがり屋だったからだ。そして自分に自信がなくて、他者優先で、嫌われることを恐れていたからだ。もはやそれは、わたしらしさ、みたいなものだった。だから、そういう気持ちがよく分かる。わかるだけに、自分がそうでないことが「はっ・・・!?いつの間に・・・!!」と意外に思えてしまう。

わたしと言えば寂しがりやで嫌われるのを恐れる弱気なやつ、だったのに!
わたしが寂しがり屋でないなんて、それはもう、ハンバーガーからハンバーグを抜くような、お誕生会でケーキを買わないようなものだ!
とにかくわたしは寂しがり屋だった・・・本当にひどいものだった・・・

今日そのことで、今のように寂しがり屋でなくなったのは、意外にこれが良かったんじゃないか?と思えることに気がついたので、今日はそれをシェアしてみよう!!

わたしは、もう10年以上も前に、人の心理について学びだしてから、子供時代に親との関係で満たされなかったことが、後々にまで影響するのだと知った。大雑把に言うと、親から十分に愛情を受け取れなかった人というのは、他者からも愛される自信がないまま大人になってしまいがちだ、というようなことを学んだのだ。

そのときわたしは、もうそれを額面通り受け取って「あ・・・!そうなんだ?!親のせいなんだ!!」と思った。本当にバカみたいに単純に、「いや~ぜんぶ親のせいだったのか~!自分がおかしいわけじゃないんだな!」と思い、めっちゃくちゃ楽になってしまったのだ。単細胞だ・・・

これは、親にだっていろいろな事情があって、仕方なかったんだ・・・・と考えることや、それを許すこと、とはまったく別の話だ。
親も、またその親の元で育ったことが影響しているだろうし、その親だってその親だって・・・・と考えると、致し方ないよなと思う。それを追求するのは、誰が悪くてどこに責任があってみたいなことを考えることになってしまう・・

そうではなくて、「自分が愛される自信をなくしたのは、単に親との関係のせいだったんだから、自分が悪いとか欠けてるということではなかったんだな!」と思って、そこがポーン!と楽になって、自分を責めなくなってしまったのだった。
そのときは自然にそう思って苦もなくスルーしたためこれまでそれを思い出すこともなかったけれど、少し前に「親だって親の事情があるのだから親のせいにするのはやめよう」という意見をSNSで見かけて、そこは混同しなくてもいいのではないかな、と思ってハッと思い出した。

それは、たとえばあるところにボールがあって、そのボールが「うう・・なぜ自分は汚いのだろう、駄目なボールなんだろうな・・」と思っているとする。すると誰かが「いやいや、それは昔健太くんが蹴ったときにドブに落ちたからだよ」と教えてくれた。

そのときに、「あ、なに、そうなの?!んじゃ自分のせいじゃないんだね、健太くんが蹴ったときにドブに落ちたからなのか、なんだよかったー!!元々汚いのかと思ってた!!」と思うのと同じだ。
そこで「健太くんだって悪気があってドブに向かって蹴ったわけじゃないんだから、健太くんのせいにしなくてもいいんじゃないの・・・」と考える必要はない、ということだ。

とにかく自分がおかしいんじゃないんだね、やったー!と思えればそれでいいのではないだろうか。親にも事情はあれど、それで親も歪んでしもて、それで自分にもいろいろ歪みが出ましてね、自分のせいじゃありませんでした、テヘッ。と思えればよいのだと思う。それで何が良いのかというと、自分をその点で責めなくなる、というだけだけれども、これは大きな転機だったのだと気がついた。

自分の好きなように生きることと、自分を責めないでいること、これは密接に関わっているのだと思う。好きなようにしようとした途端湧いてくる、さまざまな罪悪感や劣等感や不安というのは辛いものだ・・・・・・
自分が好きにすることで周りを巻き込むのは悪いように思えたり、好きにすると嫌われる気がしたり。自分を駄目だと思うこと、それは大きな制限になりうると思う。

だから、余計に自分を責めてしまうことを減らせるのなら、たとえば「(親は親で仕方なかったのだろうけれど)親のせいなんだもの、自分が弱気なのはそのせいじゃ!」と思うのは良きことと思う。

しかし、そう思ったからと言って、育つ間に偏ったことはなかなか変えがたい。だから、それはもう授かりものとして楽しんでみたらどうだろうか!

弱気な人は、強気な人に頼ってみたり、弱気を克服する楽しみもある。勇気を出す時のドキドキも良い思い出になりうるし、越えた時の喜びはまたひとしおである!

わたしのような怠け者の人は、しっかり者の人と助け合ってめっちゃ感謝したり、怠け者を克服する方向でチャレンジして楽しむこともできる。
愛される自信がないことだって、そこから自分を大切にするのは感動的な喜びが待っている大スペクタクルの冒険だっ・・・・!

だから、まんずとにかぐ(どうしても秋田弁を出したい時があるのはなぜだろう・・)、自分にいろんな変なところがあったとしても、弱気だったり歪んでいたりしても、かなりの部分が育つ間のことだもの、親が完璧でなかったせいということで、自分責めをやめてしまおう!

そして、もらった歪みは宝箱、プレゼントとして目一杯利用しよう!
そう考えたら、「歪められた」と先祖を恨んでいる暇なんかない・・・・人生を楽しむことに、忙しくなってしまうものではないかな!!

わたしは、音楽をやろうとすると弱気の塊になることが発覚したぞ・・・
恥や照れ、足りない勇気、自分を見くびる弱さ、いろいろ、いろいろ!!
それから、だらしなくて身辺を整える力が足りなくて、堕落しやすいし、
あとは何かな、、、ビジネスの才能がなく、創作ばかり好んでしまうし、、、まだまだいろいろな歪みを、それと戦うくらいなら図々しく楽しもうと思う。なんでって、これが自分なのだ、これでいいのだ。

みなさんは、親にもらったどんな偏りという宝箱をお持ちだろうか・・・!
それらを楽しむ方法を考えることが、もうすでに楽しいね♥

それではまた、明日!!

【一緒に自分の枠を超えましょう!夏のイベントのお知らせ!!】

なんと今年の夏、わたしにとっても非常~に楽しみな
コラボイベントを行うことが決定いたしました!

あの一子相伝秘術・クンルンネイゴン他、
古今東西のさまざまな秘術を操る【現代のアルケミスト】と呼ばれ、
多くの求道者たちに尊敬されている清蓮くん(裕也くん)との

『枠を越えて』いくための
トークライブ&ワーク伝授を行います!!!

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
〜ワクワクが枠枠になっていないかい?〜

2時間のトークライブのあと、1時間のワーク伝授もあるという
愛の太っ腹企画です!!

彼に会って同じ磁場で呼吸できるだけでも
すでにお釣りのくる貴重な体験。

わたし自身も真に嬉しい大興奮の企画で、
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みなさまに実際にお目にかかれるのを楽しみにしています!

 
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