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23/1096 わたしが隠していたかったこと

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で23日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくない人は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

今日はここ数日調子の悪かった我が家の車が突然動かなくなってしまい、レッカーされるという事態に。というわけで、ドイツ行きの可能性がほぼ絶たれてしまった。
フフフ・・・これは好都合である。ドイツに行くのもとても楽しみだったのだが、行かないなら行かないで、家で好きなだけ仕事ができるのだ。毎日投稿が途絶える危険性も減るし、楽しく仕事をするというのは旅行に行く面白さに匹敵するのだと驚いた。もしわたしが小学生だった頃に遠足がなくなったらさぞかし悲嘆に暮れたことだろう。それは毎日学校に行くのが嫌だったからだ。
23日目の今日は、1ヶ月達成を前にして静かな気分。着実に毎日を歩もうという小さな健全性を己の中に見出す喜びとともに、今日も書く。
 
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今日の話題は、隠していたかったこと、について。
 
わたしは以前、まだ自伝を書く前は、自分の過去や自分の意見、己の実体をSNSであけっぴろげに書いたりすることができない、自意識過剰のかっこつけ、であった。
 
それが一気にバーンと変化してしまった背景には、秘行で自分のことを客観視して、はたから見ればそんなに恥じて生きる必要もないじゃないかと気がついてからだった。案外普通の人だった。
そのときに、強すぎた自意識の大きなパートがバッサリとなくなった。そのおかげで、いつも自分に問い詰められるたびにそれを捨ててこれたのだ。

今思えば、わたしは自分のあらゆることを恥じていた。真面目な普通の人生を歩めないという運命を恥じていたし、恋愛にすぐ依存することも無茶苦茶に恥じていた。
貯金できないことも恥じていたし、衝動を抑えることができないのも恥じていた。自分の容姿も恥として立派にカウントされていたし、空気が読めなくてつい、つい、悪気はないのについ、考えなしにアホなことを言ってしまうのを、猛烈に恥じていた。
あがり症も超恥項目として認識しており、更に勤勉さがなく、部屋がすぐに散らかる不潔なところもべらぼうに恥じていた。
その他にも、惚れっぽいところ、ちょっとした感動で大げさに騒ぐところ、どこでも口を開けて眠る、オシャレがわからない、などのたくさんの細かいことを恥じていて、なにより恥火山爆発なのは、それらを隠したまま、良く見せようと思っていたところだ。
 
そして、そして、その良く見せようという方向性がまた痛々しく、「ちゃんと女らしくて色っぽい人」だと思われようとしていたのである・・・
 
そんなわたしだったから、自伝を書いている最中は、素の姿を公表するのがこれまた想像を絶する恐怖で、毎度のエピソードで「お前はこれをさらけ出せるのか?」と自分に問われ、そのたびに「少々お待ちください」言うて裏山に自分を呼び出して、鉄拳で自意識をボッコボコに叩っ壊して成敗してから書いていたのだった。

そんな中でわたしが最も苦しんだところというのが、意外なポイントなのである。学歴、職歴、ホームレス、貧乏、バカ、とんま・間抜けなどのあらゆる競合をダントツに抑えて最も公表に葛藤したのは、
 
それは、、わたしが家で自分のことを「俺」と呼んでいること、であった。秋田から出てきた両親は家でも秋田弁で話していたため、女性が「俺」というのは家では当たり前のことだったのだが、これを書くのが、異様に、とてつもなく恐ろしかったのだ。
 
まず、神奈川生まれ神奈川育ちのわたしは、当然だが東北圏外の人が「俺」という名詞にどういう印象を持つのか、もちろんよくわかっている。まさに男性の使う男の言葉だ。
従って、これを公表すれば、これまで努力を注いできた「ちゃんと女らしくて色っぽい人にみせよう」という道は断絶されてしまうこととなる。するとどうなるか。「女らしくなくて色っぽくもないどころか男っぽい人」への扉が自動で開いてしまうということだ。なかなか由々しきことである・・・

まず、これがひとつの原因だったのは間違いない。わたしはそこに葛藤した。だが、これにはそれよりもはるかに根深い別の理由があったのだ。

葛藤に直面して気がついたのは、わたしが自分の親や祖父母が激しくズーズー弁であることを恥じていて、さらには自分もそれを使いこなしていること、そして何より、外では標準語で「じゃあね~また明日ね、バイバ~~イ」などと言って友達と別れたというのに、家に入った途端「帰ぇってきたど」などと言っている、その二面性を恥じている、ということなのだ!!
わたしは表裏のある人間だ・・二重人格だ・・ジキルとハイドだ・・・そう思うとたまらなかった。だから、これを書いてさらけ出すということは、

「わたしは本当の自分を隠して女っぽく見せようとしていたがそれは真っ赤なウソのイメージで、家に帰ればバリバリに東北訛りで自分のことを俺と呼んでいる二重人格の持ち主なのだ!」
と言うのと同じであった。
 
わたしが小さい頃、近所の同級生の子どもたちのお母さんは、「~ちゃん、寒いからちゃんと着なさいね、風引いちゃうから。わかった?」などと、きれいな、わたしにしてみればよそ行きの言葉で話しているのに、わたしの母ときたら「おい、みぢえ、寒びがらこれも着れ!おめは弱えんだがら着ねば風邪ひぐど!!」などと、他の子が嘲笑する言葉で話すのが恥ずかしく、しかしそれを母に悟られると母がとても可哀想なので普通に「うん」と返事をして気にしていないふりをするのが常であった。
 
こうして育つ間に、わたしの心には恥マグマが地下から湧き始め、次第に圧力を増していたのだと思う。気がつけばわたしは、恥活火山となっていた。
だから、自伝に「わたしは家にいれば自分のことを俺と呼んでいて・・」と書いた回を公開するときの覚悟ときたら、それまでSNSでつながっていてくれた人たちに失望されて、みんなを失ってしまうかも知れないと思うほどだったのだ。
 
でも、それでもわたしは公開ボタンを押した。あのとき、どうなったっていい!!と思えたのは、秘行で根底の自己受容感に目覚めていたからだった。

わたしが自分のこととして強く意識して、あれもこれも、それもどれも、なにもかも恥としていたその多数の点は、外から他人のように見てみれば、別段なんということもない、微笑ましき点ばかりだったのだ。
 
わたしは誰か他の女性が、家に帰って家族とバリバリの訛りで話しているのを見たら、可愛いと思うだろう。おっかあ、俺明日の朝こっぱえぐ起ぎねねがら、早えぐまま食ってねねねんだ!(超訳標準語:お母さん、わたし明日の朝めっちゃ早く起きなきゃなんないから、早くご飯食べて寝ないと!)などと言っているのを見たらつい微笑んでしまう。
それを恥じているところを知ったとしても微笑ましく、隠しているのだって可愛らしい乙女心にしか見えないのだ。
 
自分のことを、そんなふうに他人のように見るようになって、見た目もビクビクするほど醜いと考える必要はないと気づき、家族のことだって、訛りのことだって、ジキルとハイドのことだって、なぁ~んだ、なにもそこまで恥じることもないではないか、ハハハハこの自意識過剰め~!と笑ってしまったのであった。
このときから、わたしは自分のことをそのままでとても受容的に見られるようになった。まさに雪崩のように、それまでの自分に対するあれもダメ、これもダメ、が崩れていったのだ。
これが、自己肯定というのとは少々感覚が違って、わたしはダメなやつ、ということを、ただそのまま受け入れた感覚であった。
これまでは、

「わたしはダメなやつなんだ・・恥だ、罪だ、人に見せられない・・・」
と思っていた。これを自己肯定するとなると、

「わたしはダメなやつなんかじゃない!このままで素晴らしいんだ!」
となると思うのだが、わたしの自己受容的な感覚では、

「わたしはダメなやつ。それがどうした。むしろ微笑ましいぞ」
であった。
 
ダメなわたしは恥だという苦い感覚を、ダメじゃないし素敵、という甘い味にポジティブにひっくり返すのではなくて、ダメだからどうだっていうんだい?とそのまま受け入れてしまった感覚だった。
よりニュートラルで、ジャッジのない、無味無臭の感覚と言える。ただ、もう何度もいろいろなところに書いてきているが、その感覚は秘行の「結果」だった。自分を外から見てみると、とにかく、ダメだとかダメじゃないとか素晴らしいとか素晴らしくないとかそういった価値判断うんぬんの前にわたしは、
 
圧倒的に、生きていた。外から眺めた自分は、とにかく価値がどうとかあれやこれやの前に、燦然と、生命体だった。命だった。動いて、ものを思ったり、食べたり、寝たりしていた。心臓が血液を送り出していて、すべての細胞が生きていた。神経や内臓が働いて、動き、生命の時間を燃やしていた。
わたしはそこに思いが触れたときの感動と感泣を今も覚えている。心から自分にすまないと思った。せっかく生きているのに、それ以外のことがどうしたというのだろう。自分という命に、文句をいうのはやめようと思った。
だから、わたしはダメな人だとかなんとかということに対して、それがどうした、とふてぶてしく取ってつけたように言っているのではなくて、そうとしか言いようがない感覚だったのだ。
 
わたしはそれから、人様を見ても、そう思うようになった。生きていることを思うと、まずそこですごいと思う。人には多かれ少なかれ必ずそれぞれに葛藤があって、それがその人を苦しめ、せっかくの地球上での生命体験を苦しみだと感じることがあるのは言うまでもない。その苦悩を「大したことではない」と言っているのではなくて、その葛藤もなにもかもひっくるめて、生きているということだと思ったのだ。人は、いつか死ぬまでの日々を勢いよく生きていて、まずはそこですでに奇跡的なことだと思う。
そして未熟なわたしは、これ以上に人を受容的に見る術を知らない。
誰しもが、いろいろなことで苦しみ葛藤し悩みながら生命活動を続けているということを、まずはいつもリスペクトしたいと思う。そう思うのにきっとこれからも何度も忘れるから、何度でも思い出そうと思う・・
 
そんなわたしは、今日もこうして生きて記事を書くことができた。よかった。これを読んだあなたも生きておられる。よかった!!
 
あの世に行ったあとは愛しく思い出すであろう、青い地球上での、生命としての一日を、今日も満喫しましょう。
 
今日はこんなところで、また明日!! 

 

 
 


 
 
 
 

 
 
 
 
 
 





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