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225/1096 忍法「われ性善なり」

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で225日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

225日目、今日は午前1時半から書くというちょっとしたピンチである。日本はもう朝の8時半。できればいつものように、今日のぶんを日本の午前中に届けたい。頑張れ自分!!

毎日投稿の目的はもはや、怠け者が怠け癖を克服する、というものではなくなってきていて、3年続けようという「ちょっと自分にはできそうにないこと」を追うものになっている。
今はもう、わたしには無理だ、という自分への評価を実際に破ってみたいという目的に変わった。いつの間にこうなったのだろう・・・自分のことを怠け者だなんて自分に言わせないぞ!と強気に思えるだけでも、わたしには無理だ・・と信じていた頃に比べると、本当に晴れ晴れとした気持ち。現実的に挑戦するのって、改めていいなと思う。

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OH!そうこうするうちにもう2時ではないか。こんなときに嬉しいのは、書く意欲が衰えないところだ。そんな自分が嬉しいなあ。

今日は大好きな友達とお話をして、とても嬉しい日だった。そこから思ったことを書いてみようと思う。

わたしはイタリアに来てから、ヨーロッパの人々に「なんの宗教を信じているのか」「神を信じているのか」と聞かれたことが何度もある。
日本にいる間は一度も聞かれたことのないような質問だ・・はじめのうちは、これになんと答えたものかと戸惑ったけれど、今は社交の場でわたしは「仏教を信じていますよ」「すべてが神だと思っていますよ」と答えている。

そうすると、それってどういう意味?そう考えることはできないんじゃないの?人間は神ではないのよ?と会話が発展して、ときには「じゃあ戦争も神ってことになるわよ」と言われたりする。そういうときのイタリア人にはよく、ちょっとわたしを軽蔑する感じや、ちょっと怒った感じ、ちょっと「してやったり、これでぐうの音も出まい」みたいな感じが見えることがある。それからちょっと、この日本人はこれになんと答えるのだろう、という好奇心も感じられる。

わたしは、あなたの信じる神というのはどういうものですか、と聞いてみる。それへの返答として、「正しいもののことよ」というものが多く、それ以外は大抵、そんなことは説明できないわよ、ゴニョゴニョ・・と戸惑ってしまう人が多かった。でも彼らとこの手の話になったときに、険悪になったり言い争いになったことはなくて、いつも本当に面白い。わたしは彼らの考え方を聴くのがとにかく興味深くて、ついつい聞き役になってしまう。

こちらに住んでいて、西洋の人にとっては人間の「性悪説」が根本にあるのだと思うようになった。人は元々罪深きもので、何もしなければ間違った方にしか行かない、だから神が必要だ、という感覚なのだなと感じる。

わたしの認識に偏りがあるのかもしれないけれど、片やわたしたち日本人には、どちらかと言えば性善説が浸透しているように思う。人の根本的なところは善良だけれど、さまざまな煩悩がそれを曇らせている。だから、それを捨て去ることで善良な人間に戻ることができる、という感覚があるのではないだろうか。

わたしはどちらも同じだけ良いものだと思う。正反対のことを言っているようで、同じところにたどり着くと思うから。善良であろうという、目指すところが同じだ。これらがどう機能するかというのは、どう伝えるのかが大きく左右するように思う。そのときに、これらがそれぞれの文化に影響されるというよりは、これら根本的な感覚が文化を作る一端だと思う。

わたしがSNSを通して自分の思いを発信しながら仕事をするようになってまだほんの数年間の経験でしかないけれども、わたしにはこの性善説が個々にとって薄れたときというのが、日本人にとってとても心細く、自分を責めてしまいがちになるときなのだと思うようになった。

わたしには、「自分の本質は善良だ」と思うことが大きな支えとなってきてくれた。自分を根本から性悪だと思うなんて、日本人のわたしにはとても辛いことだ。だから、そちらに考えが寄ってくると、非常に自分を責めがちになる。もし自分に悪いところがあっても、「は?人間ってそういうものなんだから仕方なくない?」と思えていれば責めずに済むというのに。
イタリア人の根底からあっけらかんとした感じは、そこから来るのかなとも思う。極端に言えば、自分に罪があると感じても、「俺のせいじゃないよ?まったく、神さまはなにやってんだ」と思っているように見える。(笑)
う~んすごいな、性悪説はこうして使うべきだよな!と思う。

でもこれを根底からインストールするのは日本人にはとても難しいので、我らは性善説からのアプローチによって楽になるのが得策だと思うのだ・・!

わたしたちに、いろいろな迷いや苦しみ(=煩悩)が感じられるときには、「これはただくっついてしまっているものだ、本来のわたしではないのだ」と思ってみる。本当のことだから大丈夫だ!そのままGOひろみである。

そして、そのくっついているものを相手にしない。もうこれ本当に重要だから自分で書いておいて赤ペンを引きたいよ。。。煩悩を相手にしてなんとかして消そうなどとしなくてよくて、そっちは放っておいて(そんな自分は遠目に眺めて可愛いものだと思っておけばよし)、本来のわたしは善良なんだということを心に思うのが、バルサン並みに効くのである。

本来のわたしたちは、誰かが高いところから落ちそうになっているのを見たら、誰か助けてやって!!落ちないでー!!と思ってしまうし、もし足を踏み外して落ちるのを見てしまったら大変なショックを受ける。
子犬がポテポテ歩いているのを見ると、つい微笑んでしまう。もしそれを傷つけようとするものを見たら、やめてー!と思ってしまう。
ついつい善良である。努力なしに。

だから、わたしたちがなにかに迷ったときは、そのことを思い出そうではないか・・・なにかを恨んでしまうときも、なにかを許せないときも、ケチなときも、心が狭いときも、頭にきたときも、悲しいときにも。

その迷いを抑え込まず、善良に「なろう」となどしないで、「わたしは今この状態だけど、本来は善良なんだよな」と思い出すだけだ。
簡単、楽ちん・・・!
「こんな風になることだってあるけど、本当はいいやつなんだよな・・」とただ思い出す。心はもちろんついてこない。でも、その迷っている自分のことを、少なくとも「これが本来の自分だなんて、なんて醜いんだ」と思わずに済む。これを日常的によくやっていると、自分を善良だと感じる感覚のほうが、根を張るように定着してくる。そしてあるとき、迷いの方を破って出てくる。これが面白い&感動的だから、やってみていただきたいのだ。。。

悲しい気持ちでいっぱいのときにも、自分が善良だと思い出していると、はじめは「こんなに善良なわたしを傷つけたんだと思うと、もっとあいつが許せない!」と思ったりする。そのとき、悲しみから怒りが湧いてくる。
その怒りでいっぱいのときにも、自分は本当は善良だ、と思っていると「そんなことないよ、相手に復讐したいくらいだもん」と思ったりする。
そのとき、怒りから悪意が出てくる。

その悪意でいっぱいのときにも、それでも自分は善良なんだったな、と思っていると「やっぱりそんなことない。こんなに腹黒いんだもん・・」と思ったりする。そのとき、悪意から罪悪感が出てくる。
その罪悪感でいっぱいのときにも、それでも善良だなんてね、、と思っていると「なんでそう思えないんだろう、自分ってダメだな」と思ったりする。そのとき、罪悪感から自己嫌悪が出てくる。

その自己嫌悪でいっぱいのときにも、それでも善良ってか・・ハァ・・と思っていると「そうだったらいいな・・・」と思ったりする。そのとき、自己嫌悪から望みが出てくる。
その望みでいっぱいのときに、わたしって善良なんだよね、、と思っていると「気持ちがついてこなくても、そうなんだってことにしよう」と思ったりする。そうしたらきっと、そこから滑り出すように、善良だと知っていてよかった。。。という気持ちがちゃんと芽吹いてくる。自分の優しさ清さに自分で喜ぶ時がくる。

この「自分って生まれつき善良なものらしい」ということを、頭の片隅に置いておき、ことあるごとにそれを思い出すという『忍法「われ性善なり」』を使うと、他者のことも善良だと思い出せるのが嬉しきところ。最高の副産物である!どうか、楽しい心理の遊び方として、気楽に使ってみてね。

というわけで、今日はわたしたちが善良だと覚えておいて、いろんなときに思い出そう!というご提案であった。使って遊べる方がおられますように。

それではまた、明日~!

【初夏の特殊なワークショップのお知らせ】

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』
『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』
参加者募集中です。

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』

あがり症を持つ方のための、あがり症克服に特化した日帰りのワークショップです。わたし自身がどんなに場数を踏んでも抑えようとしても治らなかったひどいあがり症を克服したある方法を、ワークに落とし込んだもの。
このワークショップでは、あがりを抑えようとせずに自然に中和し鎮める方法を伝授します。あがり症を克服したい方に、ぜひとも知ってもらいたいと思っています。人数限定ですので、お申込みはお早めに。
当日がとても楽しみです。
(※残席3です)

『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』

こちらは幸せな恋愛や夫婦関係のためのワークショップですが、根本には自分自身と恋をすること、目の前の人と響き合うこと、本当の自分で誰かと関わることをワークを通して体験するものです。
ワークはとても楽しめるものでありながら奥深い体験につながっています。こちらも、ピンと来た方にぜひ体験してほしいものです。
(※残席2です)

【九宮秘行のワークショップ、募集が始まっています】

人生を限りなく透明な目で見通し、本来の自分のあり方を取り戻す九宮秘行のワークショップ。今夏の受講生の募集が始まりました。

第三部まで修了すると師範代のライセンスが取得でき、九宮秘行講師(壇珠と清蓮)主催の九宮秘行ワークショップ内で共に「九宮秘行 第一部」の指導に当たることができます。

自分の本質を知り、枠を超えて人生を歩みたい人へ。
自分の可能性を探求し、本来の望みを体現しましょう!

道家茅山上清派や様々な流派の数々の秘儀秘術の本格的な修行を経験してこられた清蓮さんとわたしとで一緒に「身体・意識」それぞれの面から練りあげたワークを、ひとつひとつ進んでいただきます。ご自身の探求とともに、人間の可能性に驚く純粋な体験のできる場です。
どなたでもゼロから参加できます。一緒に九宮秘行を伝えていきませんか。

・瞳の純粋さを思い出す
・人生に遊び心を取り戻す
・自分で自分に贈り物を与えられるようになる
・人前で安心して存在できるようになる
・深い呼吸のできる体になる
・自分自身や他者、 世界についての思い込みから自由になる
・生きている間に魂存在としての自分を思い出す
・ひとつのものが全てであって、全てがひとつであるという感覚を体験する
・神通力を開く

などの効果が期待できます!ワクワクした方は、ぜひ!!詳しくは九宮秘行のホームページをご覧ください。

【自分の枠を突破しましょう】

『秘行×神聖幾何調身法』

身体のアルケミストであり、多くの求道者たちへの指導経験を持つ清蓮くんとの『枠を越えていく』ためのトークライブ&ワーク伝授を行います。

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
〜ワクワクが枠枠になっていないかい?〜

2時間のトークライブのあと、1時間のワーク伝授があります。

大きい会場に変更したため120名まで入ることができます。
(※現在残席5となりました!)
みなさまに実際にお目にかかれるのを楽しみにしています!

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