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299/1096 【思いつきを見逃すな!】小さな選択、大きな変化

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で298日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

299日目、明日はとうとう300日目だ!うわはは~日本にいるからか、前に思っていた以上に『区切り』が訪れる感じがして嬉しい。

もちろん明日はほとんどの人にとって特別な日ではないのだけど、わたしにとってはひとつの区切りの日。自分にとっての特別な日というのは自分で創ることができるんだなあと改めて思う。

今日も地道に書こう。地道に粛々と物事を進められるのって、わたしの一番の憧れだったんだなと思う。毎日投稿は、そういう意味で毎日ちゃんと食べるとか、毎日掃除をするとか、そういう類の「派手ではないけど自分のためになること」という感じがする。ちゃんと野菜も食べる、みたいなね。(笑)
心のビタミンみたいなものかな!今日も静かな補給を丁寧にやろう・・・!

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わたしは日本に到着したばかりの数日は、イタリアでの癖を無意識に引きずっていて、お店に入るときなどに「こんにちは~」「こんばんは~」と挨拶してしまう。当然誰からも返事はなく、店員さんもわたしを無視する。
もちろん彼らには少しも悪意などなくて、ただそんなことに慣れていないからとっさに対応できないだけなのだけど、ちょっとさみしい。でも、これが日本の普通だからそれは仕方がない・・・

レストランでも、お水やおしぼりを持ってきてもらったときに、「ありがとうございます」と言ってしまう。でも、他の人はそれをしないから、あ!またやってしまったなあ~と思う。

イタリアでは無言でお店に入って挨拶もなく買い物をして、無言で去るということはなかなかに非常識なことだから、これに慣れているとつい挨拶してしまう。レストランなどでも、スタッフが何かをしてくれたらお礼を言うのが普通のことなのだ。

やがて数日が過ぎると、わたしも静かにお店に入るようになる。いきなり挨拶をすることもなくなり、黙って入って黙って去るようになる。日本で住んでいたわたしにとって、日本の環境に適応するのは、なんの苦もなくできることだ。

この自分の変化を観察していて、自分なんてあやふやなものだな~と思う。
わたしは別の環境に置かれれば、あっという間に今の自分なんて捨てて別の人になってしまうのだ。

これは考えてみたら、とても面白いことだ。自分を変えてフレッシュになってみたいと感じたら、環境を変えてしまえばいいということだ。
自分を変えようと考えると場合によってはとても辛いし大変だけど、「まあそれは置いておいて、環境を変えてみよう」というのは、それよりはずっと気楽に取り組めることだと思うのだ!

部屋のレイアウトや持ち物、人間関係や出来事を変えていく。そうすると、変える前の環境にいた自分とは違う反応、違う心境、違う感覚、違う出来事に遭遇して、少しずつ変わっていってしまう。考えてみるととても便利なことだと思う。

ちょっと環境を変えたら、これに応じてその分わたしも変わっちゃうんだな、と思うとなんだかウキウキしてくる。本当のことを言ったら、人は何もしなくてもいつもいつも同じではいられないから少しずつ変化してしまっているのだけれど、変化をあえて実感して能動的に楽しむには『環境を変えて間接的に自分に変化を促す』のはとても良い発想ではないかな!

たとえば、ふと聴いた風鈴の音がきれいだと感じて、自分の家の玄関にも風鈴を飾ってみたとする。
出かけるときや帰ってくるとき、そのたびに「チリンチリン・・」という音を聴く。風鈴に心あらわれるような思いを感じる人は、そのたびにそれを感じる。そこから思い出すこと、その思い出したことから思いついたこと、感じたこと、選択肢、癒やされる思い、イマジネーション・・すべてが、風鈴を飾らなかったら起こらなかったことだ。
風鈴を飾ったときにはそれをとても小さな変化だと思っても、その後それが自分にどの程度の影響を与えるのかはわからない。そこから自分がどう変化するのか、わたしたちには予測不可能だ。だから、ふと風鈴を思いついたら、とにかく飾ってみることだと思う・・・!

わたしにはこんな経験がある。
ある日のこと、わたしはショートヘアの女性を見てふと、可愛いなと思った。さっぱりしていて、潔く見えて、素敵だと思ったのだった。
ちょっとした気まぐれみたいなものだったけど、それ以来ショートヘアの女性を気にして観察するようになった。見れば見るほど、短い髪が似合っていて素敵な人ばかりが目につく。いいな~かっこいいな~と憧れた。

わたしは単純に「自分もやってみようかな!」と思った。
あれこれスタイルを検索して迷ってから、だんだん自分の好みがわかってきて、それに似たスタイルにした。ロングヘアをバッサリ切ったのだった。

毎朝起きて鏡を見ると、髪が短くて自分でもビックリした。鏡を見るたびに、髪が短いことを意識してしまう。

そこからわたしは思った以上に苦しんだ。
自分がいかに、長い髪に「女性であること」を預けていたのかを思い知った。髪が短くなっただけで、自分の女性らしさが8割減になってしまった気がしたのだ。こんなにも髪に頼っていただなんて。髪が長いだけで安心していただなんて。

それからわたしに、さらなる怒涛のコンプレックス地獄がはじまった。
胸さえ大きければ髪が短くても大丈夫なのにな、とか、ふくよかさが足りないから髪で補わないとダメなんだ、とか、自分を否定する発想でクヨクヨしはじめたのだ。ひどく辛い思いだった・・・・・

しまいには、小学生だった頃の深い傷までが浮上した。わたしが好きだった男の子がショートカットの女の子が好きらしいということを他の子づてに聞いて、わたしは思い切ってそれまで長かった髪をバッサリ切ったことがあるのだ。そのあと、そのわたしの好きな子のグループの男の子たちから、なんで切っちゃったの、似合わない、などと言われてものすごく悲しかったのを思い出したのだ。
それを理由に髪を切ったことが周囲にバレていて、それも死ぬほど恥ずかしかった。自分を、なんて浅はかでバカなんだろうと思った。

わたしは、自分が自分の好みや似合うものをそっちのけにして、軽々しく相手の好みに合わせてしまったこと、それによって逆に自分を貶めてしまったことがとても悲しかった。短い髪を見て、なんでこんなことをしてしまったんだろうと激しく後悔したのを覚えている。家で誰にもわからないように、しょぼくれて泣いたりしていた。早く髪が伸びてくれないかと、地底から天を見上げるかのように祈った。あの日の思いよ・・・!うう・・涙

大人になってもその傷を心の底に抱えていたからか、髪を切ってから自分の気持が卑屈になっていて、夫からも「や~いや~い、バンビーノ(男の子)!」などと言われると、単なる冗談が古傷に塩を塗るような手ひどい攻撃に思えて「やめてよ!」などと本気で言い返したりしてしまうのだ。

でも、そんなある日に気がついた。わたしは今回、自分で髪を切ったのだ。あの日ふとショートヘアの女性を見て素敵だなと思った自分の気持を拾って髪を切った。自分の好みを無視して誰かの好みに合わせたわけではなく、誰かに好かれるためにやったことではなかった。わたしは自分で決めて、自分の好きにしたんだ。だからもう、あの小学生だった頃のわたしとは違うんだ・・・・・そう思ったら、たったこれだけのことで、髪を切った自分がとても誇らしく思えてきたのだ。

そう思って見てみれば、ちょっと伸びかけたくせ毛の短い髪がぴょんぴょんハネていても、なんだか微笑ましかった。わたしは、髪を自分でくしゃくしゃっとしたときにルーズにキマる短い髪が、なんだか気に入り始めた。

それからわたしは、何度も伸びた髪を切り直してしばらくショートヘアをキープした。ロングヘアでなくても、わたしは女性だった。胸がないのは、髪が長くても短くても変わりなかった。わたしの女性らしさは、髪の長さに依るものではなかった。そんな当たり前のことが、髪の短い日々に少しずつ少しずつ、自分に浸透していった。

やがてわたしは髪を伸ばし始めた。自然と、切リ続けることをやめようと思えたからだった。あれ以来、わたしは自分が自由に髪型を選べるようになったこと、そこに「女性らしさの依存」がなくなったことがよくわかる。
わたしは、髪型によらずに女性らしいオシャレを楽しんでいいのだと今はなんの抵抗もなく思うことができる。
これによって子供の頃からくすぶっていた悲しみを解放できたのは、とても大きなことだったと思うのだ。

ふと素敵だと思ったことをそのままやってみて、自分の環境を変えたことがこんな癒やしにつながっていたのだった。たかが髪型の違い。されど、わたしにとっての辛いコンプレックスを温めてくれた経験だった。

ふとした思いつきによって、自分の環境に変化を与えてあげよう。
それはもしかしたら、わたしたちにとって深い意味を持つことなのかもしれない。自分で環境を変えて、自分で予測不可能な未来に飛び込む。自分の環境を変えて、自分に変化を許す。あくまで自分次第なのだということを、力強くその手に感じる・・・・これを、生きる手応えと言わずになんと言おうか!

というわけで、今日は環境を変えることのパワフルさ、その変化を自分に与えることを、自らを解放して楽しんでみないか?というお誘いでありました。
それではまた、明日・・・!!

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