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22/1096 いじめられっ子と、母の愛

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で22日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくない人は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

1ヶ月達成まで、あと約一週間だ!1096日と考えると途方も無く長く思えるが、3年=36ヶ月の内、1ヶ月分が過ぎるのは嬉しい。
1/36、と思うと大きな一歩に思える!まずは1ヶ月にきちんと到達しよう!よっしゃーーーー
 
問題は、明日から4日間、ドイツに行くことである。この間の更新を途絶えさせてはならない。旅行は鬼門である・・・普段のペースが崩れることは、日課をこなす上で最大の敵だと言えよう。しかし、旅行も楽しんでやることはやらねば、と思う。どっちも取りたいのは自分なのだから、誰のせいにもできない。自分が崩れたらこれを読んでくださっている方はどう思うだろうか。旅先でも、ネットが通じる環境と、時間とをなんとしても確保して、やり切るのみである・・・
 
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さて、今日の話題は、いじめと母の愛について。
わたしは自伝でも少し触れたように、いじめられっ子だった。理由は表面的なことを挙げればキリがないのだと思うけれども、今の今になれば、通過しなくてはならない宿命だったと思っている。
 
わたしは小学校当時からあまり友達のできる方ではなくて、どのグループにもはっきりと所属することなく(その重要性をわかっていなかったのだ・・仲良し同士で一緒に行動したり、同じものを使って仲間感を持ったり、そういうことに疎すぎた)ボサ―っとしていて、高学年になる頃にはすでにクラスの女子の爪弾き者だった。

わたしはそのボサ―っとした爪弾き者のまま中学に上がったのだが、同じ小学校だったある女の子と家が近く、3年生になってから誘われてその子と一緒に学校に行くようになった。始めのうちは学校内でも一緒にいたが、その子がもともとイケイケな気の強い性格だったのもあって、大人しいわたしよりもイケイケな女子たちと仲良くなって、次第にわたしと一緒にいることを避けるようになり、気安く話しかけると怒るようになってしまった。

その子はいつも授業中に遊んだりイタズラをしたりしてばかりいたので、先生の書いたことをノートに残しておらず、ある日を境に帰り際にわたしにノートを貸してくれというようになった。
それに何度か応じるうち、彼女が本当になにもテスト対策をしていないのがよくわかった。ある日わたしは、またノートを貸してほしいと頼まれたときに、たまたま自分でわかりやすくまとめたノートを持っていて、一緒に貸したら助けになるかと思った。それで、ここ数日の分は、こっちに簡単に見られるようにしてあるから良かったらこれも使ってね。と言って渡した。

するとその子は、それを受け取りつつ、周りにいた子達に「頭がいいって言いたいんじゃない?」「見下してる」「いい気になってる」「先生気取り」とこちらに聞こえるように言いだし、周囲の子たちはその子を敵に回すのを恐れて、タジタジして困ってしまう、という事態に・・・

それからなぜか、いや、自然と?いじめが始まった。わたしが教室に入れば、臭い、キモい、こっち見た!、調子に乗ってる、ウザい、貧乏、髪の毛焼きそば(わたしはひどいくせ毛を持っている)、などと言われてしまうので、近くに行くことすらできず距離を置く。しかし、距離を置けば置いたで「周囲にこっちがいじめてるみたいに見せようとアピールしてる、性格悪い」と言われてしまうので、もうにっちもさっちもいかないのだ。
クラスの女子たちは、その子になにも言えず、流れ弾が当たらないように適当な距離を保ってうまく仲良くしているしかないようだった。
 
わたしは学校にいる間中、ひたすら下校時刻を待った。早く家に帰りたかった。家ではただ本を読んだり絵を描いたりして過ごしているだけだったが、学校にいると傷つく一方なので、早く家に帰って、ひとりで地味なことがしていたかった。
わたしは母が嫌悪するので、オサレ雑誌を読んだり、髪の毛をサラサラツヤツヤにするためにドライヤーをかけたりすることができなくて、それも攻撃の対象となってしまった。わたしはいつもモサい姿をしていた。

しかし、母が可哀想で反逆を起こすこともできず、いじめの相談もできなかった。日常生活で母はすでに悲惨だったから、これ以上心配させたくないし、傷つけたくなかったし、子供を生き甲斐にしている母が人生にさらに失望するのを避けたかった。

お前に賭けてるんだ、オレがダメだったからお前だけは立派になってくれ、と母はいつもわたしに言っていた。お前がオレの生き甲斐なんだ、だから勉強を頑張ってくれ、そのためなら頑張って弁当作るからな、飯も作るからな!と。そしてため息を付きながら眉をへの字にして辛そうに必死に頑張っている母。それが母の愛だとわかっていても、わたしには死ぬほどヘビーなことだった。

わたしが勉強をやめて、成績を落としても、すでに友達などできない嫌われ者で、いじめられっ子の存在に堕ちきっていると知らせても、学校になど行きたくないと言っても、本当に登校拒否したとしても少しも動じず、そのすべてを許してくれて、母にはそれ以外の母の世界と幸せがあって、楽しくしてくれていたらどんなにいいだろうと思った。
が、それは夢のまた夢だった。わたしは黙ってそれとは真逆の母に付き合っていた。心に鞭を打って、とはこのことだという記憶しかない。とても辛かった。ただただとても辛かったのだけを覚えている。
 
わたしは、わたしがこのことを自分の子育てに活かさなきゃ嘘だと思う。

もし、わたしたち母親が、子供が学校で勉強せずに成績を落とし始めたり、いじめられて学校に行きたくないから行かないと言い出して登校拒否したというときに、
「それでいいと思うわ。わたしは今、~が好きで、それをやっていれば楽しくて幸せなの♡」と言ったりしたら、四方八方から途方もないバッシングを受けるだろう。だが、こう書いたら怒られるかも知れないが、わたしはそれが子供を救うと思うのだ。
 
子供は自分とは関係のないところでの幸せを持ったお母さんにしか相談事ができないものだと思う。親を愛すればこそ、親の期待を苦痛に思うのが子供だ。
子供が生き甲斐だという、その気持はよく分かる。だから一生懸命に子育てをする、という主張もわからなくもない。
だが、母親がそれだけに染まってしまうというのは、母親が自分の人生に楽しみを見いだすという個人的な責任を、すべて子供に負わせているのと同じだと思う。「わたしの楽しみであり続けてね」「わたしの生き甲斐として期待に応えてね」という要求と同じなのだから。

子供はそれを敏感に察知して、母の生き甲斐であろうとする。その瞬間、母親は頼れる存在ではなくなってしまう。それどころか、自分に重い期待を寄せる「こちらが守ってあげなくてはならない存在」になってしまう。
これが、いじめで疲弊している心にとって超ヘビーなことは言うまでもない。ほんっとうに、苦しくて辛かった。

だから、21歳で前夫と同棲を始めたとき、わたしは背中に羽が生えたのだと思った。それでも、残してきた母が心配で毎日泣いた。
少し経って実家に帰ったとき、母は、お前はおれを捨てたんだ、、とわたしに言った。素朴な母にそうまで言わせたそのショックと罪悪感と、それを振り切って好きなようにすると決めるときの断腸の思いとで、あのとき、胸から血を流していると思えるほど、辛かった。

だから、やっぱり女の人は、自分で自分を楽しませなくてはならないと思う。自分の人生や能力を早々に見切って、夢も捨てて、あとは子供に託そうなどと考えては子供が可哀想だと。そこを子供に頼ってはならないと強くそう思う。
人は幸せになる権利があると言うけれど、幸せになるのは義務なのだ・・!
果たせなくても仕方がないけれど、それでもいいと思うけれど、ちゃんと幸せになる挑戦をしなくてはならないのだと。過激な書き方だが、せっかく書くんだから、あえて義務だと言い切ってしまいたいのだ。

わたしは、子供のために楽しみを我慢するとか、だから感謝しろと子供に要求するとか、そんなことをするお母さんでありたくない。
「あちゃー、ママ、~やってたら楽しくて、アンタの御飯作るの忘れたわ!」と言ったときに、それを心底喜んでくれるほど、子供の愛とは深いものだと思う。親の愛の比ではない。

だから、どうか女性には勝手に幸せでいてもらいたいと思う。
人類の子供という生物をなめてはならないのだ・・・!神さまみたいに、優しいんだよ・・・だから神社みたいに大切に、信頼してあげたいと思う。
 
神社に行ったら、神さま、~を叶えてください、~をください、~がなくて辛いです、と要求するのではなくて、本来は、今日までこんなに楽しいことがありました、~でとても幸せでした、ありがとうございます、とご報告するものなのだと聞いたことがあるが、

きっと子供にも、ママは今日~をして楽しかったよ!と伝えてあげるのが、子供への愛なのだと思う。
 
一ヶ月を達成したら、娘に喜びを報告しようと思う。
というわけで、母さんがんばるぞ。

それでは今日はこのへんで。また、明日! 
 
 
 

 



 
 



 

 

 


 
 

 
 

 
 

 
 

 





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