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120/1096 生きる大変さ、その嵐

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で120日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

120日目を明日のイベント登壇のためにフィレンツェで迎えた!今日は夫が高熱を出すというトラブルに見舞われて、こちらでの彼頼みだったプランが崩れてしまった。この、何があるかわからないという「一寸先は闇」の臨場感が改めてリアルに高まった状態で、予定通りに毎日投稿をする、というギャップの中でこれを書いている。
自分は予定通りに事が進むという驚きのない満足感よりも、予定はやっぱり未定だった!というときに、なんとかしてそれを切り抜けて、「人や自分の対処力、見くびるべからず…」という戒めを得る喜びの方に惹かれてしまう。
そんな予定調和ヘイターのじゃじゃ馬を抱えたままで毎日毎日コンスタントに投稿しようと思うというのは、いつも自己矛盾していたいというおかしな望みを持っている証拠なのではないのだろうか…

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今日はおかしな日だった。

わたしは家族と一緒にヴェネツィアの自宅からフィレンツェまで来て、夫が珍しく倒れ、たでひろこさん宅で坂爪圭吾さんhttps://note.mu/keigosakatsume
とお友達の保科さんにお会いして、みんなで発熱に苦しむ夫の横で思い思いに遊んで話しをして、何を考えて生きているのですか、とか、今何を思っているんですか、とかいう不思議な質問をしあって、みんなで美味しいご飯をご馳走になって、坂爪さんのギターに合わせてわたしが歌を歌って皆の談笑を彩る生演奏BGMを流し、眠る前にひろこさんに寒さについて心配していただき、「大丈夫じゃないことを含め大丈夫だ」ということを確認しあって皆で雑魚寝をする、という流れで、今、目の前であの坂爪さんが立てる静かな寝息を聞きながらこの毎日投稿を書いている。

わたしはあまり、あなたと出会うのは運命だったのね!と思うことがなく、それについてとてもドライな感覚を持っている。
それは、これだけたくさんの人のいる星の上に人が生きていれば、そりゃああなた、それぞれにたくさんの出会いが起こるのは当然でしょう、運命もなにもあるかいなというある意味冷め切った考えに因る。

けれど、今日は坂爪さんにお会いして、出会うべくして出会ったお方だと勝手に思ってしまった。それくらい、深く動かされた。それから、とても共感するところをたくさん発見したのだった。

坂爪さんは不思議なお方だった。なんというか、わたしから見て、神々しいほどに「生きること」の本質を体現したいがために生きているようなお方だった。

それによって受ける「生きる苦しみと矛盾をそのままに感じるがゆえの傷」に対してこんなに無防備だなんて、なんたることだ、と思った。
なのに、いや、だからこそ、単なる喜びも、人の暖かみや善良さを肯定する幸福感も、混じりっけなしで直に感じられるお方なのかもしれない…とも思った。

坂爪さんはヒリヒリするほど裸ん坊で、とても遠いと感じるほど大丈夫で、悲しいほどに一匹狼で、愛さずにいられないほどに優しかった。

坂爪さんと、夜の小雨の降る寒い街灯の下で小話をした。言葉が繋がらない時、坂爪さんは無理にひねり出してうまいことまとめたりしない人だった。詰まった時に、言葉が追いつかなければ、急に話を閉じて、えー、はい。と言って笑顔を向けてくれた。わたしはそれが嬉しくて、わたしもそれに対し、はい!!などと空気感に合わない返事を繰り出してしまったりした。
でも、そんなことには互いに何のとがめもないことを互いに知っている、打算のない素敵で温かな会話をした。その間、ずっと嬉しかった。

わたしは坂爪さんに触れて、改めて人はみな独りなのだと思った。一人一人の人が完全に独りだから、人を愛せるのだと思った。みな独りだ。どこまでも永遠に。それは我々がひとつであることを悟って「わーやられた!」と言うための、壮大な、宇宙規模のイタズラなのかも知れない。

生きることが、それぞれがひとりでボートを漕いでいる感覚だとして、それは実は皆が一緒に乗っている船の中で上映中の、贅沢な3D映画を観ているだけなのだとしたら、こうして生きる上でのいろいろなことが切ないのは悪くないのかも知れない。

その映画は、アタフタして涙を流して怒って笑って悲しんで、没頭して観られたら一番楽しんだと言えるのだと思う。もしそこに、「ま、みんな同じ船に乗ってるんだしな!」という信頼があったら、きっといくらでも安心して没頭できるだろう。

わたしは、幸せとは、その映画の内容を無難で悲しいシーンや頭にくるシーンのないものにすることではないと思う。
その大きな船に乗っているんだと気がつくこと、もしくは、その大きな船に乗っていると気がつかないほど映画に没頭して生き抜くこと、だと思う。

だから、わたしたちにもし、悲しいことがあったとしても、辛いことがあったとしても、それは人生の失敗などではないと思う。楽しいことや嬉しいことだけが人生の成功だとも思わない。
生きていると、いろいろある。飛び上がるほど嬉しくて面白いし、クソ辛くて馬鹿みたいに大変だ。
でも、一度でも、まだ死にたくないと思えたら、この映画をまだ観ていたいと思えたら、それをプロデュースしたその人の魂にとって、こんなに嬉しい賛辞はないと思う。

「わたしのなにがすごいって、なにせ死にたくないんだよ!」と言ってしまっていい気がする。だって、そこからして素晴らしいと思うのだ。
逆説的には、「わたしは死にたいと思いつつもまだ生きています!」という人も同じくらい素晴らしいと思う。生きる大変さ、その嵐に打ち勝ってそこに立っているのだもの。

生きたい動機が、プラモを作りたいからでも、まだやり残しがあるからでも、誰かが悲しむから死ねないと思うからだとしても、死ぬのが怖いからだとしても、その理由に良し悪しなんかない気がする。
生きたい、それだけで生命の本分を果たしていると思うから。

今日はここまで書いていたら、睡魔が本気を出して襲ってきた!寝落ちすると更新できなくなりそうだから、この辺りで。

それでは、また明日!!

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