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134/1096 幸せ薬【変な人はこちら】

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で134日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

なぜか意識が120日前後に戻っていて、え?!なんで今日すでに134日目なの?!と、驚いてしまった。自分は大丈夫なのだろうか。
ここまで日付を忘れていたことはこれまでになかった。始めのうちにあった、明日で3日目だ、今日で10日目だ!と指折り数えていた感覚が思いのほか長く続いていたが、とうとうスポンと頭から抜けるに至った。

このところ、毎日投稿を書くにあたっての意識がかなり安定して、日々の変化が少なくなってきている。心境の変化をレポートするのも、必要なときだけにしようかと考えている。
折り返し地点の548日とか、900日、1000日と続いたらさすがに到達感も湧くだろうけれど、それまではしばらく静かに続きそうだ。
思えば120日を過ぎたあたりから感覚はとても静かになった。
それで、そのあたりからの日数を忘れていたのかもしれない・・・!

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今日はわたしの仕事について事務局と話し合いをしたりしたから、頭が少しビジネスモードだ。というわけで、お仕事について書いてみたいと思う。
とは言っても、わたしは仕事の流儀とか、ビジネス戦略について語れるような知識も経験もないため、そういう役立つ系のことは少しも書けないのだけれど、単に今この場で「仕事」という言葉から浮かんでくることを書いてみよう!

わたしは若い頃、仕事をしないでブラブラしていたことがある。当時、悲しい犯罪の被害者になった直後で(ここには書きませんが、裏自伝にすべて書いてあります。有料なので、本当に悲しくておバカなお話でもいいよ、というお方だけ、読んでみてください・・)、外にも出る気にならず、日中は家にこもりっきりだったことがあった。

当時、わたしは自分が仕事をしていないことを、心の底の底からでは足りなくて、さらにそこから掘削して開けた穴の底から、
「自分は、ヤバい・・・かなりのクズだ」と思っていた。

どうしてみんなは仕事が続くのに、自分は続かないのだろう。
どうしてみんなは外に出たいのに、自分は出たくないのだろう。
どうしてみんなは人と関わりたいのに、自分は関わりたくないのだろう。
どうしてみんなはお金が稼げるのに、自分は稼げないのだろう・・・ 

自分・・・かなりヤバいんじゃないか?
マトモじゃないんじゃないか?
病的に怠惰なのか??
なんでなんで、こんなにも人と違うんだっっっ・・・
と、仄暗い穴の底で苦悩していた。

この当時は最悪中の最悪の気分だったけれど、あの時期にもひとつ良いことがあって、それは「自分が人と違う」と思ったときに、自分がその自分をどう扱うのかを知ることができたことだ。
ダメだと一蹴するのか、その自分を拾い上げるのか。わたしはこの当時にとった選択を今も取り続けている。

自分は人と違う・・・かなり劣っているようだ。
とにかく、人と同じようになろうとしていては、どれだけ全力で頑張ったとしても追いつけそうにない。
毎朝起きてちゃんと時間どおりに出勤し、才能を生かして人とも調和して溌剌と生きている人達のようになろうとしても、この自分には不可能だ・・・毎日リポビタンDを100本飲んで心に鞭打って努力したとしても、あんなにバランスよく生きることはできそうにない・・・

だからここで、それでもできるだけみんなと同じようになろうとするのか、もうそこは潔く諦めて、このまま変な人として生きるのか。

概念としては二つの道があったが、わたしには当然、選択肢などなかった。ふと顔を上げてみると、目の前には【変な人はこちら】と書かれたサインがかかっている道にボウっと明かりが灯っているのだ・・・・

わたしはその道を歩いてきて今に至る。今もその道の途中だ。

わたしはあの頃、自分は劣りすぎているため、その自分なりに何かに燃えて生きればいいのだと思うようになった。それを思いついた時、なんだか懐かしいような子供っぽい気分になった。それはとても気が楽になる発想だった。

もちろんだからといってやることがいきなり出てきたり仕事が見つかったりしたわけじゃない。しばらくはニートのままでいた。だけれど、だんだんと自分も楽しみを得ても良いと思えて、外に出られるようになってきたのだ。
はじめは夜だけだった。夜に妹とどさん子ラーメンを食べに行こうと思えた。とりあえずは仕事のない人として軽蔑されつつも小さな楽しみを見出そうという方に気持ちが向いていった。

いい意味で「自分を諦めた爽快さ」に、助けられたのだ。
世の中のために生贄になるはずだったのが、命が助かった、といえるほど楽になったと思う。

あのとき、みんなが良いとする方向で頑張らなくてはならない、と思えば思うほど、嫌悪感がひどくて動けなかった。けれど、世の中で良いとされる方向、常識的に通るべきであろう道を歩むのを諦めてしまおうと考えると、心に羽が生えたようだった。

そのあとわたしは、好きなように仕事を探そうと思った。
デスクワークのできる環境、安定した会社、女の子が好む仕事・・・人に勧められるような条件は、どれもがどうでも良かった。
それで、大工を募集していた工務店に電話をして大工の修行させてもらえないかと聞いて女性ではダメだと断られ、次に気を取り直して探偵を募集していた探偵事務所に電話をして探偵になりたいと聞いてみて断られた。

このときも、自分は世間から見たらアホなことをしているんだとわかっていたが、そんなことは気にならなくなっていた。もちろんまだまだ自分へのダメ出しはいっぱいだった。でも、変な道でいいから見つけていこう、だって変な人だもん。というところでだけは開き直っていたから、もう仄暗い穴の底に戻らなくなっていたのだった。

わたしはこの経験があるから、今現在この時点で、仕事がないとかうまく社会に適合していけないという人を軽蔑する気持ちがまったく湧いてこない。
それは悪いことだと思わない。自分を責めなくたっていいさ!と思う。

自分が人より劣っていると思える時、全然ついていけないと思う時、それは単にその人は自分の呼吸しやすい道ではないところにいるだけだという可能性もある。

一般的に良いとされる方向に無理やり合わせようとしても、無理なもんは無理、という人は必ずいる。では、そういう人は望んでも楽しく頑張って結果を得ていく道がどこにもないのだろうか??そんなはずはない。
まずは楽しみを感じること、そこから始めればいいのだと思う。

夢中になれるのが本当は恋愛だっていいじゃないか。夜遊びだっていいじゃないか。ゲームだって漫画だって読書だっていいと思う。わたしが廃人だったところから元気を取り戻すのに、必要だったのはそれらの楽しみだった。
あの頃もし、それらさえも封じて無理に働いていたら、心も身体もボロボロになっただろうと思う。

無理に世間体の良い道を探さなくても、まず必要なのは心の元気なのだと強く強くそう思う。それは、純粋な「楽しい!」から生み出されるものだ。そちらに進むことで、その人の道にたどり着けるのだと思う。だから、楽しみを得る対象はなんでもいいのだ・・・!!
(もし続けていても元気が湧いてこないのだとしたら、それは本当に楽しいことをやっているわけではないのだと思う。ずっとSNSで匿名で誰かを批判して回っているだけだったりしたら、それは自分を元気づけるどころか傷つけているのだ。)

もちろん元気をなくしたところから立ち上がるためだけではなく、今なんとなく自分に納得がいかない、真の自分を表現していきたいというときにも同じだと思う。

仕事につながろうがつながるまいが、どんなにバカなことに見えようが、自分を楽しませること、その元気玉を得ること、これ以上に今の瞬間に大切なことはあるだろうか?

自分を世の中に合わせて矯正するのか、異物として世の中を生きるのか。
轍に合わせて進むのか、道なき道をゆくのか。
他人に認められて生きるのか、自分で自分を認めるのか。

これまで、こんな選択に迫られる人は異端児ばかりで、そう多くはないと思われてきたと思う。
でもわたしは、本来はひとりひとりが自分に問うてもいいことだと思う。
マジョリティというのは幻だ。同じ人達などどこにも居ない。

すべての人が独特だというのが真実だ。ひとりひとりが。わたしが。これを読むあなたが。誰とも違う、この宇宙でたったひとつの存在だというのが本当のことだ。マジで、ロジカルに、ふつーに。当たり前なのだが、誰もあなたではないのだ。あなたというのは、なんと貴重な存在だろう!

だから、どう生きるのかだって、全部違っていても不思議ではない。好きなようにしようとしたときに、そこに道がなかったり、大勢と違ったりするのは、ごくごく自然なことだ。そういう道に明かりが灯っている時、選択肢から外してはいないだろうか?

誰があなたの代わりをできるだろう。誰があなたになれるのだろう。誰があなたの楽しみを、幸福を、知っているのだろう。

あなた以外にだぁ~れも知る人はいない。だから、自分を楽しませるのは自分しかいない。自分で重い腰を上げないかぎり、他に誰もやってくれないじゃないか・・・!

わたしはゲームや漫画に感謝している。ほんとうに面白くて、ワクワクしてたまらなかった。外に出る気がしなくても、それらだけはいつだって楽しめた。飽きるほど放っておいてくれた母にも感謝している。
もちろん、それを楽しんでいるわたしは親の世代にはクズにしか見えなかったろうと思う。でもあの間、わたしは内側から徐々に回復していた。

それらを楽しむうちに、気分の良い時間が増えて、機嫌良く過ごすことが徐々に習慣となり、つい、ちょっと出来心で、外に出ようと思えた。
そこから好きな人ができて、一緒にいたくなって、だったらお金が必要だと思った。そのためなら仕事だって死にものぐるいでやれた。
わたしはいつの間にか必死で働いていたのだ。

それから何度も楽しそうだと思ったことに飛びついて仕事を変え、会社を作り、家を買って改装に明け暮れて、イタリアに渡って、今はまたこうして自分で仕事をしている。脇目もふらずに好き勝手に生きてきた。

その大元は、自分は変な人なんだから変でいこう、勝手に好きにしよう、楽しいことをしていよう。たったこれだけのことだ。これだけで生きてきたと思う。笑いたいやつは笑うがいいさ、と気にしたことすらなかった。
生きることに夢中で、んなこと思う発想すらなかった。

今こうして書いている毎日投稿が、現在8千人以上の方にフォローしていただき累計約70万アクセスをいただいて今なお増え続けているのも、ただただなんの戦略もなく、楽しみのみを追ってきた結果だ。本当にありがたいと思っている。

幸せになりたい、というすべての人に言える。
真っ先にすることは、楽しい!という感覚を自分に与えること。
楽しさを蓄積したときの人間のパワーって、ナメちゃいけないんだぜ。それは次の楽しい!を呼び、さらなる楽しみを連れてくる。そしてそれを追ううち、幸せの波動でカメハメ波が出せるようになるんだからな!(笑)

というわけで、今日は劣等感も人との違いも、そのままでいい、まずは楽しんで生きよう!ということを書いてみた。
我ら地球人、すぐに死んでしまうのだしね。

それではまた、明日!!

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