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205/1096 親の呪いをギフトに転ずる

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で205日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

205日目、、今日はよく晴れた水曜日。朝から仕事一徹、星飛雄馬さ!
仕事が仕事であり遊びであり、出会いたての恋人のようにひたすら夢中な相手である。生活のすべてが仕事である。仕事はなんですか?と聞かれたら、ハッ、おかげさまで、生きることが仕事となっております!と直立して言ってしまいそうだ~・・・

毎日投稿の日数が半分を超えたら、書いた日数のほうが残りの日数より多くなるのだなあ、、、それだけでも感慨深いことだろう・・・
毎日の小さな積み重ねが自分にとっての一大イベントに向かっていて嬉しい・・・1096日目は世の中にはなんでもない日だけど、自分にとって生涯忘れないほど嬉しい日になるだろう・・・と今思っていても、意外と自分に裏切られて淡々としていたりして・・・!(笑)

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先日の投稿で、この毎日投稿を読んでくださっている読者さまの性格占いをしてみたところ、オフィシャルサイトから興味深いご意見を多数いただいた。占いの性格そのものだよ~という方々の書いてくださったメッセージをめちゃくちゃ嬉々として拝見して、勝手にわたしとみなさんとがとても似ていると感じて、嬉しかった。こうして読者さまとのつながりを感じるとき、やる気はさらに高まる。感謝、感謝・・・ありがとう・・・

今日は、親とのことを書いてみようと思う!
というのも、思えばわたしは、親の夢中になってきたこととやってみたかったことをみんなやったのだな、と気がついて、そこから思ったことをシェアできたらと思ったのだ。

自伝を読んでくださったお方はよくご存知のように(笑)、わたしの父は土木事業を営んでいた。わたしは父がたまに工事現場に連れて行ってくれることが、小さな頃の最高の喜びだった。一度、父が大きなトラックにわたしと妹と母を乗せてくれたことがあった。市街地をそのトラックに乗って走ったときに、座る位置が高くて大興奮したことを覚えている。あの日、道端で見つけたたい焼き屋さんでたい焼きを買って食べたことが超興奮の出来事だった。何より最高だったのは、あの日は父も母も機嫌が良くて、仲良く見えたことだった。あのときわたしは、トラックに乗って一緒に何かを食べるのは、家族というものにとって最強最高のことだと思った。

厚木の奥にあった飯場のそばで山林の塀の工事をしていたときにも、わたしたちは現場に連れて行ってもらった。山の力強い土と木の香りが強烈だったのと、それがすごく特別なことに思えたこと、強そうな父を誇りに思う気持ちでいっぱいになったことを覚えている。父は現場を幸せそうに徘徊して、歯笛を吹きながら準備や作業をしていた。曲はいつも千昌夫の『北国の春』だった。父はとても幸せそうだった。わたしはそれを見ていて、自分で事業を持つのはきっと自分の王国を手に入れることなのだと思っ(てしまっ)た。

わたしは大人になって、自分でも前夫とともに庭工事の会社を作って、木と土と岩とセメントと格闘した。馬鹿かというくらい面白くて、汗水たらして夢中で作業をした。あの頃の父のように・・・!!

わたしの母は、手芸と料理と畑に夢中だった。母はそのどれをやっているときにも異常なほどに夢中だった。手芸の最中の母は、集中しすぎて目が点になっていて、独自の電磁波を放って時空を歪めていた。わたしはそのそばにいるのがものすごく好きだった。母の一挙手一投足、一点集中した気、針の刺す場所や糸の動きまでを、その超集中の亜空間の中でスローモーションのように眺めて記憶していた。母は、手芸も、料理も、畑も、子供が夢中になるように脇目もふらずにやっていたが、なぜか作業中にいつも何かに対して「いいか~見てろよ~」と言っていた。わたしはそれを聞くのが好きだった。

大人になってからわたしは、シャツをデザインして自分で縫って、アロハシャツのブランドを立ち上げた。シャツを縫っているときに、自分があの母と同じ周波数の電磁波を放っていた気がしてならない。異常に集中してしまい、猛烈に楽しかった。それから、自分で借家を借りてから何年もの間、料理と畑に夢中になって過ごした。

母は、本当は家事を放って一日中好きなことをしていたいといつも言っていた。掃除も皿洗いも忘れて、縫い物をやっていたいとこぼしていた。
わたしは大人になってから、母の無念を晴らすがごとく、好きなことをしていて気が向かないときは、すべての家事を前夫にやってもらっていた。

父は一度、親類の持っていたスナックで母にホステスを手伝わせようとしたことがあったらしく、わたしと妹にその日の話を何度もした。人見知りで口下手な母は席についてもお酌もマトモにできなくて、あたふたして怖がってずっと父の方ばかりを見ているから、まったく使い物にならなくて30分でやめさせたと言っていた。

わたしは大人になって高級クラブで働いて、最短でナンバーワンになって父母の無念?を晴らした・・・ような気がした。ある日仕事が終わってそばのスナックでに行かなくてはならなかったときに、『北国の春』を歌ったお客さんがいた。するとそれを聴いたら自分でも驚くほど涙がボロボロと出てきてしまい、周囲をとても心配させてしまったことがあった。わたしはあの山林の工事現場や幸せそうだった父を思い出してものすごく胸が詰まってしまったのだった。そのとき、そこにいたお客さんが、もうこの曲は絶対に歌わないからね、ごめんね、と理由も聞かずに言ってくれた。男の人らしい優しさだなと思い、胸を打たれた。

こうして考えてみると、わたしはイタリアに来る前まで、父と母の好きだったこととやりたかったことを全部やって、気が済んだのだと思うのだ。
それらを終えて、親からもらった好奇心をぜんぶ使い果たしてみて初めて、自分のまっさらなところから湧いてくるものをライフワークにすることができた。それくらい、わたしにとって両親は強烈な影響力を持っていたのだと、改めてつくづく思う。まるでブラックホールである。

今思えば、祖母は関節炎を患っていて、祖父はアル中だったのだけれど、わたしも関節炎が発症して、クラブで働いているときに煽るほど酒を飲んだ。
関節炎は治らないと言われたのだけど奇跡的に治ってしまったし、お酒も救急車で運ばれるほど飲んで、呑んで~呑んで~呑まれて~呑んで~だったのだが依存せずにさよならした。これらも克服してやっとやっと、今の自分が、祖父祖母や両親のこだわりにはなかったことをやっているのだ・・

だから何だってんだ?という話だけれど、自分はそれらを乗り越えないと他に目が向かなかったな、と思うのだ。本当にがんじがらめだった。
それはもう、呪いと言えるほどに。それらはあとになって、自伝に書くことができて、書いたことで今の自分がある。親のくれた、自分をがんじがらめにしていた呪いのようなすべての枠は、まさにギフトだった。

これまでの自分が必死に歩んできた道は、両親のもとに生まれた呪いを浄化してきたとも言えるし、活かしきってギフトにしたとも言える気がしている。あとになって、すべてが自分の身となり、助けとなってくれている。

だから、他の人に対しても、その人もまたご両親から強烈な影響を受けていても不思議ではないと思うと、めっっっちゃ優しい気持ちになるのだ。

わたしだって、なんで女なのに土木屋なんかしたの、と言われても、もう、どうにもしゃーなかった。面白すぎてしまった。なんで水商売なんかやったの、と言われても、本当に逆らえない運命だったと思う。
なんで手芸が好きだったの?と言われても、もうわからんのです。好きすぎた。針を刺し、糸を抜き、また針を刺す、目を拾って次の目に引っ掛けて編み目を増やす、ただただそれが楽しかった。やりきった感が訪れるまで、長い年月がかかった。本棚がひとつ埋まってしまうほど料理の本を買って、何年もの間しつこく本格料理に夢中になっていたのも、理由などわからなくて、ただただ楽しかったのだ。父母を思わぬ日など、我が人生に一日たりともなかったと思う。

だから、誰かのどうしようもない呪いに対して、わかるぜ、、、どうしようもないよな・・・・と思う。それと同時に、それがいつか抜けていくものならば、ときがくればスパッと抜けるのだしさ!と思う。なにより嬉しいのは、他者のもつ呪いに対し、それはギフトだがや・・!と思えることだ。

もちろん、外仕事を何年もやったり、クラブで働いていた時期、その他の何をしているときだって、猛烈な苦悩はいっぱいあった。親のくれた好みや葛藤や無念などの影響は、呪いだと思えば呪いであり、ギフトだと思えばギフトだ。ただ本当にこの歳になってやっと思うのは、これも親のせい、あれも親のせい、と言っているよりは、動くこと、とにかく行動すること、気の済むまで自分の衝動や気がかりに尽くしきってしまうことが、最高の浄化のひとつだということ。

自分に果たされていない思いがないように。。。親から来たものだろうと、どこから来たものだろうと、そんな出処なんてどうでもいいから、わたしたちが、気になるならやろう。なんかそわそわするならやろう。
理屈ではどうだろうと、自分の思いを置き去りにだけはしないで、見て見ぬふりをしないで、日常で押しつぶして見殺しにしないで、自暴自棄にならないで。したいことがあって迷っている方には、自分はそうお誘いしたいなと心から思う。呪いのまま終わらせないようにするには、自分のしたいようにし切ってしまうことだ。そうしてギフトとして受け取ろう。

人生、1000年あるわけじゃない・・・やりたいように、いっちょやってみよう。そのあとの晴れ晴れとした気持ち、青雲のCMの歌が脳内再生されちゃうほどだよ!(笑)

というわけで今日は、わたしたちは親からガッツリ影響をもらってるね、でもそれを好きなように使いまくってしまおう、さすらば呪いはギフトとなろう!というお誘いであった。

↓ワークショップのお知らせですが、わたしは言葉遣いは品に欠けますが、ちっとも怖い人ではなく、ワークショップは優しい~ものですので、よろしく・・・・(笑)

【初夏の特殊なワークショップのお知らせ】

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』
『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』
参加者募集中です。

『あがり症克服のための1DAYワークショップ』

あがり症を持つ方のための、あがり症克服に特化した日帰りのワークショップです。わたし自身がどんなに場数を踏んでも抑えようとしても治らなかったひどいあがり症を克服したある方法を、ワークに落とし込んだもの。
このワークショップでは、あがりを抑えようとせずに自然に中和し鎮める方法を伝授します。あがり症を克服したい方に、ぜひとも知ってもらいたいと思っています。人数限定ですので、お申込みはお早めに。当日がとても楽しみです。

『響き合う恋をする・恋愛1DAYワークショップ』

こちらは幸せな恋愛や夫婦関係のためのワークショップですが、根本には自分自身と恋をすること、目の前の人と響き合うこと、本当の自分で誰かと関わることをワークを通して体験するものです。
ワークはとても楽しめるものでありながら奥深い体験につながっています。こちらも、ピンと来た方にぜひ体験してほしいものです。

【九宮秘行のワークショップ、募集が始まっています】

人生を限りなく透明な目で見通し、本来の自分のあり方を取り戻す九宮秘行のワークショップ。今夏の受講生の募集が始まりました。

清蓮さんとわたしの直接指導のワークショップで、師範養成を行います。
どなたでも、師範クラスのワークを終えることで師範代のライセンスを取得でき、わたしたちとワークショップ開催時に指導に当たって活躍することができます。

自分の本質を知り、枠を超えて人生を歩みたい人へ。
自分の可能性を探求し、本来の望みを体現しましょう!

道家茅山上清派や様々な流派の数々の秘儀秘術の本格的な修行を経験してこられた清蓮さんとわたしとで一緒に「身体・意識」それぞれの面から練りあげたワークを、ひとつひとつ進んでいただきます。ご自身の探求とともに、人間の可能性に驚く純粋な体験のできる場です。
どなたでもゼロから参加できます。一緒に九宮秘行を伝えていきませんか。

・瞳の純粋さを思い出す
・人生に遊び心を取り戻す
・自分で自分に贈り物を与えられるようになる
・人前で安心して存在できるようになる
・深い呼吸のできる体になる
・自分自身や他者、 世界についての思い込みから自由になる
・生きている間に魂存在としての自分を思い出す
・ひとつのものが全てであって、全てがひとつであるという感覚を体験する
・神通力を開く

などの効果が期待できます!ワクワクした方は、ぜひ!!詳しくは九宮秘行のホームページをご覧ください。

【一緒に自分の枠を超えましょう!夏のイベントのお知らせ】

身体のアルケミストであり、多くの求道者たちへの指導経験を持つ清蓮くんとの『枠を越えて』いくためのトークライブ&ワーク伝授を行います。

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
〜ワクワクが枠枠になっていないかい?〜

2時間のトークライブのあと、1時間のワーク伝授があります。

早期割引(4月30日まで)を適用しています。
みなさまに実際にお目にかかれるのを楽しみにしています。
 
お申込みはこちら↓
(お申込みが増え、大きな会場に変更することとなりました!(東京都内を予定しています)ありがとうございます!!まだお申込できます!)

twitterでもぜひつながってね!

それではまた、明日!!

毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)