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112/1096 【人類みなクレイジーなら】

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で112日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

今日は112日目、したいことがいっぱいの忙しい日だ!そのため毎日投稿は朝の家事を終えてすぐに書いている。
日本に行って帰ってくると、時差やイベント出演などでその間は生活の時間がこちらにいるときとは完全に変わってしまい、習慣となっていた夜の投稿(日本の朝に投稿するようにしていた)が崩れてしまった。陽の光の下で書くのが難しかった自分が、いきなりいなくなっている。。。

これはいいチャンスだ!
せっかくだから、新たにまた習慣を作り直してみよう!
そしてせっかく慣れたところをあっさりと壊してどんな感じがするのか見てみたい気がする。何かに慣れた自分は、どんなにそれに依存し執着しそれを守ろうとする弱さを蓄積していることだろう。それを壊すたび、ああ、なくなっても大丈夫なんだな、と思える。これがまたすごい快感だ。

自分を知るこの面白みを味わうためには、弱くなることも必須だなんて。
弱くなることを己が礼賛するだなんて、これ、最高じゃないか!

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今日は、特別に良い日だ!通話で大好きな人の声を聞いた。大好きな人の声は、あたふたするほど美しかった。直前までお腹が空いてきていたのに、ちょっと脚が筋肉痛だったのに、すべてが吹っ飛んでしまった。
恋の力は丹田の力に似ている。思い切りてこが効いて、小さなことが何億倍ものパワーになる。恋は生きる喜びそのものなのだと思った。

恥ずかしくて話せなくなったり、身体がカチコチに固まったり、ドキドキソワソワしてたまらなくなったり、嫌われたくないとか無関心になってほしくないとかそんなバカみたいに弱気なことばかり思ったりして自信のなさにこんなに直面するのに嬉しいとは、一体どういうことだろう。
人間って本当にクレイジーだ・・・クレイジーに創られている。クレイジーでいいんだ!と思う。
夫に、大好きな人と話したと言う。すると、会いたいならどこにでも連れて行くよ、家にも連れてきていいよ、と言ってもらえる。これだって、クレイジーだと思う人もいるだろうと思う。

人はみんなある意味でクレイジーなのだと思うととても気が楽だ。
この気楽さを携えて外を見ると、脱色した枯れた冬の景色すら、明るく生き生きとして見える。
クレイジーで理不尽でいいんだ。弱くていいんだ。何故お前は弱いのかと聞かれたら、「多分、人間だからだと思います!」でいいんだ・・・!
人は人を好きなとき、クレイジーなのだと思う。人が人を嫌いなときも、同じくクレイジーだ。そして、人を好きじゃないというときも、それもクレイジーだ。クレイジーの手のひらから、我々は逃げられやしない。

苦がベースの地球上での生活を、それぞれにクレイジーな人間たちが、試行錯誤して、心を砕きながら、弱さを抱えて寄り添って、死という切ない別れに向かって歩んでいるのだと思うと、人間の愛しさたるや、子猫のそれに匹敵する気がする。

わたしは人生が大変で苦そのものだと思うのが大好きだ。だから、誰かが弱っているときは人間らしいと、ちっともおかしくなんかないと思う。
そして、わたしたちがその苦の中にあって、笑ったり生まれてよかったと思ったり嬉しいと思ったりするなんて、すげーことだと思っている。

わたしは、人生に感謝と喜びがいつもあるのが本来の人間の姿だと思うととても辛かった。わたしにはまったく無理なことだったから、そうなれない自分がとてもダメなものに思えた。
うぉお~~クソ寒み~~~、冬なんか大っ嫌い!とか、また人を怒らせてしまった・・・人間って難しいな・・とか、そんなことを日頃から常々思っている自分が情けなかった。

でも、それこそがベースだと思うと、なんか面白くないか?!と思ってしまってから、・・・いや、一瞬は、「自分は弱さのあまりここまで都合のいいことを思ってしまうなんて、頭が病なのか?」と思ったけれども、そこは図々しく、「一旦それを仮真実として考えてみよう、勝手に自分の中でやるだけだ、誰にも悟られまい・・・」として許可してしまってからは、その気楽さ便利さは温泉のように優しいため、すっかり気に入ってしまったのだ。

まず、寒いのは辛い。辛い辛い辛い。だって寒みぃんだもん。大事な人を怒らせてしまって、辛い気持ちになる。辛っっっ過ぎる。これも自然なことだ。ポジティブに変えようだなんて、心に添加物を混ぜて腐らなくするみたいな感じだ。辛いもんは辛い!このナチュラル思考こそナチュラル志向だ!

・・みたいな、都合の良~~い、自分に甘~~い、まあるい、バームクーヘンのような優しき設定。自分はこれを支えに生きていこう・・・
わたしはスピリチュアルな生き方をしたかったのに、脱落するのだ、さようなら・・・と思った。ザイオンにいることを諦めたつもりだった。

ところが、ところがだ・・!
この世は苦なんだから、と受け入れてしまったとき、皮肉なことにわたしはここが楽園だったと知ったのだ。
一周回ってポン!というか、探していた眼鏡をかけていた!というか、探すものなどなかったというか、苦設定=楽園て、ああ人がモノを理解する仕組みの小憎らしいことよ!!
いいのだ、辛くて。楽になろうとしなくて。それを許さないから、辛かったのだ。寒いことは辛いから、だから楽園なのだ。

そして今日はここに、よく言う「みんな普通じゃない」「普通なんてない」という、みんなちょっとずつ違うんだ、みたいなアイデアどころか、そもそも人間であるというだけでクレイジー以外の存在方法などないのだという設定が加わってみると、苦=楽の素、楽=苦の素、ということが今までとは別次元に、クリスタルのようにきれいに腹に収まった。こんな視界が待っていただなんて!!

まず、勝手に思うのだ。我々はなんだかんだ、あれこれ苦しい。生きるのは大変で辛いものだ。これを自分のせいにしなくていいとする。
辛いよね、みんなそんなもんよね、わたしもそうなのよ、なぁ~んだ。と、思って良いとする。苦しみなんかない?嘘つくんじゃねーよ、と思っていいとする。
そこから勝手に他者を「生きているだけでご苦労さまです・・・!」という視点から見てよいとする。発展して、「地球上で人間やれるなんて、俺たち全員、魂の精鋭たちだぜ・・・・」と厨二病寄りになっても構わない。

全員がその世界で、他者には理解不能の、ひとりひとりが指紋のように異なった世界観を持って生きていると思うとする。
同じ事象に対して、まったく違うことを思う。まったく違う反応をする。こちらの理屈には当てはまらない行動を取る、クレイジーな者同士が集まって・・・・・
そこからわたしたちは、好きになろうと、愛そうと、愛されようと、わかりあえないことで胸を切られるほどに傷つきながら愛し合おうとしているのだ。それを切ないと思ったって、そもそも苦だと思ったって、グレートチャレンジだと思ったって、うまくなんかいかなくたって、いいじゃないか。
この世は苦な上に全員クレイジー。その環境下で愛し合えるって奇跡なんだ、そう思っていいとする。

そのとき、寒い寒い氷河期の地球で、まったく違う星から来た宇宙人たちが、一人でいるよりは見知らぬ星から来た者でも一緒にいるほうが暖かいと気がついて、どうやれば互いを暖められるのかを試行錯誤しながら、うまく意思も疎通できないのに黙ってくっついている姿のように捉えたら、わたしはなんだかたまらなく愛しくなってしまう。
それで、その一員である自分をあまりにも愛しいと思ったとき、リングの外からタオルを投げてしまったのだ。もういい、戦わなくていいんだ!!と・・・

あの人の気持ちはわからない。あの人にわたしの気持ちもわからない。
それなのに、いや、それだからこそ、あの人に心温まる時を過ごしてほしいと願う。身体がこわばるほど緊張するというのに、そばに行きたいと思う。もう、それで充分じゃないかと思う。
自分がそんなことを思う生命体であるだけで、充分に生まれて生きた意味があると思う。他の人のこともそう思う。

わたしはこんな生易しい設定を勝手に採用した勝手な人なため、人を見て、「生きているだけですごいですね、いや、わたしもなんですけれども・・!」と思っている。
 
これを読むあなたは、どんな設定を採用しているだろうか。
わたしは、生きる心構えを、人生の見方を勝手に変えていいのだと思う。
自分の好きなように、自由に。そのためにやることは、自分で感じ、自分で考えるということと、その設定は自分で採用したのだとわかっていること、たったのこれだけだ・・!
勝手にいろいろと変えて、やってみようではないか!
きっとお気に入りが見つかるはずだ!!!

というわけで、今日は、お互い大変よね!でも人を好きだと思うって、なんかいいわよね!ということを、暑苦し~~く書いてみた。

それではまた、明日!!

 





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