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172/1096 自分を嫌いでもいいの?

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で172日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

172日目、お昼ご飯を作って食べた以外の時間をすべて音楽に費やしてしまった・・・・楽しい、とにかく何もできないくせに楽しい。

今日は音楽モードから頭を思いっきり切り替えないと書くモードにならない、というのが少しやわらいだ気がする。人間、なんでも慣れだなあと思う。これをこうして実感できるのはすごくいいことのような気がする。
なぜかというと、繰り返したことは身につくと考えると何事に挑戦するのも希望があると思えるからだ。好きなら繰り返せばいい、必ず慣れて変化し上達していく。そう思うと嬉しい。

上に自分で怠け者が毎日投稿に挑戦するに当たって日々の心境の変化をレポートすると書いたのが、172日目の自分にはその通りであってそんなことはないぞ!という半々の感覚。毎日投稿を書く感覚だってさらにさらに慣れて変化していくのだろう・・・

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先程まで書いていたことを全削除して書き直している。くっそぉ~~悔しいことだ。でも、自分にとって納得のいかないものを出すのが嫌いだから仕方ない。わたしにとって、これは心の衛生上とても大切なことだからそれを優先した・・・ああ、3時間の努力よ・・・しかし自分のためだ、これでいいのだ・・・

わたしはいつも弱点や短所や恐怖は「宝物」だと書いている。このことを書くのが大好きだ。それを読まれた方のうち、もしかしたらひとりでも、そこにピンときてくださるといいな、と考えるとびっくりするほど嬉しく、なんだか涙がジワってしまう。だからついこのことを書こうとしてしまう。

宝物と言えば、あなたの宝物はなんですか、と聞かれたらみなさんはなんと答えるだろうか。子供や家族と答える人もいれば、持っているものの中で一番高価なものを答える人もいるだろう。何が宝物でもいいと思う。そう答える人の感覚の中にどんな思いが詰まっているのか、わたしにはわからないからだ。

イタリアでは、愛する人に対して「tesoro」と呼びかける。これは英語の「tresure」にあたる単語で、宝という意味がある。宝物のように大切な人、という気持ちを込めた呼びかけだ。夫婦同士でも恋人同士でも親が子に対して言うこともある。人に対して、宝と言うのが素敵だ。

あなたの宝物はなんですかと聞かれたら、わたしは今「自分自身です」と思うなあ、と思った。そう言うかどうかはわからない。でもそう思うだろうと思ったのだ。まず、自分がいなくちゃ始まらない。この肉体や命などはこれ以上ないほどの宝だと思う。愛する人のためには投げ出すかも知れないが、何しろとにかく、その愛する人を愛せるのも自分がいるからだ。

とくに自分の弱さやできないこと、未熟なところ、未知なこと、これらは本当に宝だと思う。なぜって、まずひとつに、それらがなくなってしまうと、超つまんないのだ。

まず、自分がピアノを弾こうと思う。弾いてみるといきなりリストの超絶技巧曲 「ラ・カンパネラ」が辻井伸行氏並みに完璧に弾けてしまう。バスケットボールをしようと思うとすべてのシュートでマイケル・ジョーダン並みのダンクシュートが決まってしまう。
野球をやると、すべてのボールでホームランが打ててしまう。フッ・・ボールが止まって見えちまってね・・・などと言ってしまい、誰も試合をしてくれなくなってしまう。キックボクシングをやってもすべての選手を開始3秒でK.Oできてしまう。歌を歌うとホイットニー・ヒューストンの曲が楽々歌えてしまう。

果たしてそれは面白いのだろうか?・・と言うと必ず、わたしはそれがいいと言い出す人がいる(笑)のだけれど、何をしても神のように完璧だったらわたしはきっと人間でいることの面白みが半減してしまう。何かが上達する時の喜び、できなかったことができるようになった時の達成感というのは何物にも代えがたいものだと思う。だから、制限はむしろ人生を面白くするための最高の条件なのだ。

もし、神は望めばなんでも完璧にできる人間を創り出せるのだとして、それでもわざわざ万人を完璧でなく創るのは何故なのだろう。短所を仕込むのは何故なのだろう。それはまさに、愛なのだと思う。

つまり、わざわざそうしているのだと考えると、そこに宝物を仕掛けているのだ。とても巧妙に。それこそ、完璧に。

だから決して嘆く必要はないのだと思う。弱点があるからこそ、誰かに助けてもらえるのかも知れない。それは尊敬や愛を生み、最高の人生経験のベースになるのかも知れない。短所こそが、それに関わるなにかを劣等感や怒りで覆してやろうと思えるところになるのかもしれない。そこにその人の最高の輝きが宿っていることも多い。だから、それらを『自分を愛せない理由』として考える必要はないのだと思うのだ。

自分を思う。その時に、ああこんなに嫌なヤツで、バカで、劣っていて、腹黒くて気が小さくてダメだなと思ったら、それは神さまの仕掛けだと思ってみたらどうだろう。そう、本当にそれは人智を超えているのだ。

これをどうか信じて読んで欲しい。わたしはほんの数年前まで、自分の最大の弱点は「人前で自分を表現することが誰よりも苦手なこと」だと思って苦しんでいたことを。あがり症で、人の目が苦手で、イタリアの風景を撮った写真をミクシィに一言添えてアップするのが手が震えるほど恐ろしかったことを。

それは、わたしにとって無視できないほど最悪の短所だった。気になって仕方がなかった。なんとか克服できたら、どんなに呼吸がしやすいだろうと思っていた。なのに、どうにも緊張してしまうのだ。とても苦しかった。

でも今思えば、それはそれこそがわたしの楽しめることで、最も達成感を感じられる行為だったのだ。わたしが自叙伝を書いて投稿する時にどれほど震えて恐れたのかは、誰にも信じられないであろうほどだった。動画に撮らなかったことを後悔するほどだ・・・でももしわたしが、自分を表現することがあれほど恐ろしくなかったら、わたしは人前に出る仕事をすることはなかっただろうと思う。気になって苦しかったからこそ、克服に異常な執着を持ったのだと思う。だから、強烈な短所として持っておいてよかったのだ。

この毎日投稿も、自分がひっっっっっっでぇ~~~~怠け者で三日坊主だったからこそ書く決意をした。これも、極端な短所が転じてこうして面白みになってくれた。読者さまとの出会いだって、それがなければ生まれなかった。皆さんのご感想などで感動することを通して、世界がこんなに優しいところだと知ることもできなかった・・・

わたしはひとりでは電車での移動もスムーズにいかず、車の運転免許も持っておらず、方向音痴でしょうもないからこそ、それらができる人をとても尊敬するし、助けてもらった時の深い感謝も知ることができた。前夫や夫はそんなわたしを守ろうとしてくれる。そこから助け合いの本当の喜びを知った。

だから、自分のここが最悪だ!と思うところを、毛嫌いしながらも(そのケッ!というパワーは良き良き!)自分に優しくできない理由にしないでほしいと、心から思う。いろいろ眠ってんだ、そこに!

眠らせたままで自分に優しくしてもいいし、発掘して楽しんでもいい。でも、それは大切な人類の中の唯一の存在であるあなたという人に、十分な愛情を注がない理由にはならない。

自分を愛そうという時、いろいろマイナスだと思えるところがあるままで愛していい。そのままでもいいし、仕掛けだらけだと思ってみてもいい。神さまからの「まだまだ開けてみたら面白いことになる仕掛けがいっぱいだよ!」という伝言だと思ってみてもいいと思う。

だから、自分を愛そうというのは、「もうちょっとこうなったら愛せるけどな」、という考えをすべて捨てて、矛盾するようだけれど、もうちょっとこうなったらな、なんて思っているあなたごと、ヨシヨシ・・・と思うことなのだ。
あれを直せ、これもダメ・・そんなこと思ってて大変だね、赤ちゃんのときは無垢だったのに、小さな頃は希望いっぱいだったのに、いろんな思いをしたからそう思うようになってもうたんよね、辛いのに生きてて、えらいな、ごめんな、と自分に思うこと・・・

自分を愛するときに、自分を好きでなくていいのだ。顔が嫌、体型が嫌、能力が低くて嫌、そう思ったままでいい。その好みや評価を変えろということではないのだ。そんなふうに、「自分の顔嫌だ・・・」などと思って自分に傷つけられながら生きているその存在への、愛と懺悔をもつことである。

頑張って生きている自分を覗いてみよう。今このとき、自分のためになることならいいな、と思ってこのブログを読んでくださっているのかも知れない。その人物をどう思うだろう?あなたがどう思ったとしても、わたしは愛しいと思うぜ!!!生きている人はみんな、もうそれだけで頑張っちょるし、すごいとわたしは思う・・・・

好きな話題だから、今まで書いたこととかぶってしまっていると思うけれど、ご質問をいただいて、ついつい熱っぽく語ってしまった。。。
今日は、短所弱点大丈夫だで、ぜんっぜんそう思えないだろうけれどもなんならそれは宝だで、それをそのまま、それを抱えて生きている自分に「大変だね、ご苦労さま。。」と思ってあげよう!というお誘いであった!

最後にちょっとしたヒント!「自分を愛する感覚がわからない」という方のためのミニワークを・・!
自分に「ごめんね」と思うことをどんどん書き出してみて欲しい。やりやすいなら、子供の頃の自分に向かって、でもいい。
ダメ出しばかりしてごめんね、いつも安いもので我慢させてごめんね、愛せなくてごめんね、ブスとかバカとか思い続けててごめんね、やってみたいことにいつも「無理だよ」って言ってごめんね・・など・・・

それと同じことを、誰か、罪のない子供などに、できるだろうかと考えてみてほしい。自分というのは自分を無垢に信じて愛して、自分を頼りにして生きてくれている存在だ。その自分に、それをしていることについて思いを傾けてみてほしい。

温かい涙が出てきたり、複雑な思いが出てきたりしただけでも、大きな進歩だと思う!わたしは秘行で自分を見ていて、ごめんねに気づいた瞬間、ごめんねすぎてショックで大号泣してしまった。自分を愛しい生物だと思えるようになったのは、それからだった。
それをワークとして逆からやるのも、とても効果的だ!

というわけで、きょうはここまで・・・
また、明日!!

【一緒に自分の枠を超えましょう!夏のイベントのお知らせ!!】

なんと今年の夏、わたしにとっても非常~に楽しみな
コラボイベントを行うことが決定いたしました!

あの一子相伝秘術・クンルンネイゴン他、
古今東西のさまざまな秘術を操る【現代のアルケミスト】と呼ばれ、
多くの求道者たちに尊敬されている清蓮くん(裕也くん)との

『枠を越えて』いくための
トークライブ&ワーク伝授を行います!!!

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
〜ワクワクが枠枠になっていないかい?〜

2時間のトークライブのあと、1時間のワーク伝授もあるという
愛の太っ腹企画です!!

わたしの大好きな、そして心から尊敬する清蓮くんは、
その広くて貴重な知識と体験の深さもさることながら、
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