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273/1096 そこに貞子がいるとしても

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で273日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

273日目は、noteの仕様にあれこれとフラストレーションを抱えて、ちょっとむしゃくしゃしながらの執筆。
ああ、色の文字を入れられたら、文字サイズをあと1パターンでも良いから変えられたら。ああ、もうあとちょっとでもSNS機能が充実していたら・・・と、ないものねだりをしながら、それでもいつものようにパソコンに向かって書いていると、この270日以上毎日続けてきた習慣になりつつある毎日投稿によって、気分の安定を感じる。

こうして静かに淡々と、無事に300日を超えられますように!!

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今日は一粒万倍日と天赦日が重なっている、今年一番の開運日だということで、とても良い日だ!
そんな今日は、今日このときの自分の思いを書いてみようと思う。

毎日投稿を書くにあたって、読んでくださるお方が数分でもこれを読むことに時間を使ってくださっていることに深い感謝を感じる。
なぜかって、時間を使うということはその人の命を使ってくれているということだから・・・!

そう書いてみて思った。わたしたちがもし自分のことを本気で大切にしようと思ったときに、「本当にこれに時間を使うべきなのか」「今これをするのは、自分を大切にしていることになるのか」と自問自答してみて、心からYES!と思えることをするということだ。。

人にはちゃんとそのセンサーがあって、自分が本当の本当はどうしたいのか、自分でよくわかっているものだと思う。
このセンサーはそれだけでなく、「本当に離婚していいのか」とか「本当に転職していいのか」とか、いろーんな悩みの答えを奥の奥でちゃんと知っているものだ。ただ、わたしたちが迷ってしまうときというのは、その答えを実行に移すのが怖いがために、思考であれこれともっともらしい言い訳でそれを否定するから・・・

わたしももれなくなにかを迷うときにはこれの通りで、本当の本当は知っているのだ、奥底ではどうしたいのかを。ただ、それが怖くてたまらないために「いや、でもこう考えるとそれはよくない」などという発想が湧いてきて、迷いが生じてしまう。

そういうときにわたしが感じるのは、自分への情けなさ。自分に腹が立つ。
ああ~もう!本当は思い切りバシッと決めたいのに、なに怖がってんだ!と思うとムカついてくる。

そんなときにわたし自身はどうしているのかというと、これまでにも何度か似たことを書いたことがあるけれど、まず、それを怖がっている自分に対して「仕方ないよね!」と思うこと。自然な反応だと認めてあげて、怖い自分を否定したり卑下したりする無駄な時間を省く。ここで余計に自分を否定しなくていいと思う。

だって、怖いものは怖いんだもの!これを、怖いと感じないようにしようとしても、うまくいった試しがない。そうやって自分をごまかすことはできない。だから、まずとにかく怖い自分とちゃんと仲良く、共存しようと思ってみる。すると、これがまた、心のフリスクとなってスーッと気楽になるのだ!(仁丹だと古いから喩えをフリスクに変えたよ・・

それで、怖がっている自分を抱えたまま、その怖い選択に向かってみる。
怖い。貞子のように怖い。貞子の出てくる井戸のように、貞子の出てくるテレビのように怖い・・・!!

でも、めっちゃ怖いと感じているそのとき、奥の奥に、「大丈夫だってば」という自分がいるのもまた、よくわかる。これが、怖いのをちゃんと感じているときにこそわかる。その「怖い!」のと異質な「大丈夫さ!」が、くっきりと輪郭を持って自分の奥にあるのがわかる。怖くなければ感じ取ることもなかった「大丈夫」が、ちゃんとそこにいる。

ここで、自分に問いかけるのだ。いいの?大丈夫のほうの自分を置き去りにしていいの?と。そうして置き去りにするのが本当に嬉しいなら、それに人生の時間を費やすことが喜びなのかと考えて、YES!が言えるのならいい。でもそうじゃないなら、わたしはここで「やっぱりいくしかないじゃないか・・・」と思って、

あ~怖っ、あ~~~怖っっ!と言いながら、そちらを選ぶ→やってみると結局嬉しいこといっぱい、しかも大丈夫だった・・・・という過程をいつもたどる。

こういうことを、何度繰り返しても慣れないと思っていたけれど、人ってどうしても「慣れ」を避けることってできなくて、何度もやるうちに自分のことを握りしめる手がゆるんできて、まあまたこうして怖がっているけど、やってみればきっとなんとかなるさ、自分の「大丈夫」がいつも最後に勝つじゃないか!と、思えてくるものだ。

そうすると、なにかとても大きくて怖いチャレンジが現れたときに、「わかりました、やります、最悪に怖いのでやりま~す」と言えるようになる。(ホント
そしてもちろんやっぱり、怖がる。怖い、、怖い、、貞子が怖い!と言いながら、やっぱりそっちに行く。すると貞子が「あ、どもこんちは!わたしが貞子です、って知ってますよね。やー実は井戸の中ってめっちゃ寒くってですね、出てこられて助かりました~!感謝です。あ、すみません今バンドエイドとか持ってます?爪が取れちゃっててちょっときっつくてww」などという気さくなやつで、やっぱり大丈夫だったりする。
「あとこれ、ささやかながらプレゼントです。なんか、井戸の中限定の商品なんですよね。多分みなさんあまり井戸の中とか行かないと思うんで、珍しいかな~なんて」と言って、そのチャレンジをしないと得られなかった想定外のものを獲得できるのも、怖いことを選ぶことの良さである。

だから、今このときもし何かに悩む人がおられたら、その悩みのもととなっている怖れを十分に感じて、自分の奥の奥が知っている答えを感じて、怖い自分をちゃんと認めてあげて、かつ貞子に会いに行ってみないか!
個人セッションなどでお話させていただくと、怖い方を選ぶこと、これが唯一の解決であることも少なくない。

大事なのが、怖がる自分を否定しないことだと思う。今の自分の環境が塗り替わるほどの変化を伴うものや、欲しくない結果が起こりそうな選択が怖ろしいのは自然なことだから。お化け屋敷に入るのは、怖いままでいいのだ。
入らないことを選ぶと自分が不満で、なのに入る勇気がない。そういうときは、めっちゃ怖がっていい、怖がりを全開にしていい、と思ってみてはどうだろう。そこを解放すると、心の奥の奥には、入ったって死なないよ。という自分がいるのが感じられると思う。そしてその自分はさらに、そこがお化け屋敷だというのがそもそも自分の思い込みから生じる幻想なのだと知っている。

自分の限界を設けるのは、いつも自分だね!というわけで、今日は自分の時間を大切にしよう、本当にしてみたいことをやろう、たとえその道の先に、貞子がいても・・!というご提案でありました。(画像怖すぎたらゴメン!笑)

それではまた、明日!

【クンルンネイゴン、ご存知ですか?】

身体と意識の覚醒を目指すすべての方へ!
多くの方に学びを届ける素晴らしい先生で、わたしも尊敬するSeiRenくんのクンルンネイゴンのレベル1からのクラスが7月21日に開催されます!

わたしも参加予定なので、よければこの機会に道教(タオ)に伝わる稀有な教えを一緒に実践しませんか。久しぶりにクンルンを実践するのが今からとても楽しみです!(はじめてやってみた日に、丹田の下辺りから螺旋状にエネルギーが湧いてきて、腰がグルグルと回りだし、その回転が上昇してきてあまりに驚いて止めようとしたところ、なんと椅子から数メートルも吹き飛ばされてしまったという体験をして以来です。ボーゼン自失、でした。人間の身体ってすごいですね・・)

これがそのときの体験記です!ぜひ読んでみて~!

クンルンネイゴンは人間が到達できる最高の状態をこの人生で成就させる人のためのもの。ピンときた人も来ない人も(笑)、生きている間にせっかくなのでぜひぜひこの秘法に触れてみてください!

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