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ル・グインの短編集『風の十二方位』

2013年9月11日 (水)

 『物語の中世』という20年ほど前にだした本が、講談社の学術文庫で10月にはでるので、その再校をした。これでいろいろたまっていたことが終わり、春から期待していた通り、やっと次の仕事に本格的にかかれる。
 今日は気持ちのいい天気。久しぶりに自転車ででて、次の仕事についてlの構想を考える。『地震列島の思想』となる予定。この間、話してきたこと、書いてきたことをまとめるつもり。食事をしながら考えるが、つまったので、また自転車で考える。クズの花とアザミの花がきれい。
 
 ル・グインの短編集『風の十二方位』の英語本を頼んだ。その中の「四月は巴里」というのを英語で読んでみたい。中古で600円。イギリスから動かすということで20日ほどかかるというが、忘れたころに届くのが楽しみ。
 「四月は巴里」は、バリー・ペニーウェザー博士と錬金術師ジャン・ルノアールの話。バリー・ペニーウェザー博士はアメリカ人、地方都市の大学助教授、フランスの15世紀の詩人、フランソワ・ヴィヨンの伝記の研究をしている真面目な、しかしうだつのあがらない学者。自腹をきって巴里に留学にきている。ジャン・ルノアールは15世紀のフランスの僧侶にして錬金術師。ペニーウェザーの下宿部屋が建った頃、同じ部屋に住んでいた。ルノアールが学業に倦んで出来心で黒魔術をかけたら、それがかかってしまい。ペニーウェザーが15世紀に呼び出されるという話し。
 ル・グインのものにはめずらしく、少し喜劇的な話しで、それが成功している。ルグインの短編の中ですきなものの一つ。この『風の十二方位』に収められた短編は、どれもルグインの長編に展開したものがいくつかあるが、この短編はなっていないと思う。しばらく前、どっかからでてきて就寝本になっていたが、今度読んでみてジャン・ルノアールの方の描き方に感心。以下、この短編の前書きを紹介する(Mさんありがとう)。


 これは、原稿料をもらった最初の作品であり、活字となって出版された二番目の物語である。そしておそらくわたしの書いた十三番目か十四番目の小説だろうか。兄のテッドが、読み書きもできない五つの妹の相手にうんざりして、本を読むことを教えてくれてからというもの、わたしはずっと詩や小説を書いてきた。二十のころには、そうして書いたものを出版社へ送るようになった。詩は何篇か本にのったが、小説の方は、三十になるまで、そうせっせと送ったわけでもないが、せっせと送りかえされてはきた。「四月はパリ」は、一九四二年以来はじめて書いた――一読してファンタジイないしはSFとわかる――〈ジャンル〉のはじめての作品である。一九四二年という年は、アスタウンディング誌のために"地球の生命の起源"をテーマとする話を書いたのだが、思いもよらないような理由で没になった(わたしはどうもジョン・キャンベルと性が合わない)。十二のころは、印刷した本物の不採用通知をもらって有頂天になっていたが、三十二ともなると小切手をもらって有頂天になった。"プロ根性"などというものは美徳でもなんでもない。アマが好きでやることを金銭のためにやる人間にすぎない。だが貨幣経済社会では、金が支払われるということは、作品が流布され、読まれるということである。それはコミュニケーションの手段であり、それこそ芸術家の意図するところである。一九六二年にこの作品を買ったシール・ゴールドスミス・ラリはSF雑誌の編集者としては進取の気性に富み、感覚も鋭かった。わたしのために扉を開いてくれた女史に感謝している。


 問題は芸術家のプロ根性の部分。芸術家の「金儲け」の「情熱」の出所についての率直なところだろう。これは学者だと「名誉欲」、学術の世界で、そしてそれを通じて社会的な名誉をえることということになるのだと思う。「名誉こそコミュニケーションの手段であり、それこそ学者の意図するところである」という訳だ。と、昨日、この部分を読んでいてはじめて自覚したが、歴史家が自分の仕事に名誉感と誇りをもち、それを維持した生活をするのはたいへんだ。むしろ先輩に対する負債の意識、やるべきことをやっていないという意識も強いと思う。それは学術が芸術とは違って、現実には集団的な知恵と思想と労働によって支えられているためであると思う。

 ともあれ、バリー・ペニーウェザー博士と錬金術師ジャン・ルノアールの話しは、まさにその学者心理に倦んできたところにおきた話し。ルグインは学者をこう観察している訳だ。ルノアールは20世紀の自然科学と原子論を教えられてすべてを知ってしまい、ペニーウェザーは15世紀にタイムスリップして専攻の時代のすべてを眼前にみてしまい、しかも、二人ともその知識を人に伝えることはできない。学術的な満足と「名誉欲」の放棄が一緒にきて、楽しく生きる。しかも最高の友をえて、しかも魔術によって息のあう孤独な女性まで呼び出して人生の別の享楽の世界にも入る。四月のパリで、というおとぎ話である。以前読んだときはペニーウェザーの方を主人公として読んだが、今回はむしろジャン・ルノアールがおもしろいということがわかった。
 

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