「平安時代史」の方法について

 以下、拙著『平安王朝』の「序 王の年代記をめぐって」を紹介します。はるか以前の著作で、しかも現在絶版状態になっていますので、ふり返ることは少ないのですが、私にとっては唯一の王権論としてまとめた著作です。現在の仕事の神話論を「王権神話論」としてまとめていますので、それとも関係します。
 ただ、「平安」という言葉はたいへんにミスリードな言葉で、この時代概念をそのまま疑問なく使うのはいかがなものかと、当時も思っていました。ただ対案を持たなかったので、当時は妥協して使っていましたが、現在では「山城時代」と呼ぶべきだという見解を明らかにしています(「日本前近代の国家と天皇」歴史科学協議会編『歴史学が挑んだ課題』青木書店)。この「平安」というのは桓武の詔勅にでる言葉です。分析対象である支配層の自己主張をそのまま時代概念にすることは、裁判官が被告の主張をそのままみとめて判決を書くようなものです。
 私の本務(もっとも長く時間を使う仕事)は編纂だったものですから、研究については十分な執着時間をとれず、全体が分かったと思うと、すぐに研究対象を変更してしまいました。そういうことで粗い見通しにとどまっていますが、人生の時間が残れば、少しは立ち戻りたいものです。

「序 王の年代記をめぐって」 
 平安時代という時代は、八世紀末から一二世紀末までの約四〇〇年間、厳密にいえば、平安京遷都の七九四(延暦一三)年から、平家滅亡の一一八五(元暦二)年までの時期をいう。この間に即位した天皇は、平安京を建設した桓武から、長門国壇ノ浦で入水した安徳までの総数三二人である。
 この本のテーマは、この三二人の王の「年代記」、その生涯と運命をできるだけコンパクトに、しかし必要な点は省略しないで描き出すことにある。これまで、このような試みは存在していない。その理由は、単純なもので、この時代が古代史研究と中世史研究の狭間に位置しているという、いわば歴史の学界の内部事情にある。これまで学界には、この時代の王権の運動を全体的・通史的に分析しようという視角自身が存在していなかったのである。古代史の職業的研究者は、古代の本場である六世紀から奈良時代までの歴史の究明を自己の第一義の仕事としがちであり、中世史研究者は本格的な中世、鎌倉時代に直接につながる「院政時代」の状況を確認するだけで満足しがちなのである。
 私は、こういう状況自体に異議を提出してみたい。平安時代において、王家の歴史は明らかに連続的な展開をみせており、それを「古代」と「中世」に分断することは多くの問題を見逃す結果をもたらす。一般に前近代においては王家の歴史は政治史の中心問題であって、政治史の節目くは王の生涯と運命の転変に刻みつけられることになる。実際に、前近代の日本でも歴史はまず「王の年代記」として語られ、記録されてきた。たとえば歴史物語の最初に位置する平安時代の『大鏡』などのいわゆる「鏡物」や、鎌倉時代の始めに成立した有名な歴史書・慈円僧正の『愚管抄』は、そのような体裁をとっている。また、これに関係して述べておかなければならないのは、日本の戦前の国家の正統イデオロギーであった「皇国史観」の歴史叙述も、一つの「王の年代記」であったことである。しかし、だからといって、それに機械的に反発するの余り、「王の年代記」という問題自身を忌避することは正しくない。特に本書で問題にする平安時代の天皇たちについては、戦前の研究はおおむね形式的なものに過ぎず、そこには王の具体的な運命や個性は登場しなかった。文学史研究者の今井源衛氏が述懐するところによると、皇国史観隆盛の頃には、平安時代前期の天皇、村上・冷泉・円融・花山などの天皇は、『源氏物語』の描く「色好み」の天皇イメージと重ねられて、一括してあたかも「国史上の恥部」であるかのような扱いをうけていたという(『花山院の生涯』)。
 私は、こういう状況の中で、客観的な事実にもとづく平安時代の「王の年代記」を確定することが必要だと思う。そして、いうまでもなく、客観的な事実はまずは史料によって論証あるいは推論可能なものでなければならない。私は、事柄の重大性からして、将来、本書のような概説書とともに平安時代王権の歴史を示す相当の厚さをもった基本史料集が必要であると考えるものである。日本の平安時代は、同時代の世界史の中で比較してみても異常といってよいほど大量の文献史料(貴族の日記や古文書)にめぐまれた時代であり、そのような作業は世界史的な視野をもった王権論の構築にとって、大きな役割を発揮するであろう。
 しかし、とはいっても、四〇〇年間の歴史の展開を復元することは、けっして単純な作業ではない。史料を収集することがすべての基礎であるとしても、史料を収集し並べることのみで、歴史が復元できる訳ではない。それらの史料の向こう側に確実に存在し、史料を生み出す現場となっていた過去の歴史自体を復元するためには、学問的な方法が必要である。
 そのような方法的問題として、本書が特に意識したことは、第一に、王の複雑な血統と、それを規定した結婚と姻戚の諸問題を検討することである。王とは、一般的にいって、呪物的な(フェティッシュ)「血」と「肉体」をもった人間のことである。その血統は、だいたい王家の三世代、つまり各時代の「上皇院」(さらに「国母」、天皇の母)、「天皇」、「皇太子」の婚姻に表現されている。平安時代の日本の王家については、それを示す詳細な史料が、量・質ともに、四〇〇年間もの長期にわたって、世界史的にいっても珍しいほどの規模で残っている。そのため、本書では、まず平安時代の王権を構成する三世代家族のあり方を確認し、特にその中における「皇太子」の位置に注目してみた。それによって、平安時代前期の政治史の要点が、一貫して皇太子庁・東宮庁をめぐる政争にあったこと、そしてそれと対比して、平安時代後期、いわゆる「院政時代」の王権の特徴が、この皇太子が基本的に存在しなくなる時代、「皇太子大空位の時代」という点にあったことが明らかになるだろう。
 本書が第二に目指したことは、王と政治史の関わりを、あくまでも王を主語として、「王の物語」「年代記」として分析・解明することである。従来、この時代の王家の運動を通史的・全体的に考察する試みがなかったために、平安時代前期の「摂関時代」は摂関家が王の閥族としての権威を確立し、「専横」を極めていく時代として描かれ、平安時代後期の「院政時代」は白河院のような専制君主の下で、徐々に源氏・平家などの「武士」の力が優越していく時代として描かれるのことになっている。平安時代は摂関家が専権を確立していく摂関時代と武士の権力の発達していく「院政時代」に区分されるという訳である。そのような政治史の見方の下では、白河院のような一部の「院」を除いて、天皇は非政治的存在であるかのように描かれ、「王の年代記」は、いわば「摂関政治発達」と「武家政治の発達」の物語の背景、ネガとして語られることになっていた。しかし、こういう通念の中では、河内祥輔『古代政治史における天皇制の論理』が明解に指摘しているように、王家内部の矛盾や王統の分裂の問題は見逃されてしまう。また王家と摂関家の歴史の歴史の絡み合いは単純化され、摂関家内部の「兄弟」の争いの歴史が王統の対立と不可分に結び付いていたことが等閑視される。そして、平安時代における武家の争いが、やはり王家内部の争いへの軍事的奉仕をめぐって発生したことも見逃されてしまうのである。
 最後に、本書が、第三に重視したことは、王権の展開した場所としての都市・平安京の位置の問題である。平安時代の王家の歴史は、桓武が平安京を建設した後、後白河院と兵士が神戸の福原京に遷都して、軍事的専制を強化しようとするまで、都市・平安京という場と密接な連関をもって展開してきた。その王権としての性格は中央都市を固有の支配基盤とする「都市王権」ともいうべきものであったというのが、私の見解である。平安時代の天皇は、一般に即位の後に「新制」といわれる国家統治法を発布するが、この点からみると、その条文の相当部分が都市法によって占められているのは当然ということになる。そして平安時代の「公家」貴族というと、都で「優雅」な生活を営み、「武家」というと田舎で「質実剛健」な生活を営んでいるというのが、通念であるが、しかし、現実には「公家」も「武家」も都市貴族として活動しているのである。中央都市を拠点とした支配システムとしての荘園制は、その中から発展してきたといわねばならない。
 以下、このような王の「血統」、王の「政治」と「都市王権」という三点をキーワードとして、平安時代王権の「年代記」「物語」を語っていきたい。

 なお、お読みいただければわかることであるが、本書は、前述のように大量に存在する歴史文献史料の外に、『伊勢物語』『源氏物語』以下の文学史料、さらに絵巻物などの絵画史料を多用している。『伊勢物語』『源氏物語』などは、王権の物語ともいうべき性格を強くもっており、それを歴史学の立場から政治史の中に位置付けることは、豊かな成果をもたらすと思う。また『伴大納言絵巻』のような絵巻物は、おもに平安時代の末期から鎌倉時代にかけて作成されたものではあるが、当時の人々が平安時代をどのようにイメージしていたかを示す点で欠くことのできない位置をもっている。
 私が、特にこれらの史料の意味を重視するのは、その力をも借りて、平安時代の「貴族文化」の歴史的背景となった宮廷生活と宮廷政治の実態を、できるだけ分かりやすく描きだしたいからである。私は、平安時代の王権の物語を新しい形で国民的な常識としていくことなしには、日本の伝統的な歴史文化の刷新は望めないと考えている。ヨーロッパの人々が、その国の王権の歴史を熟知しているように、日本の王権の歴史も熟知されなければならないのである。

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