死の女神がなぜ美しいか

下記はある媒体にかいたもの。


火山神カグヤ姫とカグツチ

 『竹取物語』は平安時代の物語のようにみえる。たしかに、それは王朝において天皇が主催する豊明節会の舞踏会に「舞姫」として出仕させられる女性たちの立場から書かれているように読めるのである。つまり、かぐや姫がミカドの許に召されるのは、まさにその舞踏会への動員の季節であって、かぐや姫は、それを嫌だといい、強制されるなら死んでしまうという。この舞踏会についての具体的なことは『物語の中世』(講談社学術文庫)で書いたので繰り返さないが、この物語が一二・三歳で舞姫に動員される平安時代の中下級貴族の娘たちに好んで読まれたのは、当然であったろう。彼女らも私は天女だと叫びだしたいときがあったに違いない。

 しかし、高畑勲氏の「かぐや姫の物語」が示すように、実際には、『竹取物語』は相当に手のこんだ組み立てをもった話である。ここでは、それが神話の時代にさかのぼる由来をもった物語であることを示すことにしたい。

 それはカグヤ姫の本性の問題にかかわっている。つまり、カグヤ姫という名前をもった王族や王妃が『古事記』『日本書紀』に何人かあらわれるが、これは『字訓』のカグの項によって、揺らめく火のように美しい姫と解釈される。神話時代の火の神をカグツチというが、カグヤ姫のカグはそのカグであって、カグヤ姫はカグツチに対応する存在である。

 検討をカグツチから始めるが、カグツチは列島ヤポネシアを生んだ大地母神イザナミから生まれるとき、イザナミのミホトに火傷を負わせ、イザナミを死に追い込んだ少年神である。神話学の松村武雄によれば、このイザナミのカグツチ出産は火山噴火を神話化したものであって、カグツチは単なる火の神ではなく、火山噴火の火を示す神であるということになる(『日本神話の研究』)。

火の神カグツチと竹珠の物忌女

 さて、カグツチについては、イザナミの出産の場面のほか、『日本書紀』の神武紀に重要な記事がある。それはイワレヒコ(神武)が、大和国に攻め込むにあたって行った呪祷において使用した「火」が「嚴の香來雷(かぐつち)」と呼ばれていることである。この呪祷においては、大和の香具山から取ってきた「土」によって「埴瓮」が作られ、火と水と米と薪などが用意されて炊飯が行われ、イワレヒコは天神タカミムスヒに扮装し、大伴氏の遠祖とされる道臣命が「齋主」となってイワレヒコ=タカミムスヒに奉仕した。その中心は「火」の呪祷であり、神タカミムスヒの前で、「齋主」が「火=カグツチ」の世話をするというものであったから、これは夜の儀礼であったに相違ない。
 問題は、齋主への任命が、道臣命に「嚴媛」という名をあたえるという形で行われたことである。これは名前だけではなく、実際に道臣命を女性に扮装させたということであろう。益田勝実は、このような男が男に女装をさせて自己を祭らせる「神ー齋主」の関係を、サルのマウンティングと同じだとしているが(「日本の神話的想像力」『秘儀の島』))、このイワレヒコがタカミムスヒに扮して営まれた呪祭は、タカミムスヒの祭りの内容を直接に示唆するほとんど唯一の文献史料であり、それが女装者によって営まれたことは、本来のタカミムスヒの祭祀が女性によって営まれたものであることを示唆する。
 そもそも、この祭祀のもっとも重要な祭具である「埴瓮=嚴瓮」は『万葉集』の時代においても、女性の祭る物であった。それは「わが屋戸の 御諸を立てて 枕辺に 齋瓮(いはひべ)を居(す)ゑ 竹玉を間無く貫き垂り」などと歌われる(四二〇)。そのほか「床の辺」(四三三一)という例もあり、ようするに、忌瓮は女が眠って神を迎える夜の臥床のそばに据えられているのである。注目しておきたいのは、これらの歌においては、女が竹玉を貫いた御統(環飾)を身につけていることである。これは、女性の忌姿において青竹(もしくは青い菅玉)の飾りが大事な意味をもっていたことを示している。拙著『かぐや姫と王権神話』(洋泉社新書y)で述べたように、この竹珠を物忌みの証拠とする少女の姿こそ、竹から生まれた「カグヤ姫」の原像であると考えられる。嚴瓮に揺れて光る火。その火の神カグツチと、それをみまもるカグヤ姫である。

火山の女神ーカグヤ姫とワクムスヒ

 さて、右の神武紀の記事について、『日本書紀』(岩波、日本古典文学大系本)の頭注は、ここに「火・水・食物・山・野・木・草の神が現れる」のは「世界生成神話の断片が変形して入り込んだものと見られる」とするが、たしかに、この場面は、列島の国土が形成されるクライマクスの場面、つまりイザナミが火の神カグツチを生んで死去する有り様とそっくりである。一応、下記に『日本書紀』『古事記』の関係部分を引用しておく。
「この子を生みまししに因りて、美蕃登(みほと)灸((焼))かえ((れ))て、病み臥してあり。多具理(たぐり)に成りませる神の名は金山(カナヤマ)毗古(ヒコ)神、次ぎに金山毗売(ヒメ)神。次に屎(くそ)に成りませる神の名は波迩夜須(ハニヤス)毗古神、次に波迩夜須(ハニヤス)毗売神。次に尿(ゆまり)に成りませる神の名は弥都波能売神(ミツハノメノカミ)。次に和久産巣日神(ワクムスビノカミ)。この神の子は豊宇気毗売神(トヨウケビメノカミ)と謂う」(『古事記』)
「時に伊弉冉尊、軻遇突智がために、焦かれて終りましぬ。その終りまさむとする間に、臥しながら土神埴山姫及び水神罔象女を生む。即ち軻遇突智、埴山姫を娶きて、稚産霊を生む。この神の頭の上に、蚕と桑と生れり。臍の中に五穀生れり」(『日本書紀』神代第五段、一書第二)
 この場面は、地母神の死によって、大地の富がもたらされるというコスモロジーを語っているということができよう。その富が金属・陶土などの非農業的な性格を帯びていることを見逃してはなるまい。そして、松村のいうように、カグツチの誕生が火山噴火を意味するとすると、それは、神話時代の人々が、火山噴火によって大地の富がもたらされたという神話的な直感をもっていたことを証することになる。現代の火山学者たちもまったく同じことをいう。彼らは、自己の学問の職責に関わって、火山噴火こそが、この列島の自然地形の多様性と土壌の豊かさをもたらしたのだと主張するのである。私は、それ神話の言葉でも語った方がよいように思う。
 さて、この世界創成神話における神々の噴火の光景をもう少し詳しくみてみよう。まずこの火山噴火の中心がカグツチであることはいうまでもない。噴火におけるカグツチの威力は爆発力であり、それは火山雷において象徴されているといってよいだろう。現在でも各地にカグツチを祭る神社が存在するが、それは知る限りでは雷神である。
 それ故に、カグヤ姫もただに火の女神であるのみでなく、火山の女神であるに違いない。カグヤ姫が火山の女神であることは、彼女の地上への遺品、不死の薬や手紙が、結局、富士山から焼き上げられたという『竹取物語』の結末が象徴しているのである。富士山頂には竹林があると観念されていたこと、富士の噴火のときに女神が山頂を舞うという幻視がされていることなどは、『かぐや姫と王権神話』を参照いただきたい。
 問題は、このカグヤ姫は、上記の『日本書紀』『古事記』に描かれたイザナミの出産=噴火の場面に登場する神々の誰に比定すべきかということである。金属の神でも、土や水の神でもないとすれば、私は、それはおそらくワクムスヒにあたるのではないかと考える。「ムスヒ」という神名もカグヤ姫にふさわしい。別の機会をえて詳しく説明する予定であるが、すでに『歴史のなかの大地動乱』で簡単に述べてあるように、このムスヒについての本居宣長以来の説明は間違いである。つまり『古事記伝』は「産巣(ムス)は生(ムス)なり、其は男子(ムスコ)女子(ムスメ)、又苔(コケ)の牟須(ムス)など云う牟須(ムス)にて、物の成出るを云」という漢字語義からの推測が一般であり、こういう推測のもとに、たとえば丸山真男の「歴史意識の古層」のような大仰な議論がされているのであるが、しかし、『類聚名義抄』に「蒸<ムス、フスホル、アツシ、ムシモノ、ウモス>とあるのが正解で、「ムス」とはそれ自体としては、暖気・熱気という意味である。八六七年の別府鶴見岳の噴火の様子が「昼は黒雲の蒸し、夜は炎火の熾り」といわれていることを重視したい。そして「ヒ」を「霊」とする本居の解釈があたらないことはすでに溝口睦子がいう通りであって(「記紀神話解釈の一つの試み」『文学』四二ー二)、私は、これは「威力ある日・光」であろうと考えている。ようするに「ムスヒ」とは「熱光」ということである。こう考えた場合、三宅和朗が、倭国の神話の世界においては「神や自然が発する光」「太陽(日)と火の光」が大きな霊威をもつものとして受けとめられていたと述べていることが重要な意味をもってくる(『古代の王権祭祀と自然』)。
 こうしてワクムスヒという神名は「稚い熱火の女神」という意味となり、まさにカグヤ姫にふさわしい。火山噴火においてカグツチを象徴するのは火山雷であると述べたが、それに対応してカグヤ姫の姿を象徴するものを考えれば、それは、九世紀の史料では「金色眩曜」などといわれる火山噴火の時に発生する美しい「奇光」であろうか。エネルギーに満ち、マグマから立ち上って、突進し、揺れながら姿をかえ、金色と黄・赤・青に色をかえていく、美しい火山の光学現象は火山の写真集をみれば、すぐに見ることができる。高畑アニメで嵐のように疾走するカグヤ姫の荒々しさの本質は、これではないかということになる。

ワクムスヒとオオゲツヒメの殺害

 さて、上に引用した部分からわかるように、このワクムスヒ(=カグヤ姫)という神は、『古事記』では実はイザナミが最後に生んだ神であり、さらにその子にトヨウケ姫が生まれたという。またやはり上に引用した『日本書紀』の一文では、この少女神は、少年神カグツチの娘であるという。グロテスクな話しであるが、カグツチは、火傷に苦しむ母が垂れ流した「屎(くそ)」に生じた女神、土の神「ハニヤス姫」に飛びかかって犯し、ワクムスヒは、そこから生まれたというのである。
 重大なのは、このワクムスヒこそが農業の富をもたらす神であったことである。まず『古事記』では、ワクムスヒからトヨウケ姫が生まれたというが、「豊=トヨ」は「立派な、厳粛な」というような意味であるから、彼女の名前の実態はウケにある。そして「ウケ」とは、『日本書紀』の神武紀に「稲魂女、これを于迦能迷(ウカノメ)と云う」とあるように、稲魂(いなだま)、稲の穀霊のことである。後になると宇賀神などともいって「富」一般を表現する神となるが、厳密にいえば、ウケの「ウ」は、言葉を発する時の勢いで出る発語の「う」であって、語幹の「ケ」が穀物・穀霊を意味する。現在でも「あさげ・ゆうげ」などというのは、この「ケ」が食物の意味で残っているのである。トヨウケ神とは農業の神なのである。
 これに対して、『日本書紀』では、ワクムスヒ自身の頭に「蚕と桑」がなり、臍には「五穀」がなったとある。これはメタファーとしては、ワクムスヒは死んで、その遺体に「蚕・桑・穀物の種」がなったということであろう。そして、『日本書紀』では、火の神カグツチが土の神ハニヤス姫を犯して稚い熱火の女神(ワクムスヒ)が生まれたというのだから、これを焼き畑の象徴と考えるのも自然であろう。この神話には、この列島に棲んだ人々が、火山噴火の火から「火」を獲得し、その「火」が土壌を肥やすということを知ったという遙かな記憶が残されているのであろうか。
 従来、焼き畑の女神とされているのは、もう一人の「ケ」姫、オオゲツ姫(ウケモチ神)という女神である。彼女は月読命、あるいは素戔嗚尊に殺害される女神である。スサノヲの場合について説明すると、彼は、倭国神話の主人公ともいえるトリックスターであって、母をしたって泣き騒ぎ、地震と津波を引き起こすが、天に上って姉のアマテラスに敗北して大地に降ってくる。その途中で、もう一人の姉のオオゲツ姫を無惨に殺害するのであるが、この女神の死体の頭には蚕、目には稲種、耳には粟、鼻には小豆、陰部には麦、尻には大豆が生ったということになる。
 スサノヲは、この近親殺害の経験によってはじめてマザコンから抜け出し、王者にふさわしい人格を獲得し、人間もその殺害から恩恵をうけて農業の富をあたえられて、今を生きているというのが倭国神話の筋書きである。スサノヲはこの後に、初めて出雲に下って、火山・伯耆大山の下にある「根の鍛すの国」(地下の鍛冶場の王国)に君臨するということになるのである(参照、保立『歴史のなかの大地動乱』岩波新書)。
 
広瀬神社とカグヤ姫

 ようするにどの場合も男の暴力にさらされた女神の遺体から農業がはじまったというわけである。すでに述べたように、『竹取物語』のカグヤ姫の原像は、物忌みの証拠として何重もの青緑の竹珠の御統によって、その身を呪縛された少女の姿にあった。そして、これも『かぐや姫と王権神話』を御参照願いたいが、より具体的には、カグヤ姫の原型は、広瀬神社の大忌祭に奉仕する「物忌」の少女に求めることができる。彼女らは、広瀬神社の大忌祭を前にして長い潔斎の生活を送る。これが『竹取物語』の描く天に帰る前の時期のかぐや姫の引き籠もりと憂愁の生活そのものなのである。
 広瀬神社は、大和国の西部、奈良盆地を乱流する河川が合流する地点にある。広瀬神社をかかえる広陵町は、「かぐや姫の里」をキャッチフレーズにしている町であるが、これは事実を反映したものである。広陵町の南には讃岐神社があるが、竹取翁の名前の「讃岐造」は、それと関係がある。翁などの所属する忌部氏は、朝廷の祭器の資材や建築を担当していた氏族であるから、その縁で竹細工にも関係したのであろう。
 広瀬神社は、忌部氏との関係も深かったと思われるのだが、祭神はワカウカ姫という。さきほどカグヤ姫と同じ女神と考えたワクムスヒと微妙に似た名前である。そして、広瀬ワカウカ姫は、伊勢外宮のトヨウカ姫とも縁が深く、室町時代になると同体であるという説がある。前述のように『古事記』によれば、ワクムスヒートヨオカ姫は親子であったが、そのトヨウカ姫と縁の深い広瀬ワカウカ姫が無限にワクムスヒ=カグヤ姫に近い女神であることは御了解いただけるだろう。しかも、伊勢外宮のトヨウカ姫も、広瀬神社のワカウカ姫も月の女神なのである。比較神話学によれば、どの国でも月神はしばしば女神で農業神を兼ねるということであるが、もし以上の推論が正しければ、それはヤポネシアにおいても同じであったということになる。
 さて、奈良を好きな方なら、広瀬神社の祭神が月の女神であるというのは、すぐにわかるのではないだろうか。奈良では、月は広瀬野に沈む。広瀬野の上、二上山にかかる月は『万葉集』にも歌われていて、よく知られている。
 そして、右の図は、『春日権現験記絵』の巻頭に登場する月の仙女であるが、この竹林も広瀬神社近くの竹林である。平安時代になると、一時は伊勢神宮とならぶような位置にあった広瀬神社は奈良の田舎の神社になっていき、春日神社が藤原氏の氏神として栄えたために、絵巻物ではこの場面は「春日大明神は満月円明の如来」と説明され、この仙女も春日の神ということになっていて、ご丁寧に十二単の女房装束をしている。しかし、本来の広瀬の月の女神は、より凄絶な畏怖すべき美しさをもつものであったろう。それは、今でも、春日神社の夜の森に光る月光の冴え冴えとした様子に近いより原始的なものであったように思うのである。
おわりに
 高畑「かぐや姫の物語」の筋は、月に憂愁に沈む女がおり、彼女の姿に惹かれたかぐや姫は、結果的に月世界最大のタブーをおかし、その罪によって地上に落とされたというものである。このプロットは高畑監督の独創ではあるが、空想ではない。益田勝実が論じているように、月にいる憂愁の仙女のイメージの原型は古くから中国で語られている姮娥(ルビ:こうが)にある。彼女は中国の英雄で強弓の達人として知られた羿(ルビ:げい)の妻であり、深く愛し合っていたが、結局、羿が月の女神・西王母から獲得した「不死の薬」を盗んで月に帰らざるをえなかったという。しかし、こうして月世界にもどった姮娥は夫と地上が忘れられず、月の都で永遠の憂愁の時を過ごしているというわけである。かぐや姫は、この姮娥の憂愁の姿にあこがれ、彼女に近寄りすぎたあまり、月世界にとって最大のタブーというべき?娥の記憶を呼び覚ましてしまう。そして、自身「まつとしきかば、いまかえりこむ」という歌の記憶にとらわれ、その罪をつぐなうために、つらい運命をあたえられたというわけである。
 興味深いのは、高畑アニメが、月の世界を「死の世界」とみて、その世界から地球をみるという視点をとったことであった。そして、その独創は、月からきた王女かぐや姫が、地上での試練に耐えきれなくなって、みずから「助けて! もう死んでしまいたい」と通信を発するというプロットにある。それが感動的なのは、死の世界から来た少女が「死んでしまいたい」と心のなかで叫ぶことによって「生」を発見するという逆説に、我々が動かされるからである。
 高畑勲監督の『かぐや姫の物語』は、火山の女神としてのかぐや姫を描いているわけではない。ただ歴史学からの解説としては、かぐや姫という存在が、なぜ死の世界に近いのかということを、彼女が火山の女神=月の女神=農業の女神であるという事情から説明するほかない。
 試写でみた限りで、もっとも印象的であったのは、月に帰還させられたかぐや姫が、どこまでも清浄な月面に泣き伏している姿であった。私は、神話時代の人々も、月面をこのようなものとして想像したに相違ないと納得した。そこにあるのは清浄で荒々しい「死の世界」、地質学的な自然そのものである。火山の噴火という激しくも凄絶に美しい地質学的な自然のなかに倒れ臥している女神。『竹取物語』という文芸に没入することを通じて、このアニメ映画は、歴史家が『竹取物語』に感じるものと同じものを直感しているのかもしれないと思う。
 物質世界は、社会的自然、生態的自然、地質学的自然、そして宇宙へと拡大する階層的断裂のなかにある。人間が屈曲して生きている社会的自然の周囲に存在する「虫・鳥・草」などの生態的自然をぱっとはぎ取られ、地質学的な自然に直面させられること。神話時代から、人類はその黙示録的な恐怖を知っていたに違いないと思う。原民喜のいう「ぱっとはぎ取られた後の世界」の入り口を見させられた現在、ともかくも歴史学は過去への想像力を提供することに務めなければならないと思う。

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