東日本大震災は「予知」されていた! 「災害予知」という概念について

 これは熊本地震のしばらくあとの文章です。 

私たちは現在、熊本地震において地殻の動きがどうなっているかを時々刻々知ることができる。これは、一九六二年に地震学のグループがまとめたブループリントといわれる構想(「地震予知 現状と推進計画」)が実施され、活断層調 査、地震観測などが精密化し、情報技術の発達によって可能に なったことであ る。それは地震火山列島に棲む民族にとって、大きな意味をもっている。大地を 理解することは、「震災はどこでも起こる、何をやっても無駄だ」という安易 な無力感を跳ね返すための生活の知恵である。

 しかし、この「予知計画」にはボタンのかけ違いがあった。計画の立案者たち は、現在のように詳細な観測事実が分かれば地震発生が「予知」できるだろうと考えていた。そして、それが希望的な観測であったことはすでに明らかである。

 しかも問題は、そこで「予知」という言葉が「時・所・大きさの三つの要素を 細かく指定する」と定義されていたことである。しかし、考えてみれば、地震 の「時・所・大きさ」を「予知」しようというのは、実際上、震災の警報を行うのとイコールである。そして震災の警報とは、たとえば新幹線を止めろという ことだから、常識で考えれば、そのような責任を地震学者に負わせることはできない。

 そもそも、地震学が研究対象とする自然現象としての地震と、人間社会を傷つける「震災=災害」とはレヴェルが異なるものである。後者を問題にする学問 分野は、災害科学・防災学というが、その立場からすると、自然現象としての地 震は「災害誘因」=災害を誘い出すかもしれない要因に過ぎな い。災害の原因 それ自体=「災害素因」は、むしろ人間が自然の中に作り出した人工的な土木・ 建造物が、逆に人間を襲ってしまうことにある。それ故 に、徳川時代に列島が 都市化してくる前には、津波を除いて地震による死者の数はきわめて少なかっ た。災害科学の考え方では、災害は人間が自然に対 して無理に侵入し、そこに 作り出された構造物が災害への脆弱性を抱え込むことによって生まれるのである。

 それ故に、最近では地震学と災害科学の協力が強調されるようになった。とく に、東日本大震災(それにともなう東京電力原発事故)の経験をふまえて、科学技術学術審議会の地震火山部会がまとめた建議、「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画の推進について」(二〇一二年一一月) は、予知計画 の目標は、自然現象としての地震を予測することではなく、むしろ「災害の予知」にあるとした。

 そこでは「予知」という言葉の意味も「警報」から明瞭に切り離されて、「理 学、工学、人文・社会科学の研究分野の専門知を結集して総合的かつ学際的に研究を進める災害科学においては、むしろ『前もって認知し、災害に備える』ことを幅広く捉えて『予知』という言葉を用いる方が妥当である」と説明されている。

 私は、歴史家として、それを議論した委員会に出席したが、このような「災害予知」への方向転換は正しいと思う。私は三・一一の後に、急遽、地震の歴史の研究を始めたが、たとえば、これまで地震学者が見逃してきた「宣命」という天皇の願文を読み解くことによって、東北沖海溝大地震と同規模のものであったという八六九年の陸奥大津波の二ヶ月後に熊本で地震が起きていることに注目した(保立『歴史のなかの大地動乱』、岩波新書、二〇一二年)。東北沖海溝大地震の後に熊本で地震が起きた例は、 一七世紀にもあるので、これは一種の傾向なのかも知れない。実際上は地震学者に教えてもらいながらのことではあるが、歴史家もこういう意味での「予知」計画ならば参加できるのである。

 また、最近、日本学術会議は、企業が私的に保有するようなものをふくめて、地質地盤情報を公開し、それによって地下を可視化し、多様な地殻災害 や土壌 汚染などに対応する基礎情報を管理するために、地質地盤情報公開を促進する新規立法が必要であると提言した。これが地殻災害の予知のためでもあることはいうまでもない。そこには経済学や法学、さらには土木工学、建築学、都市工学などの協力も明瞭にうたわれている。日本の大学と学術が全力をあげて取り組めば、ここには相当の成果が期待できるだろう。
 右の図は、最近、学術会議が編集・刊行した『地殻災害と学術・教育』に載せた拙論に掲げた図であるが、ここに明らかなように、地震・噴火の予測 研究と 災害科学の交点に「災害予知」が成り立つことになる。そして、さらに強調しておきたいことは、その上で、すべての情報を統括して、防災体制を整備し、「災害予知」を生かしていく責任は、社会を代表する行政にあることである。従来の「地震予知」計画では、地震学に「時・所・大きさの三つの要素を指定する」責任が課せられていたから、有り体にいえば、政府や行政は「災害予知」の責任を地震学にかぶせることが可能であったが、今後はそうはいかない。防災行政は、人為的に改変された自然の脆弱性に関わる様々な情報を、土木・建築・ エネルギー産業などの変化にそくして時々刻々と掌握することが義務となるのである。

 もちろん、図の三つの円の交点に位置する「警報」を防災行政が発することが できるかどうか。そもそも実用的な震災警報が可能なものかどうかは、 まだまだ議論がある。私は、その可能性が皆無とはいえないと思うが、しかし、少なくとも、政府は地震学・火山学・災害科学の主張を謙虚に聞き、とくに防災行政の専門性を地域のレヴェルから圧倒的に高めるることによって、地殻災害が発生した場合でも、被害が人命に及ばないように可能な限りの努力をすべきことはいうまでもなかろう。

 二〇〇二年、地震学の島崎邦彦氏は、地震調査委員会長期評価部会の責任者と して東北沖海溝大地震の震源域で大規模な津波地震が発生するという長 期予測 をまとめた。しかし、二〇〇四年、中央防災会議は多くの地震学者の反対を無視し、この津波地震の発生予測を受け入れなかった。これはM9という東北沖海溝大地震の規模を予測するものではなかったが、政府がこの島崎予測だけでも受け入れ、宮城県のハザードマップと防災計画に反映させて いれば、犠牲者が二 万近くにまで上ることはなく、また東京電力の原子力事故もあのような形にはならなかったということは地震学界ではよく知られた 事実である。このような許 されない失態を今後起こすことがないように、中央防災会議は深刻な反省を迫られているはずである。

 また、東北沖海溝大地震の四年前に日本地震学会地震予知検討委員会の出版した『地震予知の科学』にも、「東北から北海道の太平洋側のプレート境界では、過去の津波堆積物の調査によって、五〇〇年に一度程度の割合で、いくつかのアスペリティをまとめて破壊する超巨大地震が起きることもわかってきた」と明記されていた。もう30年近く前に、八六九年に起きた貞観津波が巨大なものであることははっきりしており、それがM8,4以上の巨大な地震で、その浸水域がきわめて広いことは詳細なシミュレーションをともなった論文となっていたのである(佐竹健治・行谷佑一・山木滋「石巻・仙台平野における八六九年貞観津波の数値シミュレーション」(『活断層・古地震研究報告』№8、二〇〇八年)。東京電力原発事故との関係では、二〇〇九年六月に東京電力福島第一原発の耐震設計見直しを討議する保安院が開いた委員会において、貞観津波の痕跡を調査していた産業技術総合研究所の活断層・地震研究センターの岡村行信センター長が大津波の再来の可能性を指摘し、東京電力の想定を強く批判したことも、地震学会では知らない人はいない。私は、東日本大震災の直後に東京大学地震研究所で開かれた報告会で、右の論文のシミュレーションの示す浸水域と東日本大震災の現実の浸水域がまったく重なっているのをみて息を呑んだ。八六九年の五百年後に起きた津波はおそらく一四五四年(享徳三)の津波であろうとされるから(保立『歴史のなかの大地動乱』前掲)、二〇一一年の東北沖海溝大地震はまさに「五〇〇年に一度程度の割合」で、この巨大津波が起きることの証明になってしまったのである。残念ながら、このような諸問題をふくめていまだに根本的な反省と総括、そして改善の方途は立っていない。

 一言申し述べれば、問題を根本的に解決するためには、最近、議論があるよう に、防災省のような省庁を創設し、内閣府・国交省の関係部局や気象庁・消防庁・原子力規制庁などを統合して、その中枢に日本学術会議が長く主張している 地震火山庁を置くというようなことが必要だろうと思う。
 また最後に歴史家としての感想を付け加えることを許していただければ、そも そも、災害の相当部分は、災害の経験を、世代を越えて継承することなく忘却 してしまい、また無理・無法なことをやって自然からしっぺ返しをくうことによって生まれる。「災害は忘れたころにやってくる」というのは有 名なことわざだが、地震火山列島に棲む民族として、私たちは、そろそろ歴史的な災害の経験のすべてを継承する成熟した知恵と感性をもつべきではないだろうか。「災害は忘れた頃ーー」ということわざを過去のエピソードにすべき時代に入っているのではないだろうか。

 そこで歴史学が果たすべき役割は大きいと思う。私はすでに定年を過ぎており、歴史家として多量の史料を蒐集し分析する仕事に従事する体力がなくなっているが、これまでの経験の範囲内で、日本の神話の内部に隠されている地震神 話・火山神話を復元することだけは死ぬまでにメドをつけたいと考えている。 そして、この地震・火山神話において九州の地が根本的な意味をもっていることはいうまでもない。話題が飛躍するようであるがその意味でも、この列島に棲む民族にとって、熊本の方々の過去・現在・未来の経験は重大なものである。地震でなくなられた方を追悼するとともに、是非、頑張って、また何よりも御無事で過ごしていただければと思う。

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