邪馬台国と火山神話

 倭国神話は出雲火山と九州の火山の神話をベースとして組み立てられているのであって、この二つの火山地域と「邪馬台(やまと)国」をむすぶ東西に長い三角形が倭国神話の及ぶ固有の範囲なのである。問題は邪馬台国とその神話の理解であるが、前提となるのは、邪馬台国は九州の伊都国を中心とし、吉備、出雲などをもふくめて「倭国東遷」の動きであったという寺沢薫の見解である。簡単に指摘したことがあるように(保立二〇一七、文藝春秋二〇一八年九月号対談)、私は邪馬台国の建国から始まった卑弥呼の墳墓、箸墓古墳は、寺沢薫のいう「倭国東遷」にともなう九州と出雲の火山神話の大和への持ち込みを象徴するものであったと考えている。火山神話は三世紀、邪馬台国の成立によって形成された西国国家、クニ連合の神話となったのであり、その神話は壺型墳の築造によって倭列島の広い範囲で共有されていった。
 ここで詳しく論ずることはできないが、『歴史のなかの大地動乱』および別稿「火山信仰と前方後円墳』でふれたように前方後円墳は正確に表現すれば「壺型墳」と呼ぶべきものである。前方後円墳を壺型とする理解は三品彰英、岡本健一、辰巳和宏などによって主張されたが、小南一郎は論文「壺型の思想」において中国思想史の豊富な知識に基づいて東アジアの神仙思想の中には死者の魂が壺や瓢箪などの中に入って、そこから天上に上っていくという観念があることを明らかにした。前方後円墳の築造の思想はそれと同じものである。

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