地震・火山の観測研究五ヶ年計画の審議に参加して科学


                    保立道久
 私は、科学技術学術審議会測地学分科会(分科会長、藤井敏嗣)の地震火山部会(部会長、平田直)に設置された次期研究計画検討委員会(主査、末廣潔)の専門委員を委嘱されて、2014年度よりの研究五ヶ年計画「災害の軽減に貢献するための地震火山観測研究計画の推進について(建議)」の立案に参加した。会議は文部科学省において2012年12月28日から2013年7月8日まで行われ、さらに何回かの打ち合わせが東京大学地震研究所において行われた。
 委員メンバーの所属を紹介すると、主査はIODP―MI代表、他はNPO法人環境防災総合政策研究機構・東大地震研究所・京大防災科学研究所・国土地理院・産総研活断層地震研究センター・防災科学技術研究所・海上保安庁・海洋研究開発機構・気象庁・東北大理学研究科などである。たとえば2011年度では文部科学省関係の地震調査研究予算は単年度で地震調査研究本部などに225億、本計画に4,2億となっているが、この委員会は、後者の予算5ヶ年分を上記の機関やその他各関係大学で計画的に実施するために必要な学術方針を策定することを任務としていた。
 ただ今回の場合は、これらの理学系の研究者のほか、歴史学から私、防災学から新潟大学の田村圭子氏が参加した。科学技術学術審議会の委員に社会人文系の研究者が委嘱されることは珍しいというが、前提となったのは、前回の研究計画(2009―2013年度)に対する外部評価(「地震及び火山噴火予知のための観測研究計画に関する外部評価報告書」2012年10月26日)とそれをうけて決定された「地震及び火山噴火予知のための観測研究計画の見直しについて(建議)」(同年11月28日)である。たとえば外部評価文書の前文のトップ近くに「歴史地震の研究の軽視」が挙げられているように、そこでは3・11東北地方大地震をうけて防災学や歴史学などとの協同の必要が確認されていた。なお、これらの文書は、今回決定された建議本文とともに、文部科学省のHPでみることができる。
 公的な政府委員会文書に、地震学・火山学の学界・研究機関の討議を前提にした歴史関係の記載が含まれていることは重大であり、歴史学研究者個々人に情報をお届けしたい。また、こういう経過からすると、次回計画(2019年度より五年)の立案に際しても歴史学や防災学の参加が要請されると思われる。この報告は、それを見越した実務的なメモとしても御読みいただきたい。
建議の内容と歴史学に関係する諸事項
 まず、建議の全体的な特徴は一言でいえば「地震・火山の観測研究計画は、国民の生命と暮らしを守るための災害科学の一部として推進する」という方向転換を明示したことにある。これは当然のことにみえるかもしれないが、地震や噴火が引き起こす自然現象はあくまでも災害の誘因であって、災害の素因は人為的に作られた自然環境や社会環境の脆弱性にあるという災害科学の原則が正確に書き込まれているのが重要である。
 これはベン・ワイズナー『防災学原論』(邦訳築地書院、At Risk: Natural hazards,people's vulnerability and disasters再版2003)によるもので、同書は自然現象としてのhazardsと社会現象としてのdisastersを明瞭に区別し、とくに「先進」諸国によって構造的に作られた社会構造の脆弱性(vulnerability)が、開発途上国における災害の決定的な要因をなしていることを明らかにした社会科学書である。これによって災害科学の諸概念と対策指針が国際的に根底から変わったといわれている。災害の「素因」を自然現象に求めてしまうイデオロギー的・文化的な偏見が払拭されていない日本において、これが公的に確認されたということには一定の意味がある。また地震学・火山学をこの意味で「災害科学の一部」とするということは学術的な批判精神を内在的なものととらえる方向を示しており、社会人文科学と協力して社会的な視野のもとに災害を防止する方向にシフトするという意思表明でもあると受け止めるべきものであると思う。
 もちろん地震学・火山学にとっては理学的な予測と基礎研究が基本的な位置をもつことはいうまでもないが、従来は、地震予知とは「いつ、どこで、どの規模の地震が起こるか」を予測することだという、あまりに災害誘因の理学的予測に片寄った自己意識が一般的であった。これに対して、建議は「理学、工学、人文・社会科学の研究分野の専門知を結集して総合的かつ学際的に研究を進める災害科学においては、むしろ『前もって認知し、災害に備える』ことを幅広く捉えて『予知』という言葉を用いる方が妥当である」とし、「予知」の概念を「災害予知」(「災害の姿を予め知る」)に拡張した。従来の図式はいわゆる地震予知研究のブルー・プリントによるもので(「地震予知―現状とその推進計画」、萩原尊礼など有志グループ作成、1962年)、これが地震予知研究計画の出発や、大規模地震対策特別措置法(1978年)の前提となっていた。しかし、実際にこの文書を読めば一目瞭然のように、その視野はあまりに狭く、現実社会の脆弱性に対する見方が甘く、まさに青写真主義といわざるをえないものである。これに対して、建議は、予知という言葉を社会的な予知を含むものとして捉え直し、その立場から、歴史的・地理的・文化的な認識や社会工学、さらには防災行政の改善などを前提とする「災害の予知」という立場をとったのである。
 これは3・11の後に議論となった「予知」という言葉についての地震・火山学界の公的な回答であると考えることができるものである。地震火山列島で活動する自然科学・工学・社会人文科学の研究者たちは、この問題提起に答え、「国民の生命と暮らしを守るための災害科学の一部として推進」される「地震・火山の観測研究」に協力することを公的な責務と考えなければならないと思う。
 さて、歴史学の関係事項については、学術会議史学委員会、日本歴史学協会、日本考古学協会などの学協会、さらに人間文化研究機構や奈良文化財研究所、東北大学国際災害科学研究所、東京大学史料編纂所などの研究機関、および各地の歴史資料ネットワークなどにアンケートをお願いした。このアンケート結果をふまえて、建議は、今後10年程度をかけて、(1)歴史地震・噴火に関わる史料の収集と校訂・解釈作業を進め、(2)相対的に整備が遅れている考古データの集約を系統的に推進し、(3)史料、考古データ、地質データを体系的に整理し、近代的な観測データと対比・統合しやすいデータベースを構築するという方針を提示している。
 とくに問題となったのは考古データの蓄積であって、地震・噴火痕跡の研究調査においては地震学・地質学・考古学の共同調査の体制が調査の安定性の保証のためにも必要であることが議論された。またアンケート回答では、文献史料については地震の自然科学的復元に役立つデータのみでなく、災害史データも、この研究計画のなかで収集分析を可能とするべきだという意見が多く、その趣旨をふまえた文章が建議に記入されている。
 重要なのは建議の「計画推進のための体制の整備」の項目に「過去の地震と噴火災害の史料・考古データを蒐集、集積し、地質データとともに分析するために必要な歴史災害研究を行う組織が存在せず、研究者養成も行われていないという状況は、従来から指摘されているように大きな問題である。歴史学・考古学と地震学・火山学・地質学の間での学際研究は、これを解決する長期的な見通しをもって行われる必要がある」という文章が入ったことであろう。これは歴史地震学の研究者の従来からの声もあって、地震学・火山学の側でも歴史資料を扱える理学研究者の後継者養成ができていないことが自覚されていたことが大きい。それと同時に日本歴史学協会が「地震史料の保存利用と学際的歴史地震学の構築のために」という声明を発表し、「次代の歴史地震学研究者の養成をも視野に入れた研究組織を創設する必要」を結論としたことなどをふまえたものである。このようなセンターの設立は、社会状況からいっても実現を期待したいところであるが、文献史学・考古学・地震学・火山学・変動地形学・地質学などの研究者定員が必要であり、さらに大規模なコンピュータシステムの運用と自然科学との融合的体制が必須である。私見では、実際には現在の学術体制のなかでは自然科学研究機構と人間文化研究機構の間での学際的部門として設けるようなこと以外には無理のように思う。歴史学の研究組織のあり方の問題としても大きな問題と考えられるので、関係者に議論をお願いしたいところである。
 なお地震噴火の予知・予測を目ざす研究は、狭い意味での警告・防災体制のみに対応するものではなく、歴史的・科学的な国土認識を作りだし、それを広く共有する仕事である。これに関係して、建議には「社会との共通理解の醸成と災害教育」という項目があり、地震火山についての豊富で体系的な情報を自然科学のみでなく災害史や防災学など人文・社会科学分野の知識もふくめて提供することが強調されている。ただ、この場合の問題は、日本学術会議地球惑星科学委員会の報告「陸域‐縁辺海域における自然と人間の持続可能な共生へ向けて」(2008年6月)が、「環境・防災関連情報を理解する基礎となる地理学、地学等の教育は、学校教育においては以前より削減されており、また社会教育においても決して十分ではない」とする状況があることである。この点を解決し、小学校・中学校の段階からプレートテクトニクスの基本と列島の地震・噴火の歴史が系統的に教えられることとなれば、何よりも防災教育が深みをますことを期待してよいと思う。
 私は、小学校で歴史地震についての授業をし、太平洋プレートの沈み込みについて話したことがある。その経験では、小学生でも問題の基本は十分に理解できる。そして、地理学・地学と協力して系統的な教育が可能になるように努力すべきだと思う。これは歴史学のような「基礎をつちかう仕事」にとっては、本来、得意な仕事のはずである。それを目指して、どのような教材構成とカリキュラムが可能かを、この五年の間に検討を進める必要は高いと思う。歴史の研究と教育の間で、時代や地域ごとに研究と教育実践を蓄積し、そのなかで自然科学教育との協同を形成するためにおのおのができる形で動くべきではないだろうか。
今後五年の研究活動のために
 以上、建議の内容を私見をまじえて紹介した。確認しておきたいのは、このような形で公的な政策や要請を前提として、自然科学と歴史学が協力するという経験は、私たちにとって、おそらく始めてのことであるということである。
 この建議にもとづく観測研究計画は機関的な研究では、奈良文化財研究所、新潟大復興科学研究所、東大史料編纂所などにも予算配分が行われ、本年四月より出発している(公募研究の決定は六月)。またこの研究計画は、地震・火山噴火予知研究協議会(全国共同利用研究所としての東大地震研に事務局)が統括しているが、協議会には歴史関係委員も参加している(地震研HPによる)。なお新聞報道によると、右の組織参加機関のうち、奈文研の計画は専門スタッフを新規採用し、全国の発掘調査報告書を精査し、さらに地質や堆積物などから災害痕跡情報を集め、各地の発掘担当者に呼びかけて研究会を開催するもので、難波洋三・埋蔵文化財センター長は「考古学が何十年にもわたって蓄積してきたデータを有効活用し、国民の生命や財産を守る事業に貢献していきたい」と述べたということである。
 また、学際的な研究体制の組織に関係して、地震火山部会会長平田直氏と学術会議史学委員会委員長木村茂光氏が世話人となって、2013年11月16日、日本学術会議主催の学術フォーラム「地殻災害の軽減と学術・教育」が史学委員会、地球惑星科学委員会、地域研究委員会の共同運営で開催された。報告者と論題を列挙すると、佐竹健治(地震学、東京大学)「歴史地震・津波の研究と大地震の長期予測」、中田節也(火山学、東京大学)「低頻度大規模噴火に備えた研究のあり方」、熊木洋太(地理学、専修大学)「地殻災害軽減にむけた地理学の役割」、伊藤谷生(地質学、帝京平成大学)「地殻災害軽減の基礎を担う地質学」、平川新(歴史学・文献、東北大学災害国際科学研究所長)「地震・津波に関する歴史研究と災害科学研究のあり方」、田中広明(歴史学・考古、埼玉県埋蔵文化財調査事業団)「弘仁地震の被害と復興、そして教訓」、林春男(防災研究、京都大学)「地殻災害軽減のための防災研究の枠組み」、宮城豊彦(地理学、東北学院大学)「東日本大震災におけるハザードマップと GIS を利活用した自然地理・防災教育の実践」となる(このフォーラムの内容は学術会議の『学術の動向』誌に掲載予定)。きわめて多方面にわたる学際的な報告で、今後の学融合的な研究の可能性を実感させたが、全体の学融合のキーとなるのは、やはり防災学となるように思われた。ただ理系内部で、建議の趣旨を確認することを第一としたためもあって、法学・経済学などの社会科学の中心分野との関係が不十分であったのが残念であった。防災学をバックアップするためには、問題をそこから考えなくてはならないように思う。
 以上のような動きに対応して、本年度から五年間、地震火山の歴史学的な研究をさらに活発にし、地震学・火山学との関係を強化していくことは歴史学界にとって重要な課題であると思う。研究諸機関がもっている責任は大きい。また研究者個人に懸かる社会的な責務は、研究の地域や対象を越えたものである。たとえば、私は友人と一緒に中国史史料にあらわれる地震噴火災害の史料を蒐集・研究する作業を計画しており、できればそれを2015年8月開催の第22回国際歴史学会(中国済南)のジョイントセッション「災害史の方法と比較史」Historiography and Comparative Perspectives on Natural Disastersに反映したいと考えている。これは中国朝鮮における地殻災害について視野を広げることが地震学の強い要請であるためであるが、同時に「国」をこえた災害史の協同的な研究が必要であることも明らかである。これは一例に過ぎないが、災害史・環境史となれば、問題はあれからこれへと広がっていく。歴史学と社会の関わりは根本的な性格があり、どこからでも問題を掘り下げていけば、社会の基礎了解を再構成する力をもっていることは、この場合も確信していい。
おわりに
 委員会審議に参加したものとしては、何よりも、各地の資料ネットの活動によって、災害を予測し、それに抗して、歴史史料を保存するという歴史学の職能的な姿勢が明示されていたことが心強かった。前述のように災害史データも、この研究計画のなかで収集分析を可能としたいということになったのは、そのためである。資料ネットの活動の意味は、この間、歴史学関係者は肝に銘じてきたところであるが、それが学術世界のなかでもつ意味を別の形で実感させられた。
 もう一つは個人的な感想であるが、こういう経験を通じて専攻の時代の研究史を新しい目で見直すことができたように感じている。これは『歴史学研究』2011年10月号の拙論「地震・原発と歴史環境学」(歴史学研究会篇『震災・核災害の時代と歴史学』青木書店、2012年)でも書いたことだが、いわゆる人民闘争史研究の時期の宮原武夫・関口裕子氏の歴史学研究会古代史部会大会報告や、それと密接な関係をもって展開された河音能平氏の仕事が災害史研究にとってもつ意味を確認した。また前述のように、学術会議のフォーラムの題には「地殻災害」という用語が入った。これは峰岸純夫氏の造語で(参照、峰岸純夫「自然災害史研究の射程」『歴史学研究』2013年3月号)、地震・噴火などの地殻活動を災害誘因とする災害のことをいう。それをその他の災害類型、気象災害Meteorological Hazards, 生態災害Biological HazardsとならんでGeological Hazardsの訳語として採用しようということになり、同フォーラム冒頭の世話人挨拶で紹介があったこともうれしい経験であった。あわせて藤木久志氏の『日本中世気象災害史年表稿』(高志書院)を参照する機会がふえており、こうして、自分の研究する時代の研究史の豊富さをあらためて認識している。

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