平田篤胤のカミムスヒ論――地母神と火山


 平田篤胤のカムミムスヒについての見解は三つの特徴がある。
①まず平田はカムミムスヒを女神とみた。現在の通説は戦後の神話学を代表する溝口睦子と同じく戦後の神道史学を代表する西宮一民の見解であって、二人はともにタカミムスヒとカムミムスヒは無性で一体の隠身の神であるという本居宣長の見解をとっている。そうではなくカムミムスヒは女神であるという見解も存在はするが、その場合もほとんどは平田の見解は無視されてきた。しかし平田のカムミムスヒ論は説得的なもので、それは第一に平田が「ムス=生成」説のみでなく、本居には「ムス=子を産む霊異」という第二説があることに注目し、「ムス」神は性をもっている以上、タカミムスヒは男神であり、カムミムスヒは女神であるとしたことである。第二は『古語拾遺』がタカムミムスヒを翁神の神漏伎命にあて、カムミムスヒを姥神の神漏弥命にあてていることである。これについては白江恒夫が、カムロキ・カムロミ二神の地位は少なくとも形式としてはタカムミムスヒとカムミムスヒ二神の地位にほぼ対応するとしたことは第一章で紹介した(「『皇睦神漏伎命・神漏弥命』考」同『祭祀の言語』)。第三は『古事記』における五例のカムミムスヒの神名表記のうち、三例が「神産巣日御祖命」となっており、「御祖」は母を意味するということである。これは語義論に関わるが、これは松村武雄の『日本神話の研究』第四巻において再確認されている。
②次に、平田はムスヒの語義を「産霊=蒸霊=蒸火」であるとみた。とくに問題になるのは最後の「蒸火」説であるが、それは『新撰字鏡』の「豚肫をもって司命を祀る也。 宇牟須比万豆利(ウムスヒマツリ)」という項目に注目して引き出されたもので、平田は、まず「ウムスヒマツリ」の「ムスヒ」は本来ウムスという言葉であり、ウムスには出産するという意味のウムと、文字通り火や熱による「ムス=蒸す」の意味があるとした。そして「ヒ」は霊であって、物の霊異なるをいうが、それは火であるという。つまり、ムスヒとは「産む霊」であり、「蒸す霊」であり、「蒸す火」である。そしてこういう「産霊=蒸霊=蒸火」の祭は「豚肫をもって司命を祀る」ものであるが、「豚(イノコ)」を犠牲獣に備える祭は日本にはないが、殺牛祭神は日本でも行われたとした。ようするに、平田はウムスヒマツリとは豚を焼いて神に供する「産霊=蒸霊=蒸火」の祭であると論じたのである。これは、豚を火で焼くというのであるから、カムミムスヒを竈神であるという中村啓信の見解にほとんど近づいている。もちろん平田の見解は短く舌足らずで断片的なものであるが、少なくとも、中村はこの平田を参考にしてカムミムスヒ竈神論を展開したのである。
③さらに、決定的なことは平田がムスヒ神をイサナ神と類似した神格、ほとんど同じ神格とみる立場をとっていたことである。そして平田はイサナミを御富登(女性性器)の神、さらに火山火口の神とみていた。これをカムミムスヒは「産霊=蒸霊=蒸火」であるという見解と結びつければ、イメージとしてはカムミムスヒは火山の女神だ、あるいはさらに一般化すれば地母神だということになっていく。もちろん、平田はそこまでは論じていないが、平田のカムミムスヒについての断片的な指摘が、もし『古史伝』に残されている平田の火山史料研究と結びついていけば、その研究の稔りは約束されていたように思われる。
 私の課題は、この平田の見解、そしてそれを敷衍した中村の見解を受けついで、カムミムスヒが竈神であり、さらに火山の女神、地母神であることを論証することにあり、それに付随して神話時代における竈の呪術を概観することにある。

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