松村武雄『日本神話の研究』の意義

2019-01-19


 松村の『日本神話の研究』は地震神話研究の必要がでたときに購入した。購入して良かったが、こういう古典本は本はやはり政府の出版援助で買えるようにしておいてもらうと同時に、全文データベースにして、そこで自由に検索ができ、そしてPDFに飛べるといいと思う。
 
 日本はたとえ間違った解釈であったとしても「神話」を掲げて戦争をしたのだから、それを考えるための古典くらいは大事にしてもバチはあたらないと思う。バチ当たりな政治家、伝統などというのは口だけの「低劣」な存在には無理な話だが。
(「低劣」というのは、松村が使った戦争を推進した官権への罵りです。穏和な神話学者とおもっていたものが驚いた)。

神話学の松村武雄は、第二次大戦の敗戦直後、一九四七年に名著『日本神話の実相』を刊行して日本を戦争に導いてきた国家が神話を政治利用してきたことを正面から批判した。松村は、戦争中の「官権」は、(1)皇祖神アマテラス、(2)皇祖と国土の一体性、(3)アマテラスの詔命による天皇の統治権限、(4)皇統は尊厳にして永遠などの観念のみを神話として扱ったという。しかし、松村によれば、これは「天皇氏観想」のレヴェルでの神話であって、倭国神話においては二次的(後次的)なものにすぎない。問題は、それより根源的・一次的な神話、本来の民族生活から生み出された神話を明らかにし、考説することにあるのであるが、国家は、「天皇氏観想」レヴェルの神話のみを国民的信念として広めることに狂奔し、それ以外のことをいう神話学者を些細な語句をあげつらって「不忠者・非国民」呼ばわりをしたという。松村が、そのような官権の低劣・無知を、極めて厳しい筆致で非難するのは、そのような国定神話が「我が国民に空前にして恐らく絶後である惨敗の苦杯を満喫せしめた」という苦い事実を神話を研究するものとして認めざるをえなかったためであろう。


 松村のこのような立論は津田の議論に対して、一面賛成、一面では反対ということになる。つまり、松村は「天皇氏観想」レヴェルの神話が朝廷などの「ある特定の少数者の意識的工夫」によって作られたことを認める点で津田と同じ立場に立つことを明言する。しかし、その上で松村は神話は「古代人が我々に残した見事な生活報告書であり、文化記録である」のであって、そこには「(祖先のもった)民族的もしくは国民的理念・理想」も読み取ることができ、そのような神話の真正な姿・意義、つまり一次的あるいは根源的な神話を明らかにしなければならないという。この津田批判は正しく、たしかに津田の学問方法は基本的に文献学であって、神話学的な思考方法はきわめて未熟であったというほかないだろう。


 松村は、このような立場に立って、大著『日本神話の研究』(一巻~四巻)を出版して、戦後における倭国神話研究の基礎を作った。松村がそこで強調したのが、倭国神話における「宇宙生成神話」の実在である。これは「天皇氏観想」の神話よりも奥底にある自然神話ということになるが、松村は倭国神話における宇宙生成神話の位置を論じて、まず「ここでは宇宙創成論は、一面においては漢土の典籍からの単なる借物であり、他面においては自生的ではあるが、太だしく簡単な神名の列挙に過ぎぬ」(『日本神話の研究』巻一①136)ことは津田の言う通りであるとする。しかし、それは「政治的に一つの中心を確立しようとする精神、もしくは該精神の下に活動したとされる神々(それは天皇氏の祖先に他ならぬ)の人物的事業を説く神話」のために「自ずからなる淪匿を強いられた」結果であるという。つまり、宇宙生成神話は「淪匿」されているのであり、それ故に、逆にいえば『古事記』『日本書紀』のなかに隠されている、より一次的・根源的な「宇宙生成神話」を発掘し、明らかにすることこそが神話学の課題であるというのである。これは津田に対する肯定と批判の二面がそのまま展開されたものといってよい。


 松村は、『日本神話の研究』において、それを前提に倭国の古典神話のなかに残る自然神話の痕跡を詳しく指摘していく。そのなかでもっとも重要なのは、津田がイザナキ・イザナミの「ミトの婚合」による列島の産出を、「土地の起源が人の生殖として語られたことは世界に類例がない」として、これは神話編者による「(中国的)潤色」であるとしたことへの異論であろう(松村武雄『日本神話の研究』(1)第三章国生神話)*3。松村は、第二次大戦直後の知識人世界のなかで、この津田の指摘が自明なことのように扱われているのに対して、神話学の方法においては国生は言葉通り女神が国を生んだことと理解しなければならないとして、(フランス領ポリネシア)のソサイェティ諸島やマルケサス諸島の神話でも太初に神が島々を生んだことを例示した。さらに国生に続く神生神話においてイザナミが火の神カグツチを生んでホトに火傷を負って死去したことは、イザナミのホトが火山火口であったことを示すとしたのである。神話学の大林太良は、それを引き継いで出産によって国や島が生まれるというスタイルの神話は、太平洋地域に広く分布していることを示している。その意味では松村が、この国生の理解において「端的直截に国々そのもの島々そのものを生みましたとして受け取るのが却って古き代の日本民族の観想思考に忠実に即する所以であろう」というのは正しいのである。


 しかし、疑問があるのは、松村が、これらの「国生・島生」を「正真正銘の生理的な島生み」とまでいうことである。つまりイザナミにそくしていえば、彼女は「国生」において「生理的な島生み」をし、神生みにおいてカグツチの出産の時にのみ、自己のホトを火口としたということになる。ポリネシアには火山が多いことはいうまでもないから、これは「国生・島生」を火山神話の表現であるとすれば首尾一貫して問題をとらえることが可能になるはずである。松村は大著『古代希臘に於ける宗教的葛藤』では、ギリシャの火山神話についても充実した仕事をしているから、なぜ、そう考えなかったかについては不思議に思える。これは第一にはおそらく当時の神話学研究においてはいわゆる自然神話学説は低調となり、火山神話という神話類型が不明確であったためであろうか。松村が小川啄治の大己貴(大国主)に地震神としての性格を想定する見解に対して拒否反応に近い態度をみせていることからしても、そのように考えられるように思う。これは「宇宙生成神話」を強調する松村の議論における大きな齟齬であるようにみえる。


 そして、もう一つ無視できないのは、松村が「国生・島生」を「正真正銘の生理的な島生み」とまでいう意味が「古き代の日本民族には『むすび』(産霊)の観念・信仰が普遍的であり且つ強烈であった。国生神話の如きも、そうした観念・信仰が迫出した一種の生殖説話であると解してもいいであろう」という点にあったことである。ここで松村は本居→平田→折口に続く産霊神学の議論にそのまま乗っかっているのである。倭国神話の研究史において松村の仕事は決定的な意味をもっているのであるが、その発想がしばしば柳田国男ー折口信夫の日本民俗学に依拠している。とくに折口の発想の鋭さに対して、松村はしばしば讃辞に近いことを述べている。私は、結局、これが「産霊」という概念に松村が乗っかってしまった理由であると思う。産霊という概念を認め、その概念にそってタカミムスヒを理解するという点で、松村は津田と同じであったことになる。


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