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本物の教育改革が始まった!

時は平成から令和へ。

新しい時代に入ろうとしている今、教育界が大きく変わるかもしれないという朗報が舞い込んだ。

宿題をなくし、担任制をなくし、
中間テスト・期末テストを廃止したら、
生徒の学力が上がった!

というすごい話が今巷で話題になっている。常日頃から、学校の宿題が子どもたちの学力の低下を招いていると感じていた(なぜなのかはまた別の機会に)ので、このニュースには心底驚いた。

ただ恥ずかしながら、このことを知ったのは数日前。

さっそく本を購入して、読んだ。

このような非常識ともいえる学校改革を断行したのだから、てっきり私立の学校かと思ったら、公立中だという。しかもその改革を行った校長先生は外部から招かれたいわゆる「民間人校長」ではない。これまでずっと地道に学校現場で教員をされ、教育委員会を経て、校長先生になられた方だ。
もう驚きというか、晴天の霹靂というか、ナントイウカ、どんなことばを使ってもこの驚きを言い表すことができない。

正直これまで学校教育に期待していなかった。まっとうな教育改革は文科省の制度改革で実現できるものではなく、現場で各自教育に携わっている者が教育・教科学習のあり方を研究し、そこから得たものを地道に草の根的に広めるしかないと思っていた。
が、しかし、この本の登場によって、状況は一変した。
これからの学校に対する期待度、大幅アップである。

本のタイトルは

『学校の「当たり前」をやめた。』

サブタイトルは

生徒も教師も変わる!公立名門中学校長の改革

著者は

千代田区立麹町中学校長 工藤勇一

本の帯には、我が目を疑う文言がずらり。

宿題は必要ない。
クラス担任は廃止。
中間・期末テストも廃止。

す、すばらしい!

帯の裏側にも

何も考えずに「当たり前」ばかりをやっている学校教育が、
自分の頭で考えずに、
何でも人のせいにする大人をつくる。

これなどは現在の教育が抱えている最も深刻な問題だ。まことに鋭い指摘である。この現状を認識するところから、あらゆる教育論議はスタートしなくてはならない。教育が人を作り、人が社会を作るのだから。

カバーの内側には

「みんな仲良く」と教室に掲げても、
子どもたちは仲良くなりません。
他者意識のない作文、目的意識のない行事
すべて、やめませんか。

これほど強烈でドラスティックな改革がかつてあっただろうか。
いわゆる教育的常識の世界からみれば、とんでもなく非常識な改革だ。とてもではないが、このような改革を容認できない現場の先生方はたくさんいらしゃるのではなかろうか。
しかし、この改革の結果、生徒たちの学力は向上し高校入試の実績も上がっているのだから、この事実の前におおかたの反論は沈黙せざるを得ない。

アマゾンの書評レビューでは、この学校は名門中(この地域では「麹町中→日比谷高校→東大」というエリートコース的な流れがあるという)で特殊な環境だからこのような改革ができたのであって、ふつうの中学校では無理だ(そもそもやりもしないで頭から無理だという考えはもうやめにしよう)という、学校の先生のコメントがあったが、逆である(と思う)。

荒れた学校であれば、なんとか現状を変えなければいけないと、このような思い切った改革は行われたとしても、そこまで切羽詰まっていたのなら仕方ないとまわりも協力してくれるかもしれない。

だが、名門中学校にあって、このような改革はふつうはありえない。現状のままでうまくいっているのだから、何をいまさら変な改革をするのだ。それは売名行為ではないかと罵られる可能性だってある。
だから、この改革のプランを知らされたときのまわりの人たちの反応は当初いっせいに「え~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!」でしかなかっただろう。かなりの抵抗があったのではないかと容易に想像できる。

今こうしてこの改革が実現できている背景には工藤校長の粘り強い説得力、人徳の高さなどが考えられるが、ふつうはこのような奇抜すぎるアイデアを周囲に納得させるのはほぼ不可能だ。

これまで教育改革といえば、カリキュラムの量にばかり焦点が当たり、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」の間を振り子のようにいったりきたりしていた。
その振り子運動を外側から冷ややかに見るしかなかった。

教育の問題点はそこではない。別のところにある。
いつもそう思っていた。

この前もうちの塾生がもらした。「学校で行う頭髪検査の意味がわからない」と。毎年この手の話は何度も繰り返される。耳に少し髪の毛が接触しただけで、職員室に呼ばれて怒られ髪の毛を切られるといった話もあるらしい。これなどはもう立派な人権問題・パワハラなのではないかと思うのだが、学校内部という、世間から隔絶された空間の中では、正当な教育指導とみなされる。
おいおいどうしてそんなどうでもいいところに一生懸命になるのか。他にしなくてはいけないことはたくさんあるだろうと思ってしまうが、おそらく1980年代に吹き荒れた校内暴力のトラウマがそうさせているのかもしれない。

ちなみにこの学校改革の中でも

「服装頭髪指導は行わない」                    P3

とある。ことごとく徹底的にかゆいところに手が届く学校改革になっているのだ。

このたびの学校改革にあたって、工藤校長のぶれない視点がある。

 学校は子どもたちが、「社会の中でよりよく生きていけるようにする」ためにあると私は考えます。
 そのためには、子どもたちには「自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質」すなわち「自律」する力を身に付けさせていく必要があります。
 社会がますます目まぐるしく変化する今だからこそ、私はこの「教育の原点」に立ち返らないといけないと考えています。
                                  P6

私はこれまで塾屋の立場で、生徒の学力をあげることを真剣に考えてきたが、学校が障害になっていることをたびたび感じてきた(私だけではないだろう)。

たとえば、数学のワーク。ほとんどの場合、答を直接書き込んで提出しなくてはいけない(私が中学生のときはワークの提出はなかった。いつからなのだろう。このようなシステムになったのは)。このやり方だと2回目以降の問題が解けなくなるから、答をノートに書いて提出してもいいかどうか学校の先生に交渉にいくように塾生に勧めることがしばしばある。だが、ほとんどの場合、だめだったと生徒はうなだれて戻ってくる。理由は「あなただけ特別扱いするわけにはいかない」である(本当の理由(本音)は「採点しづらくなる」だろう)。理由になっていないではないかと憤慨しても、決められたことをしなければ内申書が悪くなり入試に不利になるため、理不尽なことであっても従わざるをえないという現実がある。これはほんの一例で、このようなことが他にもいっぱいあるのだ。塾屋である私はこの点に関してはかなり前からあきらめていた。

それが、このたびの学校改革である。日頃、学校に対して感じていた問題点に真正面から切り込んでくれたのが、工藤校長だ。

喝采を送らざるを得ない。
ありがとうと何度感謝してもしたりない気持ちでいっぱいである。

現在、TV・ラジオ・雑誌など多数のメディアに取り上げられていると聞く。

また、全国からも教育関係者が視察に来ているらしい。NHKがそのことを報じている。

“学校の当たり前” を見直す工藤さんの改革に、いま、全国から視察が相次いでいます。

今調べてみると、政治家も。

文部科学省の大臣も。

次のサイトはボリュームたっぷり。どうかじっくりお読みいただきたい。

工藤校長の学校改革の要約にもなるので、ここで記事を列挙してみよう。
※それぞれの項目にリンクを貼っているので、どの記事もすぐに読めます。
第1回:「話を聞きなさい」なんて指導は本当は間違っている
第2回:対立は悪じゃない、無理に仲良くしなくたっていい
第3回:先生たちとはもう、校則の話をするのはやめよう
第4回:教育委員会の都合は最後に考えよう
第5回:着任4カ月で200の課題を洗い出した改革者の横顔
第6回:“常識破り”のトップが慣例重視の現場に与えた衝撃
第7回:親の言うことばかり聞く子どもには危機感を持ったほうがいい
第8回:保護者も学校を変えられる。麹町中の「もうひとつの改革」
第9回:社会に出たら、何もかも指示されるなんてことはない
第10回:人の心なんて教育できるものではない(木村泰子氏×工藤勇一氏)
第11回:「組織の中で我慢しなさい」という教育はもういらない(青野慶久氏×工藤勇一氏)
第12回:「定期テスト廃止」で成績が伸びる理由
第13回:麹町中学はなぜ、「固定担任制」を廃止したのか
第14回:修学旅行を変えたら、大人顔負けの「企画とプレゼン」が生まれた
第15回:「頑張る」じゃないんだよ。できるかできないか、はっきり言ってよ​
第16回:誰かと自分を比べる必要なんてない(澤円氏×工藤勇一氏)

調べると他にもいろいろなところで扱われている。
まだまだ出てきそうだ。

あとは、この輪がどんどん広がり、実際にこのような前向きな改革が日本全国の学校で行われるのを祈るばかり。

何よりも子どもたちが救われる。

子どもたちの考える力もつき、学力は向上し、精神的にもゆとりができるので、いじめも格段に少なくなるだろうし、いいことずくめである。

今、はっきりと確信している。

令和時代、日本の教育の未来は明るい!

私も頑張るとしよう!

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