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熱望、サイレントサウナ

「サウナは社交場」ーーだけれども。

「サウナは社交場」と人は言う。昭和の頃はビジネスマンがサウナで商談、といった光景がよく見られたそうだ。サウナで裸の付き合い、裸でおしゃべり。そういうのもいいだろう。

令和ーーコロナ禍の現在、感染対策としてサウナ内では「黙蒸」が推奨されている。昭和の社交場サウナを愛しておられる方は、現状にさぞご不満だろう。お察し申し上げる。

しかしコロナ禍以降にサウナの良さに気づいてしまった私にとっては、今の「黙蒸」の状態は非常にありがたい。

私がサウナに求めているのは、パソコンから離れスマホを手放し、情報過多の世界から遮断される場。ひとりで黙って考え事をする場。誰とも話さず、ただぼーっとする場。ひたすら汗をかいて、フィジカル面からストレスを発散する場。

誰かと話したくてサウナに入っているわけではない。人のおしゃべりなどもできれば聞きたくない。だから人と連れだっては行かないし、サウナ内のテレビも不要派だ。

同じ空間に誰かがいてももちろん構わない。が、「静寂」は保ってほしい。みんながいる。でもひとりになれる。そういう場をサウナに求めている。

みんなが、しずかに、それぞれに

どうなる、アフターコロナのサウナ

あるサウナ番組で出演者が「昔みたいに、サウナでおしゃべりできる日が早く戻ってくるといいね」と言っていた。

ふと、コロナが収束して、サウナ内も元のようにおしゃべりし放題になったらーーーと想像して、申し訳ないが「うわっ」と思った。正直、ぞっとした。

あの狭い空間で、赤の他人の愚痴や噂話、無関係の話を聞かされるのか。蒸されている10分間、聞きたくもない話を、密室で、ほぼ無理矢理聞かされるというのは、かなりのストレスだ。ストレス解消しようとお金を払ってサウナに来ているのに、どうしてストレスを増やさなければならないのか。

サウナでのおしゃべりが解禁になったら、おそらく私は、そういったサウナへ行かないだろう。サウナに行きたければ、「引き続き黙蒸を推奨するサウナ」「ソロサウナ」を探して足を運ぶ。多少高くても、遠くても、そうすると思う。

提案「サイレントタイム」

社交場としてのサウナを否定するつもりは毛頭ない。サウナでのおしゃべりが好きな人は、それが許されている施設で、心ゆくまでお話に花を咲かせると良い。

私のような考えの持ち主は、往年のサウナを愛している人に叱られるだろう。「だったら来んな」と言われても仕方ない。「はい、もう来ません」と答えるしかない。求めるものが違うのだから当然だ。

サウナが「社交場」だからといって、おしゃべり好きな人たちばかりではない。私のように「みんないていい。でも静かに過ごしたい」という人も、きっといるはずだ。

先日ネットを見ていたら「サウナ内で会話をしたら即退場」という施設を発見した。ということは、「黙蒸」「サイレントサウナ(即興で名付けた)」は、私以外にもニーズがあるのだ。ちょっとうれしくなった。

もしサウナ業界の方がこのnoteをご覧になっていたら「黙蒸の継続」をぜひご検討いただきたい。そこまでゆかずとも、時間を区切って会話をNGにする「サイレントタイム」の導入はいかがだろう。
もしくは高熱にも耐えられる、サウナ用耳栓があってもいい。

隠れたニーズは結構あるはずだ。

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