共通テスト2023の撰銭令の問題について

共通テスト2023年の撰銭令に関する史料問題の正答率が極端に低かったらしい。史学科出身者は「書いてある通りのことしか聞いてないじゃん」と思い、受験生(と一部業界人)は「そんなこと書いてないじゃん」「知識ゲーじゃないか」と思ってしまう、このギャップは何故生まれるのか。今後の史料問題対策を考える意味でも、簡単に整理してみよう。

史料文の確認

問題文中で提示された史料1・2の典拠を確認しよう。史料1は室町幕府の追加法で、『中世法制史料集 第二巻 室町幕府法』の追加法第320条が該当する。この法令は「蜷川家文書」にも収録されており、史料編纂所データベースで翻刻を閲覧することができる(リンク先参照)。『中世法制史料集』の翻刻は以下の通り。

一、商売輩以下撰銭事 〈明応九・十〉
近年恣撰銭之段、太不可然、所詮①於日本新鋳料足者、堅可撰之②至根本渡唐銭〈永楽・洪武・宣徳〉等者、向後可取渡之〈但如自余之銭可相交〉、若有違背之族者、速可被処厳科矣、     松田丹後守長秀

『中世法制史料集 第二巻 室町幕府法』(第七刷)105頁

①の「日本新鋳料足」は私鋳銭を指し、「国内で模造された私鋳銭については、これを『撰』びなさい」という意味になる。撰銭は「売買や納税などで銭を受け渡しするときに、特定の銭を排除したり、受け取りを拒む行為」(高木久史『撰銭とビタ一文の戦国史』平凡社、2018、73頁)であるから、『撰』とは私鋳銭の受取り拒否を意味する。

一方、②では「向後可取渡之」(今後は永楽銭・洪武銭・宣徳銭を受取りなさい)と述べている。中国渡来の明銭については、撰銭の対象としてはならないということである。

以上より、国内産の私鋳銭は撰銭(受取りを拒否する)対象とするが、中国渡来の永楽銭・洪武銭・宣徳銭の撰銭は禁止する(受取りを強制する)という内容を読み取れる。

次に史料2を確認しよう。翻刻は『中世法制史料集 第三巻 武家家法Ⅰ』による。3ヶ条からなる法文の内、出題された箇所は②の箇所である。

禁制
①一、銭をえらふ事
段銭の事ハ、わうこ〔往古〕の例たる上ハ、えらふへき事、もちろんたりといへとも、地下仁ゆうめんの儀として、百文に、永楽、宣徳の間廿文あてくハへて、可収納也、

②一、り銭幷はいはい銭事
上下大小をいはず、ゑいらく、せんとくにおいてハ、えらふへからす、さかひ銭とこうふ銭〈なわ切の事也〉、うちひらめ〔打平〕、此三いろをはえらふへし、但、如此相定らるるとて、永楽、せんとくはかりを用へからす、百文の内ニ、ゑいらく、せんとくを卅文くハへて、つかふへし、


③一、米をうりかふにふたうをかまふる事、
役人判形のますにとかき〔斗概〕をいかにも正直にあてて、うりかふへきところに、てをそへて、くりはかりにてうるによりて、諸人しうそ〔愁訴〕在之、所詮京都はうやう〔法様〕のことく、時によりて一日のうちたりといふとも、そうけんハあるへし、たとへは、今日まては百文に一斗充たりといふとも、はいはいの米方々より出さらん時ハ、役所へ案内をへて、わし〔和市〕をけんすへし、

右事かきのことく、米をうりかい銭を用へし、若此制札前をそむくともからあらハ、けんもん其外諸人被官たりといふとも、可被処重科者也、
  文明十七年四月十五日  (以下署名省略)

『中世法制史料集 第三巻 武家家法Ⅰ』(第一刷)58-59頁

史料2については、川戸貴史『戦国大名の経済学』(講談社、2020)に1・2条目の現代語訳があるので以下に引用する。

①銭を撰ぶ事
段銭の事は、長年そうしてきたように、撰銭して納めることは当然であるが、納税者への宥免策として、銭一〇〇文のうち永楽通宝・宣徳通宝を最大二〇文まで加えて納めてもよいことにした。
②貸借や売買に使う銭の事
身分の上下や年齢を問わず、永楽通宝・宣徳通宝は撰銭して排除してはならない。「さかひ銭」・洪武通宝(「なわ切」)・「うちひらめ(打平)」の三種は撰銭して排除してもよい。ただし、このように定めたからといって、永楽通宝・宣徳通宝のみで支払いをしてはならない。銭一〇〇文の内に、永楽通宝・宣徳通宝を三〇文入れて使いなさい。

川戸貴史『戦国大名の経済学』講談社、2020、215-216頁

史料2では、永楽通宝・宣徳通宝が撰銭対象から除外され、「さかひ銭」・洪武通宝(「なわ切」)・「うちひらめ(打平)」の三種の受取り拒否を定めている。

法制史料の読み方

次に、法制史料を読む時の一般的な心構えについて整理しよう。たとえば、「夫婦喧嘩によって夫が追い出され、その後妻が元夫に連絡なく(しかもその裏で「離縁された」と虚偽の申し立てをして)再婚してしまった場合、まだ妻に愛情を持っていた元夫が元妻の再婚に異議申し立てをした場合」について、個別に法を制定する人がいるか考えてみよう。
多分、そんな奴はいないと考えるだろう。なぜなら、法律とはそんな個別の特殊ケースに対して制定するものではなく、抽象的・一般的な状況を想定して制定するものだからだ。

だが残念ながら、先程挙げた事例は伊達稙宗の「塵芥集」167条として実在する(詳細は桜井英治・清水克行『戦国法の読み方』高志書院、2014を参照)。中世の法制定者は、個別事例に対して心覚え的に(いわば「判例」的に)法を制定する場合があった。
「法」という言葉は色々な意味を含むが、こうした場面にふさわしいのは「法律」よりむしろ「方法」の意味だろう。「こういうやり方もアリ」「この時はこう判断した」という感覚で稙宗は法文を書いたと見るのが適切で、「今後も夫婦喧嘩によって夫が追い出され(以下略)の事案が起きるだろうからそれに備えておこう」と考えた訳ではないだろう。

このように、個別の状況を判断した際の先例プールとして法を定める側面があった一方で、史料1・2のように現状を変更するための法も存在した。

思い出してほしい。小学校で「みんな仲良く」という標語が掲げられているということは、実際にはそうでないという現状認識が(少なくとも教員側に)あるはずだ。なぜなら現にみんなが仲良しという状況で、殊更にそんなことを強調する必要がないからだ。
同様に、官人の無遅刻無欠勤が当たり前の世界だったならば、「この時間までに来ない奴は処罰するぞ」などと言わなくて良いはずだ(細井浩志「平安貴族の遅刻について―摂関期を中心に―」『時間学研究』4号、2011虎尾達哉『古代日本の官僚 天皇に仕えた怠惰な面々』中央公論新社、2021など参照)。

今回の史料1・2も同様の筋で解釈するべきで、現に撰銭がなされている(より正確には、各人がそれぞれ独自の基準に基づいて撰銭をしている)状況に対して、権力の側が撰銭の基準となるラインを定めたと解釈するべきだろう。
そうした史料の背景事情を考えさせるような授業をするためには、たとえば史料2の最後に出てくる永楽通宝・宣徳通宝の混入比率と直前の法文に出てくる段銭納入時の永楽通宝・宣徳通宝の混入比率の差異に注目したりすると良いのかもしれない。他家(浅井氏・織田氏など)の撰銭令とその適用実態を検討させるのも良いだろう。




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