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見ず知らずの人に100万円もらって湯水のように使ってしまった話

帰宅するとポストに郵便局の封筒が届いていた。
数年前の、陽が落ちればまだ涼しさの感じられる初夏の夜のことだ。
押印から不在票の類だということは察したが見慣れた物とは少々様子が違う。

いわゆる長形3号封筒には割と汚めの殴り書きで私の名前と〈本人限定郵便物到着のお知らせ〉という赤字の判。
更にその下に〈転送不要〉と念押しがされていて、何やら随分と仰々しいモノが届いていることに不安を覚えた。

胸がざわざわする。
薄暗いリビングで電気も点けずに開封すると、A4用紙が2枚。

何てことはない、封筒に書いてある通り本人限定郵便が届いた旨とその受け取り方法が2枚に渡りご丁寧に解説してあった。
封を開けて新たに得られた情報はたった一つ、差出人が司法書士ということだけだった。

今までの人生で私個人が士業の人間にお世話になったことなどない。
胸騒ぎはおさまるどころか一回り大きな動悸となって私の中に留まり続けた。

支払ったつもりでうっかり放置してしまった買い物があっただろうか。
借金の督促。
それ以外にこんなもの受け取る理由を知らなかったのだ。

本人限定郵便とやらの受け取りはなかなか面倒だった。
営業終了間際の窓口に問い合わせたところ〈住所・氏名・電話番号〉の他に免許証番号まで尋ねられ、更に再配達の場合は本人がその免許証の提示をしなければならないと言うのだ。
代理人では不可だというのだから、平日の日中働いている者はどう受け取るのだろう。

その手紙の持つ不気味な圧力にいてもたってもいられなくなった私は、突如舞い込んできた不幸の手紙を翌朝一番で受け取りに行くことを決めて溜息をついた。



その夜、私は浮かない顔にブタのマスクを被り、ピンクに全塗装した趣味の悪いバイクにまたがっていた。
もちろん、現実世界の話ではない。
当時夢中になっていたオンラインゲーム内での出来事である。
アメリカの架空の都市を舞台にしたアクションゲームで、全世界で出荷本数1億本を超える人気ゲームに私ももれなく没頭していた。

ログインしてオンラインになっている仲間を確認するとすぐにチャットルームを立ち上げ、夜な夜な10名前後の仲間とイヤホンマイクで喋りながらプレイをする。
既に1年近く続いている習慣であった。

その日はクルーメンバーの作ったコースを使ってバイクレースを楽しんだ。
合計で5レースが行われたが5レースとも最下位は私で、それがまた仲間の笑いを誘ったし、あまりの歯の立たなさに私自身も笑っていた。
終始賑やかなチャットを聞いている限り、マイクの向こう側の私の神妙な面持ちに気付いている者など一人もいなかった。


******


朝食もまともに喉を通らず、結局いつもより2時間も早く家を出て1駅先の本局に向かった。
曇った表情で窓口の女性に必要な提示物をすべて差し出す。

厳重なチェックののち手渡されたのは皮肉にもまた同サイズの長封筒で、そのまわりくどい封書交換の儀式に思わず苦笑する。
本人限定受取の他に配達証明がついて郵送料は922円。
私本人が受け取ったことを確実に把握するためにそれなりの経費をかけてくる相手の執念が垣間見え、少しだけ背筋に冷たさを感じる。

借金の催促の手紙をその場で読むのはさすがにはばかられたが、かといってどこか座れる店舗を探す精神的余裕もなく、よりによって郵便局の自動ドアを出たタイミングで封の隙間に指をねじ込むとほじくるようにこじ開けた。

4枚のコピー用箋、うち外側の2枚は白紙だ。
残り2枚に何かが語られている。
たった4枚の薄い紙の束が指の動揺に反応してがさがさと騒いだ。

〈下瀬ミチル様ー〉

間違いなく私の名前が記してあった。
気持ち大きめの明朝体がA4用紙いっぱいに整列する。

〈突然のお手紙で驚かれたかもしれません。ご無礼をどうかお許しください。〉

…無礼をしたのはどうやら私ではないようだ、それだけでも顔のパーツを中心に集めていた筋肉が緩む。
想像を超えて礼儀正しく、腰の低い差出人。
解散していきそうになる緊張感をもう一度呼び戻して読み進めると、事態は思ってもみない方向へと展開する。

〈祖母にあたるY様の死去に伴い、A氏、B氏、そしてミチル様に相続が発生しております。〉

私は首をひねったまましばらくその場を動けなかった。
A氏、B氏どころか、私の祖母だというYという女性すらまったく聞いたことのない名前だったからだ。
何かの間違いだろう、そう直感し1枚目の後半をほとんど読まずに用紙をめくる。
2枚目にはパソコンで作成された簡易的な家系図が示されていた。
横書きで左側から私の祖母だという、Y氏。
右に進むにつれ枝分かれした先に、本当に私の名前があった。



私の父方の祖父が少しだけ有名な人物だったことは母から聞いていた。
とある職業で財を成し、晩年は俳優へ転身し黒沢映画に端役で出演している。

父と母は私が幼い頃に離婚しているから、私は父の顔を知らない。
今回の知らせでまず最初に頭に浮かんだことが『ああ、私の父はもう死んでいたのか』ということだった。
十数年前、修学旅行でパスポートを取得したときには生きていたのに。
私にとって父の存在は当時の戸籍謄本に載った活字と、今手元にある手紙の印字、どこまでいっても紙1枚のペラペラとした概念だった。

そんな父と比べるとはるかに祖父は実在していた。
俳優に転身する前の職業で成功を収めた祖父はウィキペディアに載っている。
写真1枚残っていない私の父親と比べたら、真偽不明のウィキペディアでも存在の証明としては充分だった。
私の中で、私と祖父を繋ぐ中継点として、かろうじて私の父は存在していた。



母は派手な暮らしをしていた当時の祖父家に嫁いだという。

『綺麗な後妻がいてね、えらく性格が悪かった。結局1度しか会うことはなかったよ』
『あんたの父親は親が離婚した時に父方に引き取られたから、別れた母親には二度と会えなかったんだって。
 お母さんに会いたい会いたいってよく言ってたわ』

様々なエピソードの断片を思い出し、ぼんやりとした輪郭を描いてみる。
私の祖母(Y氏)は祖父(X氏)に離縁され身体一つで追い出された後、新しい夫(Z氏)と新たに家庭を築き、子供を授かっていた。
それがA氏とB氏。
私の父から見ると異父兄弟で、私から見ると二人は叔父にあたる。
本来は祖母(Y氏)の実子にあたるA氏・B氏・私の父に相続の権利があったが、父は既に死亡していて子である私に権利が発生した。
私には弟と妹がいるが彼らもまた私にとって異父兄弟で、今回の相続の権利はない。

胸のざわつきが少し収まったところで私は徐々に駅に向かって歩き始めた。
…A氏とB氏は自分の母親(Y氏)の離婚歴を知っていたのだろうか。
大正後期生まれの女性が離婚後に再婚をするということが一般に受け入れられた時代だったのだろうか。
役所の人は私の存在を見つけるまで時間がかかったろうな。
それとも2分に1組が離婚する今のご時世、こんなこと慣れっこなんだろうか。
いくつもの質問が風船のように浮かんでは私の脳内の天井を撫でるようにフワフワと飛んでいた。



その日一日、誰にも相談できぬままうわの空で仕事を終えた。
金の話だ、相手を選ぶ。
そもそも私に友と呼べる人間はいない。
オンラインゲーム上に集まる仲間は『フレンド』という括りではあったが、それはあくまでシステム上の名称だということくらい私でもわかる。
何より彼らの殆どがハタチそこそこで毎夜遊び歩くこともせず定額でゲームを楽しむ、決して豊かとはいえない若者の集まりだ。
金銭絡みの話題を持ち出すことは賢い判断とは思えなかった。



読み飛ばした手紙の後半には遺産のざっくりとした内容と、3週間以内に連絡がなければ遺産分割協議書を送る、といったことが書かれていた。
Y氏の遺産は、現在B氏一家が住んでいるという東京都内の持ち家と少しの株式、僅かな預貯金。
相手側の思惑こそ量りかねるが、奥歯に物が挟まったような歯切れの悪さだった。
最低回数のやりとりで終わらせることは重要としていないのかもしれない。
私は家族共用のノートPCを開くとしばらく真っ暗な画面に映り込むマットな質感の自分とにらめっこし、差出人の司法書士を検索することから始めたのだった。



差出人の司法書士は都内の一等地に自分の名前のついた事務所を構えているとは思えないくらいの若い男性だった。
HP上には熱意がありながらも暑苦しくない程度の丁度いい写真が載っていた。
この青年だったらいかにも親身になってくれそうだ、依頼人であるB氏もそんな気持ちになったに違いない。

続いてA氏とB氏の名前をネット検索した。
写真こそ見つけることは出来なかったが、どうやらA氏は都内で教諭をしているようだ。
顧問をしている部活動と思われる大会の結果が複数ヒットする。
一方B氏の方は同姓同名の著名人ばかりが検索上位に引っかかり、本人を探し出すことは出来なかった。

人を導くという大切な仕事に就けるということ。
それはA氏がある程度経済的に安定した家庭に育ったのであろうことを裏付けしているように思えた。

思いつく限りの検索ワードを打ち終え我に返ると、すでに0時を回っていた。
急いでゲームにログインしたが既にフレンドのほとんどがオフラインになっており、完全に乗り遅れたまま一日が終わった。


******


結局のところ、一人で考えることに行き詰った私は、書類を受け取った二日目にして早々に司法書士に電話を入れることにした。

封書に印字された番号に電話をすると、朗らかな女性事務員が応対してくれた。
しかし担当司法書士は不在で、私は神経を尖らせたまま折り返しの電話を待つこととなった。
折り返しの電話は割合早くかかってきたように思う。
もしかしたら本人はその場に在席していたが、私の案件を一度確認するための時間を設けたのではないかと思われるくらいに。

緊張している私に驚くほど低姿勢でまずは電話連絡を入れたことについての丁寧な礼を述べられた。
そうか、彼らは書類上で私の現住所を知ることはできても、電話番号までは知ることができないのか。
数日前、たった十数キロの距離に922円もかけて私の元に送り込まれた郵便物を回想していた。

終始和やかな雰囲気であった。
私が柔和な態度であることを確信した司法書士は小さな賭けに出るようなつもりだったのだろうか、こう切り出した。

「遺産は書面でもお伝えした通り非常に僅かです。
 Bさんが住まわれているご自宅と、株が少し、預貯金が少々。
 これはあくまで一方的なご提案なのですが、不動産や株式を現金化するとなると大変時間がかかります。
 それにAさんBさんはYさんの介護や葬儀の費用をご負担なさっております。
 下瀬さん、いかがでしょう、100万円で遺産分割協議書にご同意いただけないでしょうか。」

なるほど、そういうことか。
大きなピースがいくつか、あるべき所へはまる音がした。
要するに、すべて現金化しての三等分は勘弁してくれと、そう言いたいのだろう。
自宅を処分したくない、という気持ちが打算からなのか郷愁からなのかは私には判断がつかなかった。
黙り込んでしまった私の機嫌を損ねないように若い司法書士はすぐに付け加えた。

「突然の申し出で驚かれたでしょう、大丈夫ですよ。
 もちろん今すぐに決めていただかなくてかまいません。
 少し考える時間をとっていただいて、後日またご連絡いただければ。」

私は電話口でぼんやりと、今この男がしているであろう”熱意がありながらも暑苦しくない程度の丁度いい笑顔”を想像する。
あえてゆったりと心の余裕を指し示すようなその口調に賛美を送りたいと思った。
完璧な、対応だった。


******


「ブー子」
オンライン上で私はそう呼ばれていた。
実際には別のアカウント名があったが、自虐でいつもブタのマスクを被っているので、誰ともなく呼び始めたその名前が、いつしか私の通称になっていた。
自由度の高いこのゲームの世界で、ブー子は何もできない足手まといだ。
車やバイクの運転は酷いものだったし、ヘリコプターや戦闘機の操縦は下手糞もいいところで、敵対クルーとPK(プレイヤーキル/プレイヤー同士の殺し合い)が始まれば一番最初にヘッドショットで殺されるのは私だった。

それでも1年で10人超の仲間ができたのは、間違いなく私が希少な女性プレイヤーだという理由だった。
多彩な乗り物とガンアクションが主体のこのゲームは女性プレイヤー人口がかなり少ない。
ゲームを始めたばかりの頃に知り合った男性プレイヤーに気に入られクルーに入ったことで、私には毎夜家族以外の誰かと話をするという習慣ができたのだ。

その夜は連日のPKに疲弊したメンバーたちと、8人乗りのSUVに乗り込み幽霊が出るという山へドライブに行った。
ゲーム内の時間は現実世界の30倍の速さで進む。
あっという間にゲーム内が23時になると、山頂の岩の上に割と和風で恨めしげな女の幽霊が浮かび上がる。
ボイスチャットでギャーギャーと騒ぐ仲間たち。
この幽霊も、ゲーム内の自分とされるキャラクターも、どちらもただのデータでしかないのに怖いと面白いは紙一重だな、と思っているうちに幽霊は消えてしまって、私だけが記念写真を撮り損ねた。
30倍の速度を舐めていた、と私が言うと、さらに仲間たちは大笑いした。

0時に就寝できるように必ず23時45分きっかりに落ちる最年長のおじさんがいて、みんなそのおじさんが落ちる時間を目安にあまり夜更かしはしなかった。
最年少は高校生で、その少年を含め全員が、翌日の学業を、仕事を、意識しながら健全に遊んでいた。
特別面白いことなどそう毎晩はなかったけれど、私たちはよく笑った。
皆笑いながら1日を終えたかったのだと思う。
日本中のいろいろな地方のいろいろな小さな部屋が、1日数時間だけ架空の都市を通じて、繋がっていた。


******


無知なりにも法律を少し調べた。
私にはきっかり三分の一を相続する権利があることは本当は調べる前から薄々わかっていた。
しかし、気が進まなかった。
父の異父兄弟であるA氏とB氏に親愛の情のようなものがかすかに湧き上がっていた。
私と祖母であるY氏との中継点である彼らに、出来る限り嫌われたくなかったのだ。


後日、電話を入れた私は、相手方の提示を丸飲みする形で了承することを伝えた。
たった2つ、条件をつけて。

「お願いがあります。
 私はずっと自分が何者で、どこから来たのかを知りたかったんです。
 今回、私を突き止めるまでに集めた戸籍謄本を、いただけないでしょうか。
 
 それともう一つ。
 父は、生き別れたお母さんにずっと会いたがっていたと聞いています。
 父の代わりに1本だけで良いので、お線香をあげさせてはいただけないでしょうか。」

受話器の向こう側、司法書士はメモをとっていたのだろう。
少しの沈黙ののち、念のため依頼主に確認させてください、と穏やかに返事をした。


******


どこか吹っ切れた私は仕事から帰宅すると夕食もそこそこに、ゲームにログインした。
最初に来たのは最年長のおじさんで、私は東北訛りのこのおじさんと2人で海岸沿いにある小さな遊園地のジェットコースターに乗りながら仲間が揃うのを待った。
1人、また1人と仲間がオンラインになる。
4人が集まったところに、野良のプレイヤーから攻撃を仕掛けられ、PKが始まった。

金曜の夜のせいか、仲間内でも一番腕の立つリーダーがまだ来ない。
野良のプレイヤーはいい標的を見つけたとばかりに次々と仲間を呼び、私たちは袋叩きにあった。
殺されて、生き返るとまたその瞬間を狙っては殺されて、の繰り返し。
最初は悔しそうに反撃をしていた仲間も、あまりの実力の差に徐々に無言になり、ボイスチャットにはキルされたときの舌打ちだけが響いた。

架空の世界であっても、なす術もなく殺され続けることは本当に後味の悪いものだった。
週に一度、寝る時間を気にせず遊べるはずの金曜日だったのに、私もおじさんもすっかり萎えてしまっていつもの時間になる前に早々に寝ることにした。
今日はせっかく清清しい気持ちだったのに。
布団で目を閉じる前に私のした2つの願いごとを唇で軽く呟くように復唱した。


******


休日を含め4日ほどで遺産分割協議書の書留が届いた。
既にA氏とB氏の欄は署名捺印が済んでいて、あとは私1人が同意するのを心待ちにしていたんですよ、と言いたげな空欄が、鉛筆で丸く囲ってあった。

記入済の書類で初めてB氏の住所を知った私は、趣味の悪い出来心から本来なら分配するはずであったY氏の持ち家をストリートビューで確認した。
築浅ではないものの、こまめに手入れをされていたであろう家屋が遠目に映し出されたが、そこに自分の祖母である女性の体温を感じることはなかった。

顔も知らぬ他人の家。
当たり前だが私から見たこの家にはノスタルジーだとかそんなものは皆無で、ただひたすらによその家族の容れ物にすぎなかった。
彼らにこの家を手放させる意味などどこにも見つからない。
×印をクリックして地図を閉じると、いやらしい覗き見の代償のように何枚かの用紙に指示通りに署名、捺印をした。

遺産分割協議書を返信用の封筒に入れて保管し、2日ほど経った日の夜に1本の電話が入った。
司法書士だ。

「了承をいただきましたので戸籍謄本は写しでよろしければ遺産分割協議書をお送りいただきましたら折り返しでお送りします、それでは失礼いたしま…」

「あの、お線香は」

小さな声で、しかしはっきりと私は言った。

私のお父さんは、
お母さんにずっと、会いたかったんです。
亡くなったYさんに、ずっとずっと会いたかったんです。
幼い頃に別れたお母さんに会いたくて会いたくて、きっとそう思いながら死んで行ったんです。
私には、私だけにはその気持ちがわかります。
だから、どうか。










「…ご遠慮いただきたいとのことです。」

受話器の向こうから聞こえる声は、何の感情ものせないように細心の注意を払ったためか緊張の糸が張り詰め、わずかに震えていた。

「…わかりました。」

私の動揺が回線を通って伝わってしまう前にと、慌てふためき、縁でも切るような勢いで電話を切った。
早く向こう側の人間との関係を断たなければならない、と強く思い知る。

そうか…そうだよな。
相手方にとっては私は突然現れた赤の他人で、苦労もせず遺産の幾分かを要求してくるかもしれない人間だ。
そう易々と自分たちの今の暮らしを見せ付けて、万が一でも私の眼の色が変わっては死活問題なのだから。

私は鬼ごっこに混ざってしまった本物の鬼の子で、みんなが本気で逃げ惑っているのに気付かず1人ヘラヘラとみんなを追い回していたんだ。
ごめんなさい、ごめんなさい。
もう、あなたたちの静かな生活に触れようとしたりしないから、そんなに怖がらないで。


******


数日後、私の口座には本当に100万円が振り込まれていた。
働かずして受け取る100万円。
紙1枚の概念だった父が1万円札100枚に増えたのだ、喜ばしいことのはずなのに、記帳済みの通帳を見つめる私の目はどこか光を失くしていた。

珍しく深夜に起きてきた母に、真っ暗なリビングからゲーム画面を注視したまま問いかける。
画面上の爆撃が映り込む私の横顔は、母にどんな風に見えているのだろうか。

「おかあさん…
 お父さんが死んでいたこと、知っていた…?」

「ああ、うん…なに、急に…
 …
 …
 …
 うん…共通の知り合いがいるから…聞いてた…」

「そう…」

おかあさん、あなたはいつもそうね、いつもそう。
こんなタイミングの告白では、泣くに泣けないわ。

オンライン上では仲間たちが私の背中に粘着爆弾をつけていた。
1つ、2つ、3つ。
本来なら車や建物にしか貼り付けることのできないアイテムだから、これはバグを利用した不正だ。
敵対プレイヤー集団の中に1人突っ込んで行っては、仲間に起爆させる。
もちろん私というプレイヤーは死ぬ、でも敵プレイヤーも死ぬのだ。

チャット上では私を含めクルーメンバーがいつもの大笑いをしていた。
うん、大丈夫、私はまだ笑える。
キッチンで流水音、そして蛇口のしまる音がして、ドアの開閉音、続いて階段の軋む音。
摺り足で母が廊下を進む音が天井にこびりついている。

私は大丈夫だ。
涙も出ないし、いつも通りだ。
ほんの少しだけ、この子たちよりお金持ちになっただけだから。


******


クルー設立1周年を記念して、お盆休みに東京で初めてのオフ会をしようとリーダーの男が提案をしたのは8月に入ってすぐのことだった。
おおよそのメンバーが乗り気であったが、東北在住の最年長のおじさんと、他に近畿、中国地方の計3名が遠距離を理由に参加を渋っていた。

「宿泊は私、ツテがあるからタダでとってあげるよ」

嘘だった。
3名の宿にプラスして私の部屋もとった。
私にあったのは宿泊のツテではなく、口座に振り込まれたあの100万円だった。



夜の集まりには参加できない高校生メンバーも含め、オフ会はランチタイムから始まった。
12名が一度に入れるお店の予約はすべて幹事である私がして、ついでに会計も私が済ませ「飲み会の会計と一緒に精算しよう」と言うと文面どおりに受け取ったメンバーは皆気軽に了承した。
何も考えなどなかった。
お金があったから、支払った。
それ以上でもそれ以下でもなかった。

夜からは居酒屋で飲み会の第二部。
その時には何人かの入れ替わりはあったものの、メンバーはちょうど10名になっていた。
初対面だというのに20代前半の彼らはよく喋り、旧知の仲のようにじゃれ合っていたのが微笑ましかった。
私は最年長おじさんの東北訛りを隣で聞いては「本物だ!」と笑った。

お手洗いに行くと見せかけて、全員分の会計を済ませた。
飲み放題のついたコース料理は最初から人数で会計が確定しているので都合が良い。
特にメンバーに思い入れがあるわけでも、恩を売りたい下心があるわけでもなく、1軒目同様に、ただ思いつきだけで支払った。

ランチに引き続き、私の支払いに気付いたメンバーは金額の大きさに少し引いていたが、お金のなさそうな若者たちは深く考えることもなくラッキー、という顔をしていたように思う。
そして「ダメだよ、払うよ」と言っている常識的なメンバーが逆に余計なことを言っているかのように疎まれてゆく。
最初は遠慮がちだったメンバーですら、3軒目のカラオケ店に入るときには財布すら出さなくなっていた。



初めて行く街の、初めて行くカラオケチェーン。
誰も会員証を持っているわけがなく、幹事の私が身分証を出して入会申込書を書いた。
店員が返却した免許証は差し出した私の手をすり抜けて、大柄なメンバーに奪われ、ニヤニヤと笑うメンバーたちに次々とパスされて行く。


「ブー子、ミチルっていうの?www」
「ミチルちゃぁ〜んwww」

用心深く、ゲーム内でも実年齢や職業を明かしていなかった私の身元はもともとメンバー全員の興味の対象になっていたのに、油断してしまった。
自分たちより年下であろう女が2店舗で支払いまで済ませているのだから、メンバーの好奇の目のゲージは最高潮で、私が嫌がれば嫌がるほど彼らは喜び、大笑いした。


「ブー子俺らよりばばあじゃんww」
「ウケんだけどwww」
「ばーばあ!ばーばあ!」
「ばーばあ!!ばーばあ!!」

酔っ払いたちの無慈悲なコールはエントランスホール中に響いていた。
私は変わらずヘラヘラしながらも2~3度飛び跳ね、なんとか免許証を奪い返した。

ーーー傷つくもんか。
私は本物の鬼の子だ、私が本気になればお前らなんて一噛みで殺せるんだ。
お前らは馬鹿だから、最初の一人が息絶えるまで鬼ごっこだと思い込みゲラゲラと笑い続けるんだろう?
最初の馬鹿の返り血を浴びて本気の悲鳴を上げた頃には遅いんだよ、一人残らず噛み殺してやる。
傷つけられるものか、お前らなんかに傷つけられてたまるか。
汗ばんだ左手で部屋番号の書かれたレシートをぐしゃりと握り潰すと私は言った。










「…みんな、ドリンクは何にする?」





オフ会から数ヶ月後、半ば言いがかりに近い揉め事をきっかけに最年長おじさんと仲違いした私は、勢いでフレンド全員を削除し、やがてゲーム機自体に触ることがなくなった。
もちろん100万円は一晩で使い切ることなど出来なかったが、ほつれた私の懐からは砂時計の砂のように加速してお金がこぼれて行き、私もただそれを無気力に見つめることしかできなかった。


******


何か形に残るような貴金属、ピアスなりネックレスなりを買って形見のように永く大切にしようと思いついたときには残高は五桁を切っており、満足に目的を果たすのは難しかった。
いや、安物だって思いさえ馳せられるのなら買うことは出来たのだ。
ただその頃にはもうこの愚行の証を末永く身につけることなど怖くて出来なかったというだけで。
大正生まれのおばあさんが小さな幸せの中で貯めた僅かな預貯金を、私は文字通り湯水のように散財したのだ。

A氏もB氏も、私のような品性に欠ける人間と関わりを持たないで本当に賢明と思う。
最後の数千円も、生活の中で曖昧に消費されあっという間になくなってしまった。
何が、父の無念だと言うのだ。
私に、父の、何がわかるというのだ。

夏の終わり、私の手元にはパッチワークのようにつぎはぎだらけの戸籍謄本のコピー28枚が届き、それが私と父との、すべてだった。






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