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憧れの地へ

普門館。

普門館は宗教法人・立正佼成会の文化施設として1970年に開館。約5000人収容の大ホールは吹奏楽コンクールのほか、美空ひばりやカラヤン指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団のコンサートなど幅広いジャンルの催しに利用されてきた。東日本大震災後、2012年の耐震調査でホール天井部分の強度不足が判明し、使用を停止。改修を断念し取り壊しが決まった。

「吹奏楽の聖地」「吹奏楽の甲子園」と呼ばれる場所に足を運んだ。

わたしは、高校生になってから吹奏楽を始めた。

小さい頃からエレクトーンを始めて、小学校では合唱、中学校では管弦楽部(オーケストラ)に所属していた。

管弦楽部では、3年間チェロをやっていたけれども、吹奏楽にチェロはないから、コントラバスを始めることにした。

同じ弦楽器だけれども、弦の音も違えば、指の動きも違う。
なにより大きさが違う。
初めは、楽器を持って移動することすら大変だったなあ。

吹奏楽コンクールにも毎年出ていた。
わたしの代が入学した年から、部門がA部門に変わって、1年目は銅賞、2年目は銀賞、3年目は金賞を取って本選に出場することもできた。

まわりの出場校が強豪校ばかりで、県大会以上は行けなかったけれども、普門館は憧れの地だった。

社会人になって、吹奏楽とも離れていたけれども、facebookやTwitterでまわってきた、普門館の一般公開の記事。

最終日はちょうど今日。ちょうど休日。
朝と夜に入っていた予定の間には時間がある。これは行ける…!?と。

行っちゃった。普門館。

30分ちょっと並んで、ついにホールの中へ。

真っ黒の床に、ホールの照明、ガランとした客席。


ここが普門館。

まさか、憧れの地、普門館のステージに立てるなんて。


反射板に書かれたメッセージ。
たくさんの人の青春の場だったんだなってことを感じられる。

そして、突然、リズムを刻む打楽器。

『宝島』

わたしも現役時代何度も演奏した曲。

そこから楽器を持った人たちが演奏に加わって、合奏に。

わたしは楽器を持っていなかったから聴くだけだったんだけど、とーーーっても胸があつくなった。じーーんって。

ただその場に集った人で奏でられる1曲。

「吹奏楽」「普門館」という共通項だけで、その場にいた人が1つになるってすごい。

しばらく音楽から離れていたけれども、やっぱり音楽がやりたいなとしみじみする1日だった。

今日の感動を噛み締めて寝よう。

おやすみなさい。

#日記 #ひとりごと #つらつらと #吹奏楽 #普門館

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