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世界中に生きると宣言してるだけ。小松未歩さんの『I〜誰か…』

小松未歩さんで好きな曲はどれですか?
そう聞かれたらどの曲を挙げるかは人それぞれですが、小松未歩さん好きな人に聞いたら

 I〜誰か…

と答える人はそれなりにいらっしゃるのではないでしょうか。
 今回はそんな『I〜誰か…』について考えていきます。

暗い とにかく暗い

この曲は音量調整しないと小松未歩さんの歌声が良く聴こえません。
 聴こえても歌詞を聴き取るのが難しいです。
 低く、そして暗い。どんよりしてます。
 そして歌詞世界もくらいです。まずは出だし

 色のない街を 歩いていた
 木枯らしに吹かれながら

なんとも寂しく、なんとも寒々しい。
 そんな中を往く主人公がどういう状態というと…

 自分が何者かも知らず
そのうえ
 このまま消えたい

と言います。なぜそんなことになったのかというと「君」という人が亡くなったから。

 緋色の空が君をつれ去り 星にしても

星になったわけです。
 ここでひとつ、面白い現象が見られます。主人公は冒頭に「色のない街」を歩いていました。ところが、空は緋色。色があります。
 街に色がなく、空だけ緋色に色付くというのはなんとも不気味で異常ですが、主人公の中に渦巻く不安や喪失感を表していると思えば、そういう世界もあるだろうなと思えてきます。
 ただ、この空の緋色はずっと続かないと思います。
 君が空に連れ去られている状態、いわゆる天に召されている只中にあると主人公が認識している期間だけ空は緋色で、君が星になった時には空は黒くなって光る星(君)が輝いて見える。そういう変化が生まれそうに思えます。

結論は…生きる!

 じゃあ街に色がなく、空も色を認識できない漆黒に覆われた空に星が1つだけ光る世界に置かれた主人公には絶望しかないのか?
 そんなことはありません。というか言葉を選ばなければ生きる気に溢れています。

 自分が何者かを知りたい

から。
 自分探し、いや自分づくり。

懸命に生きて 足跡を残す 

そう誓います。
 ここからは歌詞にない言葉を使っていくので妄想、言葉遊びパートですので、ひとつの見方として軽く受け止めてもらえれば助かります。

 この曲のタイトルは『I〜誰か…』という、なんとも不思議なもの。曲中に「I」なんて単語は勿論、それに対応する「私」などの一人称代名詞さえ出てきません。
 日本語における一人称は多種多様で、一人で幾つも持てます。
 私、俺、うち、僕、あたし、パパ、ママなどなど。
 それらを相手との関係性で使い分けていますが、裏を返すと相手との関係性で規定されているともいえます。
 人の輪郭を照らす、人照代名詞。

 この主人公は「君」と生きていく中でどう呼ばれていたかは分かりませんが、君から呼ばれて得られていた自分というものがあったのだと思います。
 それをして自分が何者であるかを分かっていたつもりだった。でもそれは君がいて君が私を照らして型作ってくれていたから。そして君を通じて世界を見ていたから。
 そんな君がいなくなった瞬間…。自分が何者かがわからなくなった。

 そこを解決するのが「I」の感覚。他者から規定されない一人称。
 知らない人、友人、知人、親族。そして他ならぬ君に対しても「I」とする。「I」が何者かを決めるのは他ならぬ自分自身。
 「君」なしで生きて、他の誰かに依存しない世界で一人の自分になる!タイトルにはそんな意思を強く感じます。

誰か…と言ってはいるが…

 さて、そうは言ってもこの主人公は「ここにいる意味を教えて」と訴えかけます。
 君のいない日々に負けそうになっていると言えます。ただ、これ、答えを教わりたくて聞いてる感じがしません
 あくまで自分は生きる意味、その答えを知るために全力で生きます!そのために懸命に生きている世界中の人の人生を知りたい!みたいな決意、宣言のようなものに感じます。

 世界の中心で愛を叫ぶ、ではないですが自分が生きる動機、それをレスポンスを求めずに世界中に叫ぶ。そんなイメージです。

最後に…クマを考える

シングル『I〜誰か…』のジャケット。
 小松未歩さんが自転車にまたがって、クマの着ぐるみの頭を抱えて空を見上げるという、なんとも意味ありげながらシュールなものになってます。
 クマの頭が結構な大きさで、存在感があるので考えてみました。私の中では3つのクマ観があります。

 曲の世界を前提にして考えると、あのクマの頭は「君」と主人公の二人だけの狭い世界。それを象徴してるのかな?と考えました。
 「君」がいなくなって閉じられた二人の世界、クマを脱いでみたら色のない街が広がり、見上げれば緋色の空が広がっている。その一瞬を切り取ったのがジャケットかな?とおもったりします。

 2つ目は、あのクマは「君」の遺影説。持ち方もそれっぽいし。
 遺影(額)そのものだと意味が強すぎるし解釈を限定させかねないので、そうしたのではないかと思います。

 3つ目はちょっと変則的。曲の世界と切り離して考えました。
 クマの頭は世間一般、ファンに抱かれている小松未歩像。中には違う小松未歩、他者のイメージなんかに左右されない「I」な小松未歩がいるよ、というメッセージかな?と思ったりします。
 くまつみほ と こまつみほ は一緒に見えるけど違うんだよ!みたいな。

終わりに

 硬軟織り交ぜて考察しました。正直なところ手応えがないところもあります。
 この曲に関してはとにかく解釈が人それぞれに強固なものとしてありそうで、いろんな人に解釈を聞いてみたいです。
 7月25日(月)22時40分〜Twitterのスペースで『I〜誰か…』を語るラジオが開催されます。

https://twitter.com/47_miku/status/1547582646145888256?s=20&t=7O2o30GTb_Xz5ILQ3Cz7CQ

 一時間の予定ですが、多分収まらない気がしますが…。
 興味のある方は参加してください。私は話す側として参加します!
 時間の都合のつかない方も録音、公開される予定なのでお好きなタイミングで聴いて下さい。
 ではまた次回、お会いしましょう!
 

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