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2000年前の忠告

『変身物語』で知れれている古代ローマの大詩人・オウィディウス。
紀元前後に活躍する中、紀元後8年にアウグストゥス帝の命により、
黒海に面した僻地に追放され、そのまま生涯を終える。

追放の理由はよくわかっておらず、文学史上最も不可解な事件の一つとされているとか。
オウィディウス自身は追放の原因を「一つの詩歌と一つの過誤(carmen et error)に帰す」と書いている。

この詩は、追放されてから書かれた詩集『悲しみの歌』の一つ。
それが2000年と知り、古代ローマの文明の高さにまずは驚き、
現代にも通じる普遍さに恐怖さえ感じる。

外は雨。風が強い。犬が落ち着かない。
備忘録として。


友への忠告

これまでいつも親しかったのだが、私の運命が
破滅に陥ったあの厳しいときに本当にそれと分かった友よ、
もし、経験によって教えられたことがある友をいささかでも信じるなら、
自分のために生きて、立派な名前を遠ざけるがよい!

自分のために生き、できる限り著名人を避けるのだ。
著名人の城塞から残忍な雷は落ちてくる。
というのも、権力者だけが役に立ちうるのだけれども、
害になるような場合、むしろ役には立たないだろうから。

船の桁端は下ろされ、冬の嵐を避ける、
幅広の帆の方が小さい帆よりも一層恐ろしい。
見ておられるはずだ、軽いコルクは波頭に浮かぶけれど、
一方、重い荷物は網もろとも沈んでしまう様子を。

今忠告を君にしているこの私が先にこのような忠告を受けていたら、
ひょっとしたら今も本来いるはずの都にそのままいるかもしれない。
私が君と過ごしていた間は、軽やかな微風が私を運び、
この私の船は波静かな海を走っていた。

平地に倒れる者−−ただこういうことはほとんど起こらないが−−
触れた地面から起き上がれるように倒れるものだが、
哀れエルペノルは高い屋根から落ちて
不具の亡霊として、冥界でオデュッセウスと出会った。

どういうわけなのだろう、ダイダロスは無事翼を動かしたのに、
イカロスは果てしない海にその名を記すことになったのは?
もちろん、後者が高く飛んだのに対して、前者は低く飛んだからだった。

いずれにしろ両方とも自前の翼をもってはいなかったのだ。
私の言うことを信じて下さい、よく隠れる者はよく生きるということ、
各人自らの分を守るべきだということ。

エウメデスは子無しとはならなかっただろう、もし彼の息子が
アキレウスの馬を愚かにも欲しいなどと思わなかったならば。
メロプスは息子が炎に包まれたり、娘が木に変わるのを見ることも
なかっただろう、彼が父として息子パエトンを認知していたならば。

君もまた高すぎるものを常に恐れ、
どうか、君の企ての帆を畳んでくれたまえ。
君は、足も躓かずに人生の走路を走り終え、
私より幸福な運命を享受するにふさわしい人物なのだから。

このような君に対する祈りを君は受けるに値する、その優しい愛と
終生変わることのない忠誠心ゆえに。
私は君が私の運命を嘆いているところをこの目で見た、
それも、きっと私の顔がそうであったような顔で。

私は君の涙が私の顔に落ちるのをこの目で見て、
その涙と誠実な言葉を一緒に飲み込んだ。
今でも君は追放された友を一生懸命守ってくれていて、
軽くできそうもない苦しみを軽くしようとしてくれている。

妬みなど買わないようにして生きてくれたまえ、名誉と無縁でも
穏やかな歳月を過ごし君に似た友を集め、君の友
ナーソーの名前を愛してくれたまえ(これだけはまだ追放処分になっていない)、他は全部スキュティアの黒海が押さえてしまっている。

(悲しみの歌 第3巻 第四歌/西洋古典叢書 L 4 訳・木村健治)

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