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私には寄り添うことしかできないから

ちょっと昔話をしようと思う。

去年の12月、身近なところで一悶着があり、私が心から尊敬してやまない、人として大好きな方が、そのトラブルから心を痛めてしまった。

「私にできることはないか」そう思ったところで、そう簡単に身体は動かなかった。そこにはSNS上での誹謗中傷があり、私はその人を助けるどころか、その文言を前に一緒に傷ついてしまった。

悔しくて、悔しくて、悔しかった。何と私は非力なんだろう。もっと法律とか訴訟とか、人生経験に富んでいたらよかったのに。そんな中傷なんて吹いて飛ばせるくらいの気概を、持ち合わせられていたらよかったのに。

***

誰かが困っている時、できることって何だろう。

私はよく「抗生物質やカンフル剤にはなれないけど、漢方薬にはなれるかも」と思っている。

つまり、マツコデラックスや有吉弘行のようにズバッと、絶対的な答えを出せる人間ではなくて、私はその痛みにじんわりじんわり共感して、気休め程度に寄り添うような人間だと思っている。

もちろん人によって、誰かを助ける方法は異なるし”みんな違ってみんないい”のだろう。けれど私は、この漢方薬気質を時に呪うことがある。

誰かが嘆き苦しんでいる時、悲しみの渦中にいる時、その人に手をさっと伸ばして、起死回生できるほどの言葉をかけられたら、どれだけ素敵だろう。

悲しきかな、私にはそんな能力は持ち合わせていない。寄り添うことしかできない。

私は、自分の非力さを憂いたのだった。

***

ひと通り落ち込んだ後、私がとった行動は、その尊敬する人へ向けて薔薇の花束を贈ることくらいだった。薔薇の香りにはリラックス効果があるから、せめてもの安らぎをと、薔薇の1本1本に私の想いをすべて託した。

「○○さんが笑顔でいられますように」と、ありったけの念を込めて、心からの花束を作ってもらった。

***

これが、その時の私の精一杯。
正解だったのかな。喜んでもらえたのかな。

その日の夜、少しでも心が癒えていたならうれしいな。

そしてどうか、今日も○○さんが笑顔でありますように。

【私には寄り添うことしかできないから】

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