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木を切るということ。

本日、庭の木を切りました。
といっても実際に先頭を切ってしてくださったのは、木こりの昇くん。僕はそのお手伝い。
この、榎木は生まれた頃からそこにあり、共に大きくなってきた自分にとっては特別な感情がある木。
その木を家族で話し合い、今回切ることになった。

切られる直前にその木と対峙した時、
なんとも言えない気持ちになった。
始まったらそうは言ってられない。

昇くんが切る木を、手伝いに来てくれた西口さん(ピザ屋さん兼色々できる人)と母と自分で
ノコギリでコンパクトにしてまとめる。
みるみるうちに枝が落ち、一本の棒のようになった。
その作業もとても木に対してのリスペクトが分かるくらい丁寧な仕事だった。
そして縄をかけて、チェーンソーで切り込みを入れる。

それくらいから自分たちは倒れる方向の先でロープを持つ。

しばらくしてからミシミシ音がなり、ロープを引っ張ると、ドンッと大きな音が鳴り、木が倒れた。
倒れる前のドキドキした感じがその後もしばらく続いた。
この感覚は以前鹿の解体の体験をさせてもらった時に似ている。
その時も心臓がバクバクしていた。
木は動物のように鳴いたり逃げたりはしないけど、確かに生きていたのだ。
切った後の年輪をざっくりだけど数えると30と少し。
自分より少し年上なこの木は、昔の写真を見るとヒョロヒョロだった。
でも今は逞しく根を張り、幹を伸ばし、たくさんの葉をつけていた。
地上だけでなく、土の中の微生物たちにまで影響を与えていただろうし、水も吸ってくれていた。

切り株を見ながら、昇くんが説明してくれた。
榎木は山では他の木に負けて駆逐されていくことが多いので、少しでも早く大きくなって、
消されないようにしようとすることや、
根っこは駐車場側は車が入ったりするので土が固くなっているので、反対方向に根を伸ばしていることなど。
彼(彼女?)そんな事を聞いていくと、まさに木は思考し、どうすれば自分たちが生き残れるかを考えて成長していたことが分かる。
植物は生きている。
言葉ではよく聞くけど、それを肌で感じれた体験でした。
その木は何かしらの形でこの場所に残り、
また我々と出会えるといいなと、、、。当たり前に紙を使い、家やテーブル、生活必需品などで木由来の物を使うことが多くあるのに、
まだこのような機会に立ち会ってなかったところから貴重な経験ができました。
この木がまた形わ変えてこの場所に帰ってきてくれるのが楽しみです。
貴重な体験をありがとうございました!

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