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不登校は問題か?

問題は問題ととらえたときに問題となる。日常で起きる出来事って同じ出来事であっても人によってとらえ方が様々。はたしてそれは本当に問題なのか?ということに尽きると思う。その出来事はただの事実であってそこにいろんな意味や解釈を加えているのは自分。そしてその意味や解釈は人によって違う。であればその意味や解釈を自分にとって楽な方を選んだり、学びに変えてしまったりする方が楽しくなると思う。

先日こんな出来事があった。我が家の小学一年生の4番目の娘が学校に行きたくないと言う。休み明けの初日とか、気が乗らないクラス(PEとライティング)があるときはなんやかんやと学校に行きたくなく理由を言って行かないことがたまにある。手を変え品を変え行くように促すのだけど、この日も失敗(お休み)をした。先生には「学校に行きたくないと言っているのでお休みします。明日は行くと言っています」とメールするのだけど、先生の方も日本とはリアクションが全く違って「知らせてくれてありがとう!」みたいな返信が来る。いたって軽い。

その晩「学校はお仕事みたいなもので、一応行かなきゃいけないことは知ってる?」と娘に確認すると知っているとのこと。兄弟からは「やっぱり少しくらい行きたくなくても行かなきゃいけないとか思っちゃうよね?」「行きたくないから行かないってすごくない?」「私、行きたくないから行きませんとかできない」などとちょっとした賞賛の嵐。「でもPEがいやなくらいで行かないとか、もうちょっと頑張ろうよとか思うよね」「PEはブーツを履いていくと見学できるよ?」とか裏技の伝授もあったり(笑)自分の気持ちを貫くことができるという4番目は凄いやつだ、しかしもう少し頑張れないか?ということで落ち着いた。そして無事に翌日、学校に行った。

さて不登校は問題なのか?問題にする場合はこんなケースかな。
1,私の予定があると学校に行ってほしい気持ちは強まるけれど、私の予定を優先すれば問題となるし、その予定をあきらめれば私にとって問題ではなくなる。
2,子どもを学校に行かせる義務があるので、行かせないとなると親である私が問題ある人となってしまうのでそれが嫌だと思うと問題となるし、はい、私が問題の親ですとしてしまうと問題ではなくなる。
3,子どもがこのまま学校へ行かなくなってしまったらどうしようなどと自分の不安を解消したい気持ちが強い場合も問題となる。でもこれは実は子どもの問題ではなく親自身の問題であると気づく必要がある。

思いつくのはこのくらいかな?いずれにしても子どもが学校に行かないことで、自分の心配する気持ちや不安な気持ちに耐えられないということが問題の根っこな気がする。子どもは私たちにいろんなことを教えてくれる鏡に過ぎないと思う。子どもを通して私たちは自分の思い込みや心の奥底にしまい込んでいるネガティブな感情に気が付いただけなのだと思う。つまり問題は子どもにあるのではなく、自分自身にあるのだ。

子供の将来を思う気持ちが不安や心配を生むのだろう。愛があるからこそ心配になっちゃうんだよね。でも自分以外の人や出来事をコントロールすることで自分の安心を得ようとするのは、無理が生じるし、それによってさらに辛く苦しくなっていく。子どもも私も大丈夫!そうやって思えた時に、それぞれがそれぞれを尊重できて、ハッピーなスパイラルが生まれる。大丈夫!って思えるにはその根っこに向き合う必要があるけれど、まずはそこが原因だと気が付くことは大きな前進だと思う。問題は問題としたときにはじめて問題となる。その問題を問題としてしまうのは、自分のもののとらえ方の癖が原因になっている。まずはそこに気づくと問題が起こったと感じた時に、自分のいらない癖(思い込み)があった!とまたひとついらないものをはがす機会がきた!となって、少しずつ楽になっていくと思う。いらない癖をどんどん捨ててみんなが楽に生きられたらきっともっとこの世はみんなが楽しく過ごせると思う。多くの人がもっと楽に楽しく過ごせますように!

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