目が見えないのはかわいそう?

人間って似たような姿かたちをしているけれど、みんなよく見ると違う、当たり前だけど。持っているルックスも能力も興味の対象も好みもみんなそれぞれで本当にすごいことだなあと思う、当たり前だけど。ピアニストの辻井伸行さんっていますよね、目が見えない本当に素晴らしいピアニスト。その辻井さんのお母さんが辻井さんが赤ちゃんの時に一緒に死ぬことまで考えたことがあるという話をしてた。目が見えなんて確かに大変だろうし、かわいそうな感じがするよね。でも本当に辻井さんはかわいそうな人なんだろうか。普通は目が見えるもんだから、見えないとかわいそうと感じるのはまあ当たり前の感覚なんだろうけど、私はそうじゃない気がしている。辻井さんは目が見えない代わりに私たちよりも聴力が発達しただろうし、目が見えない分、情報が入らないことでより美しい世界を見ている可能性もあると思っちゃうよね。ちゃんと味わおうとして食べる時に目をつむったりすることあるでしょう、あんな感じでもしかするとその時に使っていないほかの感覚はむしろ邪魔になるのかもしれない。目が見えないのは不便なことは明らかだけど、だからこそ手に入れた素晴らしい聴力と表現力とかがあったんだろうなと思う。ほんとに素敵なピアニスト!

さて、何が言いたいのかというと、私たちってありもしない普通みたいな基準に自分を当てはめて、劣ってるとかできないとか嘆きがちだよね。人と比べできてなかったりすると凹んだりするよね。でもさ、その判断の軸って自分の苦手なところで図る必要ってないよね。凹む暇があったら自分の才能を掘り当てよう。自分の好きなことを興味を追及したり、新しいことをいろいろ知ったり、そんなことをする中で、自分の飛び出たところを探すことに集中しよう。そうなるとやっぱり自分を見つめること、気づくことが大切になってくるよね。学歴とかステイタスとかじゃなくて、それぞれの能力や特技とかを見ることができる世界になるいいなと思う。凹があればあるほど凸もたくさんあるはずだ。一見不公平に見えたとしてもきっとそこには隠された学びがあるのだろう。みんながみんなのいいところや素敵なところを探すことができたらいいなと思う。誰かとの比較じゃなくてそれぞれが自分の中に「良さ、好きなこと、特技」とかを発見して、それぞれがお互いに認め合える世の中はきっといいところだと思う。そのためにも私は私のいいところ、好きなことにフォーカスして今日も楽しんで過ごしていこうと思う。

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