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喉の調子の悪いセミ

今朝、喉の調子の悪そうなセミが鳴いていた。この辺りではセミの声はそれほどなく、セミよりも鳥の声の方がよく聞こえる。だから余計に耳についたのだ。ビビ、ビ、ビー、ビビみたいな鳴き声。あれ?大丈夫?風邪?それともまだうまく声が出せない?あるいはもうすぐ死ぬの?ひとしきり考えを巡らしてふと思った。そのセミは自分の声がどうであろうとそんなことは関係なくて、鳴きたいときに鳴きたいように鳴くだけなんだろう。セミも鳥も木もそこにあるままにあるのだろう。

考えてみれば人だけが(もしも人がセミだったらという設定で)「あんな風に鳴くあのお方カッコいい!」「くぅ〜あのはねの模様めっちゃかわいい!」などと周りに興味をもって他人(自分)のことを意識する。一方でこんな声で鳴いたら変に思われるんじゃないかとか、おれの足脱皮に失敗して曲がってて凹むわ、とか見られることを意識する。

自然界ではそれぞれがそれぞれの持分を精一杯出し切って死んでいく。そしてそれは本当に素晴らしい調和を見せていて、特段に問題があるようには見えない。人と比べてその違いを見て一喜一憂するのは本来あるべき姿ではないということなのだと思う。その人が持てるものを存分に出して満喫して死ぬ、それがきっと本来のあるべき姿なのだと思う。人と比べることができるからこそのその人の良さが際立つこともあるだろう。でもそれはその良さに気づくためのものであり、なんなら人の欠点はそのためにあるとも言える。そして欠点ばかりに目がいってしまうこともあるだろうけれど、どこかにその人にしかない素敵ポイントが必ずあるはずだ。それを探して、楽しんで満喫する、それがきっと人が人生を楽しむということなんだろうと思う。

あたしもあのセミみたいにさ、自分を満喫して生きていきたいなとまた思った。セミよ、またあの個性的な声を明日も聞かせておくれ。いろんなこと教えてくれてありがとう!とか思ったらあのセミが愛おしく思えてきて、セミと通じ合えたような気さえしてくる。ジワっと感じるこの幸せ感。そうなんだよね、きっと私たち繋がってるだよね、それをなんか感じられたら愛が充満してくる気がするんだよ。

話がまとまらなくなったけど、要するにありがとうってことになるんだわ。ありがとう!

#自分探求 #ワンネス #ありがとう #日記

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