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何気なくいった舞台が物凄く良かった話。

ちょっとnote更新するの頑張ろうとおもって、iPhoneのメモを漁ってたら長文メモが出てきたので、そのまま貼る。いつか推敲はしようと思う。いつか。
ひとまず、2021年に観た『ブライトンビーチ』という舞台はとても良かった。
ジャニーズファンの方からチケットを譲ってもらったので、入野自由目当ての私はとても肩身が狭かった(隣の人がひたすら「入野自由のオタクってどこ座ってんの?!」って騒いでいた)が、そんなことはお構いなしに、没頭した。
舞台とは関係ないんだけど、行く前にジャニオタの友人から、「ジャニオタは基本花柄のスカート履いてるよ」っていう謎情報を仕入れていたので周りを見渡したら、まじで視界に入る人たちみんな花柄スカートだった。おもろ。

→→→書き殴りメモスタート

「家族」の絆→きずなでありほだし
家族はどこまでも家族 切っても切れない
「納得するしかない」状況にある 「子ども」は主義や自分の意志を貫きたいと考える それが「親」によって現実を突きつけられた時、どうしても反抗してしまう 大人への過渡期にあるスタンリーは、「納得する」も、父からの承認に目を輝かせるし、プレッシャーで空回る 
大人はどうしても現実を知っているし、自分と重ね合わせて子どもの未来をみるから、縛り付けてしまう 全員がこういう状況に陥ったのは仕方がないことだってわかっててでもどこか納得はしていなくて、でも納得するしかない
全員が世界の中心に無意識に自分を置いて(当たり前)無条件の愛を与えているつもりがどこかで見返りを求めてる
いつだってディスコミュニケーション 話さなくてもわかってるというのがあるのかもしれない ずっとそう思ってきたのねってセリフが出てきたけど、家族は話もせずに、信頼の押し売りをしがちだ。「家族」であるばかりに。そんな風に思ってはないって言うけど、そう見えてしまうことなんかたくさんある。だから話さなきゃいけないことっていっぱいあるけど、物理的距離が近すぎて、血が繋がってるから故なのか、謎に絶対的信頼があってそれが不意にほつれまくってしまうことあるよね。
どの世代だとしても「姉兄」「妹弟」はあり、母であり父である それぞれがそれぞれの役目を担わなくてはいけない
この作品、あんまり女だとか男とかを感じなかったかも。どちらかというと、家族の中での立ち位置や役割的なものが大きく出てきていたかもしれないな。でも、男や女という違いははどうしたって存在するっていうのもマージンによって表現されているよね

勝利くんの飽くなき性への追求心が、子どもと大人の境界をはっきりとわからせてくれるのがとても良かった 大人たちのどんな重たい悩みだって、子供の悩みだって同じくらい深刻なんだ。高音でのセリフもとっても良かった。
自分が自己中心的だと気づいたとき、それをそこまで深刻に受け止めようとしない感じ、自分には守ってくれる誰かがいると信頼というか安心というか当然として認識しているのがとてもよかった

親世代の演技が凄かった
とくにヒステリックになってしまうケイト。心配症だから色々なところに気をやってしまう
父の鶴の一声感もよかった。ノーラからしたら父でもないから決定権はない。「アドバイス」ではあるけど、それは自動的に「決定」になるこの父親システム。母も親として決定権は、あるはずだが、父の役目だとして行ってこなかったから決めることはできない。皮肉
今だからこそ女性の自立ってあるけど、急に決定権を委ねていた人がいなくなったらそれはキツい。

あれは決してハッピーエンドではなくて、どこまでもゆるやかに続いていく絶望の中のほんの少しの幸せなわけで。きっとそこに縋りつきながら生きていくのは戦時中だって今だって同じかもしれない。

入野さんの演技力がさらにパワーアップしてて泣いた
ちょっとあの、タバコのシーンはなんですか?マジで、心臓抜かれるかと思ったエッロ
一枚のシャツにマッチで火をつけてタバコを蒸す姿、推しだったら誰でもやられちゃうでしょ
畳み掛けの演技がやっぱり代名詞ぐらいうまいし、兄貴ヅラ、長男として家を支えようとする姿、でも未熟な都合の良さが打ち勝ってしまう惨めな姿、父に認めてもらえたときの純粋な瞳、声と表情と身振り手振りで演じ分けられていたのが本当に流石としか言えない。
さっきまで弟とコントかのような掛け合いをして笑いが起きていた劇場だったはずが、スタンリーからぽつっとでた一言で静まり返った時は震えたし、自分がいかにダメなのかを母に告げた時の崩れ方は個人的に完璧だった。この人は身体表現でもこんな繊細に魅せてくれるのか。

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