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2月28日の日記

2月28日(水)

新しい病院の日。私も自分が精神障害者であること、異常であることはなんとなく理解している。けど、母がカウンセラーさんに伝えている私の異常な行動(過去に死にたいと暴れたこと、死にたいと言うこと、自傷行為、爪を剥がすとか)などを横で聞いていて、確かに異常なのだけど、とても不思議で呆れてしまう気持ちに。内心「ふざけんなよ」とすら思ってしまった。私もかなり異常だとは思う。けどそれは周りから言われて悔しかったけど飲み込まなきゃいけない言葉だったり、生活していて感じる違和感、自ら独身を選んで本人は特に不幸だとも思わずに暮らしていたのに「子育て=良い」「子供=かわいい・良い・幸せ」という圧、目にして感じてしまう様々な不平等、子育てしている人や他人の子供からのあれやこれやに巻き込まれて戸惑ってしまう日々、あきらかにこちらが損をしていると思ってしまうこと、家族への不満、家族と誰一人分かり合えないこと、わかってくれる人はいないんだという諦めと孤独感。最終的に異常な行動をしてしまうのには全部意味や原因みたいなものがあって、言いたいのに言えなくて、発散したいのにできなくて、やっと絞り出しての「死にたい」なのに。それすらも今は言うことも出来ないわけで。私も異常だよ、でも私だけが異常だと言われることが納得できなくて。人よりも音や目に入るもの、感じるものが多すぎるのもわかっている。けどやっぱり私だけが異常なんて悔しいよ、納得いかないよ。生きづらい人だけが我慢して、黙って、死んでいくなんて。やっぱりおかしい。悔しいよ。何か変える気力もないし、声を上げることすらもできない。矛盾はしている。わかってる。けどやっぱり悔しいなって思う。周りも、家族も、今までの人も、かなり異常だよ。私だけ異常者だって、薬飲まなきゃいけないなんて。やっぱりおかしいよ。「こいつ全く自覚していないじゃん」と言われてしまうのだろうか。

耳から流れる、キスザギャンブラーさんの「コンクリの家と砂の家」がやっぱりあまりにいい曲で、静かに泣いた。助手席からずっと水色の空を眺めていた。

とある人に久しぶりに会えた。なんだかすごくうれしかった。いつものハンバーガー屋からのいつものカフェへ。淹れてもらったコーヒーがとてもスッキリしていて美味しかった。
人生って本当にクソだとは思う。ただ全員が全員クソではないかもしれない、ということを帰りに少し思ったりもした。

何かを思うことは自由であって。
肯定してくれ、否定しないでくれなんて言わない。
ただ思うことだけは許してくれよ、と本当に思う。


(4/9 自分)

私はたしかに異常。だけど私だけが精神薬を飲んだり、異常だと言われるのが悔しくて仕方なかった。お医者さんから「お母様もありがとうございます」と言われていた時も、悔しくて。
ずっと悔しくて日記は書いたけどこの時は公開できなかった。

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